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上辺だけの「好き」になりたくないからインテの情報をまとめてみた

父がHONDA党でした
私は違うと思っていましたが、プレリュのおかげで私もHONDA党に?
マツダ、日産を間に挟んでホンダに戻り、私がHONDA党として確立したキッカケとなった6代目の愛車インテグラについてまとめていこうと思います

情報はWikipediaより抜粋

<<ホンダ・インテグラ>>
1985年 デビュー

 「クイントインテグラ」として、クイントがフルモデルチェンジ

1989年 2代目

 「インテグラ」にフルモデルチェンジ

※CMにマイケルJフォックスが起用され「カッコインテグラ」「調子インテグラ」「気持ちインテグラ」と言っていた(笑)

1993年 3代目 初期型

 ヘッドランプがプロジェクター4灯

1995年 3代目 後期型

 横長のヘッドランプに変更

2001年 4代目

 プレリュードの後継も担い、3ナンバー化

<<思い出>>

FD→S15→プレリュ→R32と乗り継いできた私
嫁様と付き合い始めたときに32の調子が悪くなり「もう少し落ち着いた車に乗りたい。でもスポーツカーじゃなきゃヤダ」という、まだ私のワガママを聞き入れていただけた時代がありました(笑)
マツダ、日産、ホンダと乗ってきましたが、何の心配もなく安心してドライブできるのは「ホンダ」だと思っていました
「運」だとは思いますが、殆どトラブルなく乗り続けられたのは「プレリュ」だけでしたので、ホンダのスポーツカーと言えば「インテグラ」と決めました
まだ彼女だった嫁様と探しに回りましたね
デートついでに金沢まで行ったこともあります(笑)
乗るなら絶対黒!と決めつけていたのでなかなか見つからなかったですが、プレリュ乗車当時にお世話になっていたSEEKERさんのおかげで見つけられました
完全Noトラブルではなかったですが、彼女と色んな所に行ったのは良い思い出です
結婚してからも、第一子が生まれてからも乗り続けていましたが、第二子が生まれる前にファミリーカーへ乗り換え
自身のスポーツカー(MT)至上主義に終わりを告げました
壊れたとかのマイナスの意味合い的な理由ではない、家族のためにというプラスの意味合いで手放したのはインテが初めてでした
ストレスフリーでありながら、楽しい車でした


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