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この気持ちはなんていう名前かな

 「磨け感情解像度」。なんという魅力的なタイトル。タイトルを見て、参加したい!と思った。

 でも書きたいことは既に、小説に書いた。これからもきっと書くだろう。感情の解像度という言葉を想定したことはなかったのだけれど、わたしが小説で追っているものはまさにそれであると思った。

 だから本当は、このコンテストに小説を出したい。

 でもこの小説は原稿用紙375枚(13万字)に及ぶ長編で、まさかこれ全部読んでくださいとも言えない(もちろん読んでもらえたら大喜びします)。

 そこで日ごろ考えていることを少し、小説ではない形で書いてみようと思う。

感情は実数

 感情は本来アナログなもの。アナログというのは無段階な、連続なものという意味においてのアナログ。実数的に稠密であるというような感覚。

 生まれたとき、持っている感情は完全にアナログ的稠密な連続性を持っていて、無段階になっている。これが言葉を学ぶことによって、次第に不連続になる。例えば言葉が喜怒哀楽の四文字しかなかったとしたら、無段階にあった感情はこの四つに分断される。サンプリング周波数四でデジタル化されたことになる。

 無段階だったものに名前が付き、ものすごく低いサンプル数でデジタル化され、言葉を覚えるについれてサンプル数が上がっていく。細かな違いに少しずつ名前がついていく。そういう感覚がある。でもどんなに言葉を覚えても、どの言葉でも言い表せない感情がある。感情それ自体は、ある。

 大人になると、その名前のついていない感情をとらえることが難しくなると感じる。悔しいと苦しいと妬ましいと羨ましいの真ん中にあるものが、名前の付いたどこかの感情に落っこちて落ち着いてしまったりする。

 感情の解像度を上げるとは、このサンプル数を上げ、さらに、どんなに上げても拾えないものがあると知ることなのではないかと感じる。サンプル数を上げるには割り当てる言葉を増やすということもあるけれど、もっと大切なのは、無数にちりばめた言葉のどれにもピッタリとは来ない感情を拾うということだろう。0と1の間に無限に存在する実数。もっと言えば、0.0001と0.0002の間にさえ、実数は無限にある。

 わたしが上で紹介した『雪町フォトグラフ』という作品を書いたとき、もっとも大切にしたのはこの「名前のわからない気持ち」というものだった。まさに青春真っただ中にある少女たちが、自分の中に生まれる正体のわからない感情を抱えて、それをさまざまな形で発露させていく。それを大切にしたいと思った。

 『雪町フォトグラフ』はタイトルが示すように、写真を題材にした小説だ。高校生の少女たちが写真を撮る。写真はもとより言葉ではない。言葉ではない写真というものを小説という言葉による媒体に浮き立たせようというのも私にとって大きな試みだった。少女たちの名前のわからない何かが、きっと写真の中にもある。彼女たちもその写真を言葉によってプレゼンしようとする。

 大人になるというのは、いろいろなものに名前がついていくということだと感じる。高校生ぐらいだとなんだかわからないもやもやとしたものを抱えて生きているけれど、それは次第に解きほぐされ、正体がわかっていく。複雑だと思っていたものは名前がつくとすっきりしたような気がする。でも本当にすっきりしたのだろうか。便宜上わかったような気になっているだけなのではないか。

 高校生を小説に描いたとき、必然的に彼女たちの成長を描くことになった。でも成長するというのはさまざまな気持ちに名前がついていくということだ。わたしは自分の描き出した彼女たちの気持ちに名前を付けたくなかった。というより、わたし自身にも、それがどういう名前を持った感情なのかわからなくなったのだ。

 『雪町フォトグラフ』のラストから少女たちの会話だけを紹介してみる。

「あああ、この気持ちはなんていう名前かな?」
「名前を付けたらこの気持ちはそこに着地しちゃうよ」
「今はまださ、名前を付けないまま浮かべておこうよ、この気持ち」

 三人の少女が「この気持ち」を共有しながら、それに名前がないことも共有している。気持ちに名前がつかないのに、隣にいる友達が同じ気持ちを感じているということがたしかにわかる。

 名前のつかない気持ちをそのままにしておく。彼女たちの選んだ結論は、この作品を書き始めたときのわたしにはなかったものだった。

 歩いていて道端の花を見かけたとき、窓を開けて鳥のさえずりが聞こえたとき、にわかに掻き曇った空から大粒の雨が落ちてきたとき、吹き抜けた風から懐かしい匂いがしたとき。

 からだの中のどこかにふっと湧いた気持ちに名前をつけず、ただ感じる。無限に連なった実数の一つを拾い出す。感情の解像度を上げると、それはきっと言葉にできないものになる。

※見出しの絵、『雪町フォトグラフ』の表紙絵ともに画家の勅使河原 優さんによるものです。勅使河原さんのノートはこちら。彼女の絵も、感情の解像度がとても高いと思います。

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