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開ければいいってもんじゃない

こころのそうだんに行ってきた
結論から言うと
「怖かった」

役所の人は 
私を気遣ってこういう機会を作ってくれたのだし
私も今後の母への対応も聞きたかったから
自己責任なのだけれど
正直しんどかった

これを予約する話になった時
私は自分自身が
精神科とカウンセリングに通っていることは
話していなかった
聞かれなかったし
母のことで相談に行ったので
話す必要がないと思ったからだ

「どこにも通っていない人」
として面談された

30分ほど 役所の人(精神健福祉士さんなのかなぁ)から
取り調べ室みたいな部屋で母の経歴や今までの家庭環境を
聞かれ 話しているうちに若干しんどくなった

その後 別室にいる会ったこともない
「先生」のいる部屋に通され
面談をした

私の聞き取り調査の内容は
既に先生に報告されていた

うまく表現できないけれど
威圧感があった
多少言葉尻を捕らえられたり
きつい口調もあった
でも決して責められてもいないし
むしろ 親をおんぶしてきた人生
大変だったね
自分の人生を生きないと
と話してくれているのだけれど

その笑顔がどうも怖すぎて
頭の中でずーっと警報が鳴っていた

なんだろう「カモ」にされそうな感覚
私がひねくれているだけなのだろうか
先生のクリニックへ何度も勧誘されたから
なのか

グループセッションもあるから来ない?
1人では絶対無理なんだよ
毎日 あなたのような人を診ているんだよ
と何度も言われた

グループセッションの話を聞いた時に
何故か
中島らもの「ガダラの豚」
道場にみんなが集まって泣く
カタルシスの場面を思い出して
怖くなった

自助グループには一度行ってみたいと思ってはいたが
何故かここのグループセッションは危険だと
私の兵隊さんたちが
警報を鳴らしている

真剣に私のことを思い
誘ってくれていたのだとしたら
申し訳ないのだけれど
警報が鳴りやまない

結局
お話に圧倒されて呆然としている人を
演じて その場をやり過ごして帰ってきた

今のところ
私は精神科もカウンセリングも
変えるつもりがない

増やすつもりもお金もない

今のカウンセラーさんは
しっかり伴走してくれている

押しつけもせず
でも突き放すこともなく

私のペースや成長をみて
その時に必要なことを
私に教えてくれる

でも決断するのはあくまでも私自身だ

道に迷っているときに
ヒントをくれたり
立ち止まって考える時間が必要だと
伝えてくれたり
人生が生きやすくなるコツを教えてくれる

それはつかず離れずの距離で
べったりではない
なぜか話した後は
また次のカウンセリングまで
これやってみようかなと思える

そこに私の心を無理やりこじあけたり等はない

何でもあけりゃあいいってもんじゃない
開けたから
知ったから
幸せになるものでもない

パンドラの箱のように
知らない方が良いこともある

私のような機能不全家庭に生まれた人間は
友達・知り合い・カウンセラーさんも含め
自分の事を話す相手を見極めなければならない
一定数 利用しようとしたりする人間がいるし
(昨日の先生がということではなく)
子どもの時の傷が深い分 相手に理解されたと感じた時の
アドレナリンが半端ないからだ

話す相手を見極めることは大切だと思う

「お父さんが暴れていた時、あなたがお母さんの立場だったら
どうした?」

の先生の問いに

「刺したんじゃないですかね」
と言って先生にドン引きされたのは
秘密です

正解は娘をつれて逃げる です

また間違っちゃった





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