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鬼神【大嶽丸】

鬼は鬼でも「神」とされる鬼も存在し、鈴鹿山に住んでいたとされる鬼神の「大嶽丸(おおたけまる)」は、山を黒雲で覆い暴風雨や雷鳴、火の雨などの神通力を操たとされています。

歌川派の人気絵師3人によって出版された東海道五十三対でも坂上田村麻呂による大嶽丸退治が描かれています。

葛飾北斎 「東海道五十三対 土山」

坂上田村麻呂の伝説、田村語りとして知られている「田村の草子」で語られる大嶽丸は、以下の通りです。

桓武天皇の時代、大嶽丸は鈴鹿峠を往来する民を襲い、都への貢物を略奪していました。帝は坂上田村麻呂に大嶽丸の討伐を命じ、田村麻呂は軍を率いて鈴鹿山へと向かいますが、大嶽丸は飛行自在で悪知恵を働かせて峰の黒雲に紛れて姿を隠し、暴風雨を起こして雷電を鳴らし、火の雨を降らせて田村丸の軍を数年に渡って足止めします。

一方、鈴鹿山には鈴鹿御前という天下った天女も住んでいました。大嶽丸は鈴鹿御前の美貌に一夜の契りを交わしたいと心を悩ませ、美しい童子や公家などに変化しては夜な夜な鈴鹿御前の館へと赴くものの、そのことを神通力で見透かしていた鈴鹿御前からの返歌はなく、思いが叶うことはありませんでした。

大嶽丸の居場所を掴めずにいた田村麻呂が神仏に祈願したところ、その夜、夢の中に老人が現れて「大嶽丸を討伐するために鈴鹿御前の助力を得よ」と告げられます。田村麻呂は三万騎の軍を都へ帰し、一人で鈴鹿山を進むと十六歳ほどの見目麗しい女性が現れて、誘われるまま館へ入り閨で契りを交わすと、「私は鈴鹿山の鬼神を討伐する貴方を助けるために天下りました。私が謀をして大嶽丸を討ち取らせましょう」と助力を得ます。この女性こそ鈴鹿御前でした。

鈴鹿御前の案内で大嶽丸が城へ辿り着いたものの、鈴鹿御前から「大嶽丸は三明の剣に守護されているうちは倒せない」と告げられます。鈴鹿御前の館へ戻ると、その夜も童子に変化した大嶽丸がやってきたので、鈴鹿御前が「田村丸という将軍が私の命を狙っている。守り刀として貴方の三明の剣を預からせてほしい」とはじめて返歌すると、大嶽丸から大通連と小通連を手に入れます。更に、顕明連は天竺にあると。

次の夜も館へと来た大嶽丸は、そこに待ち構えていた田村麻呂と激戦を繰り広げます。正体を現した大嶽丸は身丈十丈の鬼神となって日月の様に光る眼で田村麻呂を睨み、天地を響かせ、氷の如き剣や矛を三百ばかり投げつけますが、田村麻呂の両脇に立つ千手観音と毘沙門天が剣や矛をすべて払い落とします。大嶽丸が数千もの鬼に分身すると田村麻呂が神通の鏑矢を放ち、一の矢が千の矢に、千の矢が万の矢に分裂して数千もの鬼の顔をすべて射ます。大嶽丸は抵抗するものの、最後は田村麻呂が投げたソハヤノツルギに首を落とされます。

その後、魂魄となって天竺へと戻った大嶽丸が顕明連の力で再び生き返り、陸奥国霧山に立て籠って日本を乱し始めます。田村麻呂は二百歳にもおよびたる翁から与えられた名馬に乗り陸奥へと向かいます。大嶽丸は霧山に難攻不落の鬼が城を築いていましたが、田村丸はかつて鈴鹿山の鬼が城を見ていたため搦め手から鬼が城へと入ることができます。そこに蝦夷が嶋から大嶽丸が戻り、天竺に魂をひとつ残していたと嘲笑いますが、田村麻呂は大通連と小通連に顕明連も揃うと応じ、腹をたてた大嶽丸は三面鬼に命じて大石を雨のように降らせるものの田村麻呂に当たらず、田村麻呂は神通の鏑矢で三面鬼を討ち取ります。腹を据えかねた大嶽丸は田村麻呂に飛びかかるも、ソハヤノツルギによって二度目の首を落とされた。大嶽丸の首は天へと舞い上がって田村丸の兜に食らいつきますが、兜を重ねて被っていたため難を脱し、大嶽丸の首はそのまま死にます。残りの鬼たちは獄門にかけられ、大嶽丸の首は宇治の宝蔵に納められました。

大嶽丸は大竹丸や大武丸とも書かれ、現代でも多くの伝説を残す鬼神。私もいつか大嶽丸の伝説の残る場所に、旅しに行きたいと思っています。

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