自分で這い上がりたかっただけだ

こんにちわ。サブ人格の愁介といいます。様々な疲れが出て体がダウンしてるので、寝ながらこれをポチポチ書いています。ここ1ヶ月3回くらい熱出して、そのうち1回は37.8度で、病院へ行ったけどコロナではなく安心。


皆さん誰かを殺したいって思った事ありますか?
俺はあるんです。いや、正しくは俺達には。前々に親から虐待を受けていることは触れましたが、その時のことを少しずつ受け入れられてきてるので、ここに記します。

俺は物心ついた時から両親や家族を【殺したい】と希っていました。いつに実行すべきか。いつまでなら青少年保護法で捕まらないのか。どうして、何故、どうして、そう思うのは何故なのか。

ずっと悲しくて辛かった。苦しかったんだと思います。中学の年頃に過去に中高生が殺人を犯した本や記事をずっと読んでいました。多分、殺した先のことを考えていました。それほどに精神はギリギリの状態で、最終的にその感情は自傷という形で片付けていました。破壊衝動を自分に向けて自己完結していました。そうすれば、平穏が保たれると信じていたから。

家族は好きでしたよ?
でも、今思い出すと、止まらないんです。憎しみの雨が。号哭が。後悔が。
家族が俺らにしてきた数々によって何もかも真っ黒に染まります。塗りつぶされます。だから、蓋をして忘れることにしたんです。家族はいないものだと、自身で折り合いをつけました。

ずっと悩み続けました。あの時親を家族を手にかけていたら良かったんじゃないか。
当時の青少年保護法では15歳までが保護対象でした。誕生日がすぎるその瞬間まで、親友が必死にとめてくれていたのを覚えています。親不孝とか酷いとか言わず、肯定してくれて、人生を終わらすなと。まだ先があると。今耐えられないのは分かるから家にいていいと、何度も家に泊めてくれました。何度も何度も寄り添ってくれました。その度に、創作の話も家の話も学校の話も沢山しました。今もその縁は繋がっており、主人格の親友として接してくれます。

殺さなくてよかったのかは、誰にも分かりません。誰にも決められません。決めてはいけないんです。たとえ俺が自殺しようとも、その真意は墓場よりもっともっと深い闇の中に沈んでいくだけです。

ようやく、殺したかったことを肯定し受け入れられました。間違ってなかったと。間違えていても、あの時は確かに辛かったこと。本当に、本当に憎んでいたこと。全てででは無いけれど。

どんな事があっても、この悩みや後悔は続くと思います。これから先も続くと思います。

主人格は変わろうと今頑張って、未来を見れるようになれました。そのまま走って歩いて転んで、また歩いてくれるといいです。

突然の話でしたが、読んで下さりありがとうございました。
どうか貴方の心に灯った怨嗟が昇華されることを祈っています。


では、またどこかで。


by 愁介

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