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「学校行きたくない」という言葉の奥にあるもの

不登校で家にいる生活をへて、フリースクールに通うようになった小4長男。

学校の行きしぶり期には「学校行きたくたい」と、言葉や行動やいろんな表現をしていたし、フリースクールに通いはじめてからも「行きたくたい」という日はある。

そのたびに、長男と話し合ったり交渉したり調整したりしながら、「行きたくたい」と向き合ってきた。

めちゃくちゃざつにまとめると、行きしぶりがはじまった最初の頃は「行きたくない」に対してでも行けば楽しそうに帰ってくるし、と朝の気の重さのようなものだと思っていた。

その後、学校という環境やシステム自体に長男がおおきなストレスを感じていると分かるようになり、「行きたくない」というときはその言葉をそのまま受け取って休ませる、という風にした。

フリースクールに通うようになり、新しい環境になれていく中で見えてきたことは、「行きたくない」という言葉の奥に、たくさんの複雑な気持ち微妙な体調の変化があるということ。

「行きたくない」は、行きたい0%-行きたくない100%ではないし、なんとなく行きたくないときもあるし、行きたくたいなーめんどくさいなーと言いながら行かないのもさみしかったりもする。
学校がいやということもあるし、学校がいやなわけじゃないけど今日はいやななにかの予定があるとか、つかれてて行く元気がないというときもある。

だけど、小さい頃の長男はそれをまだうまく言葉にできなくて、ぜんぶまとめて「行きたくたい」という言葉に集約されていた。

それが少しづつ言葉をできるようになり、言葉にできるようになることでその感情を自分で扱えることがこれまた少しづつ増えてきているような気がする。


「行きたくたい」という言葉の奥にいろんな気持ちがある。
それを大切にしていきたいなぁと思う。

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