言葉にできない生きづらさ
生きてきて、歩んできた人生で自分を見つけられたか?と問われると答えは白紙か見つけられなかったと書く。他人からみれば「希薄な人間」だと思う。人間関係は続かない。というか何事もどうでもいい。何にも期待してない。そういうスタンスで生きてきた。見返りを求める人間の心理が分からない。自分がそうしたいからそうするだけ。全て依存依存な人生だったような気がする。矛盾している。が、おそらく自己犠牲が激しい人間だったのかも。自分どうでもいいした人の方が助かって欲しいし。
なんというか、「好きでいようとした」という人間関係ばかりだ。つるんでた友人とはたまたま一緒にいるのが楽だっただけで、休みたい時とひとりになりたい時は勝手に教室から消えた。ひとりの時でも寄り添う友人は確かにいた。しかし今はその友人が何をしているか知らない。
「好きでいようとした」
好きじゃないアーティストの音楽聴いたり、当たり前に酷い事をする友人がいる場所に身を置いたり、偽善ぶって笑っていたり。
30年人間やっているわけだけど、全然自分ってものが分からない。なんというのだろう。
未来が見えないんだよ。明日も見えないんだよ。目標はあってもふわっとしていて地に足がつかないし、生活に関してと自分の人生に対して何も考えられないのである。
恋人ができた人、結婚をした人、特に目についたのが性転換手術を決意して実際に手術してきたひと。皆それぞれ様々な決断をする。俺は何もせずにぼーっとしている。
自分探しとはどういうものをいうのか。
分からない。分からないよ。「今」が。