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【準急ユーラシア 76】いすみ鉄道の「特に急がぬ」伊勢海老特急で味わう海の幸と昭和ノスタルジー

昭和末期の1988年に廃止されたJR東日本の木原線(上総中野~大原26.8km)を継承したいすみ鉄道は、大赤字線故に分離された当時と比べ輸送環境が少子高齢化で一層悪化する中での赤字克服というmission impossibleに日々挑んでいる。

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地元の足を維持したい千葉県・大多喜町・いすみ市が株式の6割強を持つ典型的な3セクで、鉄道経営のノウハウを補うべく2007年に社長を公募するという荒業を披露、千葉県のバス会社社長・元BA旅客運航部長・香川県のタクシー会社会長が社長を歴任し、台湾鉄路集集線と姉妹鉄道協定締結・クラウドファンディングの活用・駅命名権の販売・列車運転免許コース開設(700万円也の受講料を払って数名が受講し、動力車操縦資格試験に見事合格したという)等ユニークな施策を打ち出している。

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更に、ほぼ手付かずの美しい自然の中の非電化閑散路線でありながら東京に近い立地も同社の資産だと見抜き、ノスタルジーにも訴求した。地元人口が鉄道維持に足りない以上、都会からも客を呼ぶ必要があるのだ。この逆転の発想に基づき、同社はJR西日本から1965年製造のキハ52、1964年製造のキハ28各1両を導入し原色に戻した。前者は主に各停・準急用、後者は主に急行用キハ58系列の平坦線版(基本形のエンジン2基に対して1基のみ)だ。

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1960年代に大量増備されたキハ58系(キハ28等の派生形式を含む)は国鉄が地方線区の無煙化(ディーゼルエンジンも排ガスをもうもうと出すが、こう形容された)の切札として全国展開した、昭和を代表するディーゼルカーだ。汎用性が高く、第67話でご紹介したロシアの他、タイ・ミャンマー・中国に輸出実績がある。

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その旧国鉄車を用いた名物レストラン列車、伊勢海老特急は定期列車に併結され、キハ28+キハ52の2両編成のうち前者が貸切扱いとなる。出発駅は、いすみ鉄道本社が駅舎内にある大多喜駅だ。車窓から見える大多喜城は、徳川家康の猛将で徳川四天王にも列せられた本多忠勝が大多喜藩10万石の初代藩主時代に建てたものだ。

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遠い昔に愛読した「機関車やえもん」という絵本で、近代化の旗手として描かれた気動車(レールバスだったかもしれない)が今や追憶の対象とは、昭和も遠くなったものだ。絵本で擬人化された気動車が「けろろん・けろろん」と歌っていたのが妙に記憶に残ったが、国鉄形気動車の標準エンジン、DMH17型のガラㇻン・ガラㇻンという特徴的なアイドル音を聞いて、蛙ではなくこの音であったかと、ふと思い当たった。今も現役なのか、もうオブジェなのか、腕木式信号機も残っていた(写真は「赤」を現示)。

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左上:「隅っこの夷(えびす=蛮人)」なる地名は今ならNGワード確定で、市名をひらがなに変えたくもなるだろう。下:土に同化した色の木製枕木+雑草に埋もれそうな軌道+矢羽と呼ばれた転轍器標識のコラボもいい味を出している。初秋の安房の風にそよぐ黄色い花のセイタカアワダチソウは外来種だが、すっかり日本の風景に馴染んだ観がある。

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左上:国鉄型気動車の特色を良く残す車内(写真はキハ52)。左下:今はもう見掛けない網棚。国鉄車両は長い間「階級差別」が厳格に維持され、普通車リクライニングシート・固定窓・蛍光灯カバー・パイプ棚は特急のみで急行以下はボックス席又はロングシート・開閉可能窓・剥き出しの蛍光灯・網棚だった(それ以外にも広幅車体は近郊型以上、空気バネは急行電車以上等、細かく差別化された)。

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車内には「夢の超特急」0系新幹線や昭和の電機のエースEF58の写真や、ひかりやエル特急の文字が躍る国鉄時代の中吊広告が並び、「昭和の鉄道」を天井でも演出している。上の写真の銀色の弧は、ボックスシートの取手だ。

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晩年のキハ58一族は、車端部のロングシート化等ローカル運転用の改造がなされたものが多いが、このキハ28も同様だ。景色を十分楽しめないロングシート部にも食卓が設けられたが、予約に際して席を指定できない。右上:自由席のキハ52との連結部にはキハ52を描いた暖簾が掛かる。この絵ではキハ28同様の国鉄気動車標準色(クリーム4号+朱色4号)だが、現在の実車は国鉄ディーゼル首都圏色(朱色5号一色)に変更されている。

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左上:運転席側のロングシート部分が準備室となっていた。右:昔の国鉄単線区間のローカル駅の前後はこのようなY字分岐が多く、通過列車も双方向共に極端な徐行を強いられる悪平等の線形だった。キハ28の最高時速は95キロでしかないが、曲線が多く軌道規格も低くその速度すら出せない。しかし伊勢海老特急は乗車自体が目的の「特に急がぬ」特急なので全く問題ない。

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国鉄急行列車規格の大きなボックス席の半分を潰して設置した大テーブルに、豪快な伊勢海老料理が盛り付けられる。必然的に4人席の定員は2人となる。松本清張の「ゼロの焦点」では座席車で東京~金沢を走る1960年頃の夜行列車が当然のように描かれていたが、ボックス席4名ぎっしりで一晩はきつかっただろう。

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この伊勢海老特急はいすみ鉄道1日乗車券付でそれなりにしたが、ヴィンテージ列車で美食をしながら流れゆく里山と田園が描く日本の原風景を楽しめるのだ。むしろ、貴重な鉄道遺産を保存する為の寄付金を払うべきところを伊勢海老と美酒まで出して戴いていると考えるべきで、有難い限りだ。

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美酒も伊勢海老も期待せず、純粋に寄付を行った誠実な篤志家諸氏のお名前は、このようにひっそりと枕木に掲出されている。

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大多喜駅ホームでタコ飯売場に甘んじているのは、かつて大原~大多喜を人力で結んだ千葉県営人車軌道のレプリカだ。茂原市郷土資料館に展示されている人車を元に製作されたという。鉄道で29分の両駅間は、Googleマップで測定すると徒歩で3時間半かかるが、当時は乗る方も押す方も駕籠より楽になったという感覚だったろう。動態保存の計画もある由で楽しみだ。

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伊勢海老「特急」は愛称で列車種別ではなく、大多喜を普通列車として出発し小湊鐵道との境界駅・上総中野で折り返し急行大原行となる。中央に申し訳程度の屋根がある短い上総中野駅ホームは国鉄ローカル駅の面影を良く残している。下:サボ(サイドボードを略した鉄道用語)を手動で差替える音も懐かしかった。

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国鉄時代のキハ58一族の方向幕は無表示か、この「急行」のような列車種別を表示したままの事が多く、こまめに行先表示を変更していた記憶が無い。国鉄末期の険悪な労使関係が影を落としていたのかもしれない。行先を表示した保存車がロシアにある。第67話でご紹介したサハリン鉄道歴史博物館のК1ことキハ58はЮжно-Сахалинскユジノサハリンスク(「南サハリン」、南樺太が日本領だった頃の豊原)行だ。

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