虚数とわたし
高校の時、数学の授業で虚数を習った。虚数とは、「実数ではない複素数」のことであり、z=a+biで表される。・・・というと意味が分からないが
簡単に言えば、虚数とは2乗するとマイナスになる数のことだ。虚数は「i」で表される。i×i=‐1。2乗してマイナスになることはあり得ないため、虚数は、「存在しない数を存在すると仮定して考える」と教わった。
そのときからずっと疑問に感じていたことがある。存在しないものをなぜ勉強する必要があるのか?理科の授業でカッパやユニコーンについては勉強しないし、社会の授業でピーターパンの住むネバーランドについては教わらない。なぜなら、実在しないからだ。空想上のものだからだ。じゃあなぜ、虚数は勉強するのか!!虚数は、彼らの仲間ではないのか!!!
そう思った高1の私は、先生に尋ねた。実在しないものなら、そもそも考えなければいいんじゃないでしょうか。先生は一笑に付した。それは勉強したくないだけのへりくつだよ。虚数は勉強しなければならないものとして、そこに存在するんだ。
そこからは何も考えずに勉強した。というか、虚数は神のような存在だと思うことにした。神を信じている人にその存在を疑ったり意義を問うような真似をしたら怒られる。その感覚ならば理解ができる。だから、虚数をそういうものとして捉えてみた。きっと虚数は、センシティブな、人の信条にかかわる極めてプライベートな話題なのだ。
月日が経ってもう一度虚数について考えてみた。なんとなくインターネットで検索をかけてみたりした。ここまで書いてきて分かる通り、私はゴリゴリの文系。検索して引っかかったサイトを読んでも、さっぱりわからない。でも、どうやら、虚数は数学の世界ではかなり重要らしい。私には難しいが、4方向への数直線を平面に表したときに、1方向を表す式だけで4方向が表せるらしい。うーん、意味不明だ。わかりそうでわからない。
ものごとは、それを扱う人によって価値や意味が大きく変わる。私にとって虚数は、なにか神のようなものだけど、数学者にとっては、恐ろしく実用的で最高の発明なのだろう。例えば、ギターは、私にとってはまず、弾くことによって価値を見出すけれど、ある人にとっては聴くことが、またある人にとってはコレクションして飾ることが、ギターの価値なのだ。音楽にまるで興味のない人は、そもそもギターには何の価値も見出さない。虚数もそれと同じだ。
ただ、私にとっても、ここまで試行を巡らせてものごとのさまざまな側面を見出しただけでも、虚数の価値はあった。もし虚数によって恋人と結ばれたり、財布を拾ったりするひとがいれば、それがその人にとっての虚数の価値だ。そんな人がいるのかはわからないけど。虚数はいろいろな思考への入り口なのだ。
きっとこの持論を当時の先生にぶつけたら、きっと笑ってこういうだろう。
「いいからさっさと勉強しなさい」
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