SEIKO JAZZ に浸る
前にも書いたかな。わたしは聖子ちゃんが大好きです。松田聖子さん。聖子さんはわたしより十五歳年上かな。それなのにいつまでも聖子ちゃんなのが素敵ですね。
さて、その聖子さんが2017年に出したSEIKO JAZZ という作品があり、2019年にはSEIKO JAZZ2が出て、このままシリーズ化していってほしいなぁと思っている作品がある。
こうやって正方形の写真にするとこういうジャケットみたいだな…。そうではなく、これはピアノの上にジャケットを乗せて撮影したものです。このジャケットは限定版のLPサイズというやつ。
これ2019年の作品なので、この写真は57歳の聖子さんですか。どういうことなんでしょうかそれはいったい。再来年には還暦ですが還暦ってのはなんでしたっけ、という気になりますね。
さてこの作品、今ヘビロテモードで聴きまくっているわけですが、改めて、聖子さんはものすごく歌がうまいのだなぁと思いました。そんなことはわかってるという話なのだけれど、若いころ天才的な表現力が際立っていて、テクニックというよりは感性の歌としてうまいなぁと思ってました。しかしあたりまえなんですが、テクニックも巧みなんですねとても。
近年さすがに若いころのような伸びやかな高音は失われてしまい、全体的に低めの音域で、あまり声を張らずに歌う歌い方に変化してきました。使えなくなった部分を諦め、残っている部分を使って歌うという方向にシフトしたのだと思うわけですが、これがなんというか極めて巧みなのですね。あぁこの人ものすごく歌うまいのだな、と改めて思いました。若いころのはどの程度狙っていたのかわかりませんが、あれはもう感じるままに歌ったら天才だった、ということなんじゃないかとわたしは思っています。でも最近のものはきっと違う。聖子さんはこの歌い方を自分で狙って作り出したのだと思うわけですね。持っていた翼を失っても別の方法で飛翔する。そういう歌なのだと感じるのです。
あ、今さらですが断っておくと、わたしがここに書いているのはわたしの感想であって批評ではありません。わたしは30年来の聖子さんのファンなのでもはや公平な批評などできるはずもなく、ただただ好きだということを書いているにすぎません。
とにかくめっちゃいいんですよこのアルバムが!
とどのつまり言いたいことはそれだけだとも言える…
最近この二作目を入手して、「SEIKO JAZZ」と「SEIKO JAZZ2」を連結したプレイリストを作ってヘビロテしてます。心地よいなぁ。
聖子さんは今年デビュー40周年。予定されていたコンサートツアーは例のウィルスのために中止になってしまい、アルバムの発売も延期。よりによってアニバーサリーイヤーにこのようなことで、どうすることもできないとはいえ口惜しいですね。
そんなぐあいにSEIKO JAZZに浸りながら、ニューアルバムの発売を心待ちにしているのでありました。
秋の夜長にお勧めですよ、SEIKO JAZZ。今は夏だけど。
いただいたサポートはお茶代にしたり、他の人のサポートに回したりします。