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"当たり前"への小さな反抗。

就活をしていると様々なマナーや当たり前を求められます。
服装のことであったり、メールの文章であったり。

そういう必要とされるものに限って誰かが教えてくれるわけじゃない。
なんだか不思議だな、と思ったので自分の考えを書いてみました。

※ちなみに病んだ就活記録ではないので凄く明るいテンションで書いてる事だけ報告しておきます。笑

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就活をしているとおそらくほとんどの人がぶつかるスーツor服装自由問題。

自由とは言っているけれど、暗黙の了解でスーツ指定だったなんてこともちょこちょこ聞きます。

マナーやなんとなくこうだよね、という空気感で溢れていてなんだか捉えにくいものだと思います。
こうした感覚や判断基準はどのようにして手に入れればいいのでしょうか?

人に聞くなり自分で学んで事故を未然に防げということなのか。
それとも盛大に恥をかいて自分の経験にしろという暗示でしょうか?笑

これらの問題を考える視点として

正しく正解を教えるべきなのか
自分で正解を見つけるべきなのか

と、どこに視点を置くかでまた答えが変わってくるような気がしています。
結局のところ、僕に答えはわかりません。

そうして世の中には教わらない当たり前が溢れてる。

でも、それが出来ていないから叩くのはやや乱暴ではないだろうか?とも感じるのです。
子供じみた言い訳をすれば、「だって教わっていないじゃないか」と。

正解を求めるならルールを定めて型にはめる教育をすべきだと思います。
でもそれは多様性や個性を尊重する生き方とは真逆だとも思うし、そこから何が生まれるのか疑問にも思います。

当たり前ってなんでしょうか?

それはどこから生まれてどこへ行くのか?
世代間のギャップとかそう言ったことも含めて、
当たり前を求める社会も
当たり前を知らない僕らも
双方の歩み寄りが必要なんじゃないかと思います。

教えすぎず、求めぎない、そんなバランスはどこにあるのか。
きっと、社会に出ても探し続けるんじゃないかな、なんて思います。

・・・

基本僕は失敗から学ぶタイプで、今回も盛大に恥をかいたからこんな事を書いています。笑

僕の場合は冒頭に書いた服装自由の話で、僕以外みんなスーツという空間に遭遇しました。笑笑

まぁスーツだよね、を読み切れなかった僕の落ち度である事は間違いないんですけど、開き直ってみて気付けた事もありました。

企業が提示したのは服装自由。
そして僕は僕なりに良い印象を与えようとお洒落なジャケットスタイルを選択。(本当にお洒落かどうかは今は忘れてください。笑)

そしてこの相手にも不快な想いをさせない、という配慮と思考回路自体は、何も間違っていないのではないか?と思ったのです。

結果として会場では浮きましたが、逆に自分の考えや姿勢を示せたのではないかなと今はポジティブに考えています。

断っておくと僕はスーツが個性を殺すとは思っていません。
スーツは男の戦闘服なんて言葉があるように(あるよね?汗)スーツをカッコいいと思うし、気持ちを高めてくれる一つのアイテムだと思っています。

ただ今回の場合は(服装のルーティーン事情込みで)使用を見送りました。

そしてまた別の日、企業の説明会で"自社のアイデンティティの示し方こそが競争の激しい業界を戦い抜く秘訣"という話を聞きました。

僕の場合、服装1つですがその選択こそが僕を示すアイデンティティなのではないかと思うのです。

ここまで書いてきた僕のスタンスを整理すると、

今ある当たり前の姿を否定する気はない。それも大切な要素だと思うから。 でも一方で、疑問には感じる。 大切な部分はその人がどんな考えで今、その行動を選択しているかどうかということだと思う。

という事になると思います。

インターン時代に”守破離”という言葉を教えていただきました。
型を知り、型を破り、自分だけの型を作る。
素敵な考え方だと思い、僕にとって大切な考え方になりました。

漠然と押し寄せる当たり前の波に、
僕は自分の意思で”当たり前を再定義”したい。
今ある当たり前にそんな小さな反抗をしてみるのもアリなんじゃないだろうか、そんな事を思います。

ライ

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