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ソ連軽戦車発達史・外伝・コムソモーレツ その1

◆砲兵牽引車開発の必要
 第二次世界大戦前、ロシア軍(ここからはソ連軍と書くべきところだが、繁雑さを避けるためロシア軍で統一する)は、野戦軍の機械化を進めた。このための各種戦車装備の開発については、筆者もこれまで何度も書いて来たところである。しかし、軍部隊の機械化は戦車を製作することだけでは達成されない。それに協同する兵科である歩兵その他、この場合は砲兵の機械化も不可欠なのである。
 ここでいう第二次世界大戦前における砲兵の機械化とは、馬曳きに代わる機械化牽引のことであった。同じ牽引砲兵ではないかと言われそうだが、速度や運用柔軟性(場合によっては馬の方が柔軟だったりすることもあるにはあるが)が、大きく変わるのである。とくに速度は戦車とともに機械化部隊として行動する上では、非常に重要だった。
 ロシア軍における砲兵の機械化は、1930年代半ばから進められた。ロシア自動車・トラクター工業界は、戦前の5年間をかけて全力でこれに応えた。膨大なロシア軍の需要を満たすために、機械化にはとくに優越的に使用されたのが農業用トラクターであり、加えて専用に製作された砲兵用牽引車、そして多種多様な貨物自動車が使用された。砲兵は軍の他の兵科に比べて、この種の牽引車、自動車をとくに必要とする兵科であった。それは既述のように砲の牽引や砲の据え付けのためだけでなく、兵員や弾薬の輸送のための貨物トラックも必要だった。
 戦前期に使用された、牽引車の名称を挙げれば実に長いリストになる。自動車タイプはGAZ-AAAおよびZIL-6、装軌式タイプはSTZ-3(STKhZ-NATI)、S-60(ThTZ-60)およびS-65(ThTZ-65)。そして輸送用牽引車としてSTZ-5およびS-2etc。これらはすべてロシア国内で生産されたもので、それらは実は国民の需要のために必要な機材だった。それが膨大な軍の需要を満たすために転用されたのである。
 とはいえ自動車・トラクター工業界がいかに頑張ろうとも、一朝一夕でそれがかなうはずもない。何せ馬を全部機械に取り替えようというのだ。一体全体それまで軍には何万頭の馬がいたと思ってるのだ。軍の需要は膨大で、とくに装軌車両を一時にそんなにたくさん作れるはずもない。このためその機材の機械化は段階的に行われた。装軌車両が望ましいが、車輪式、つまり普通の貨物トラックも充当された。
 最初の過程で充当されたのは、農業用トラクターと貨物トラックであった。これはある意味簡単だった。何せ民間で使用されている車両をそのまま軍に導入すればいいのだから。もちろん軍用とするにあたって、若干の仕様変更は持ち込まれたが、たいした内容ではない。逆に過度な仕様変更を持ち込んでは、導入に時間と経費がかかってしまい本末転倒である。
 それにもうひとつこの方法には大きなメリットがあった。あくまでもこのときの導入は平時の話であるが、これが戦時になったら民間用に生産された機材をそのまま膨大な予備として軍に導入できるのである。ソ連ジョークにこんな話があった。「乳母車工場で働いているのだが、なぜか生産ラインから出て行くのは機関銃なんだ。」これをそのまま体現したような話だ。
 しかし、これには当然ながらいくつかのデメリットがある。農業用トラクターも貨物トラックも、民間用の要求に合わせて作られているのだから、軍のしばしば苛酷な要求に釣り合わないのは当然である。いまどきの日本の自動車ならへたな軍用より、よほど性能も信頼性も高いが...(まあロシアでは昔も今も、その性能にはいろいろ疑問符がつくのだが)。
 そして次の過程で充当されたのは、同じく民間用の農業用トラクターと貨物トラックであるが、より軍用に適するよう所要の設計変更を盛り込むという方法であった。これはいうまでもなく、軍用のときに苛酷な使用条件でも稼働するように、構造や機構の変更を盛り込もうというものである。これに該当するのが、輸送用牽引車のSTZ-5およびS-2、貨物トラックのGAZ-AAA、ZIS-6、貨物ハーフトラックのZIS-22、GAZ-60、ZIS-42であった。
 最後の過程になるのが、砲兵部隊の必要とする性能をすべて満たした、専用設計の特別な砲兵牽引車であった。これに含まれるのは、「コムソモーレツ」「コミンテルン」そして「ヴォロシロヴェツ」といった軍用砲兵牽引車であった。この中でも今回の主役となるのが、半装甲牽引輸送車T-20コムソモーレツである。では以下解説を始めたい。まずはコムソモーレツに先行する車体の開発からである。

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