読書感想:宇宙の戦士〜意見は合わないけど名作との対話は楽しかった
復讐のレクイエムの新しいトレーラーが先日配信されましたが、空挺部隊として空中投下されたザク部隊を見てるうちに、ハインラインの「宇宙の戦士」のことを思い出しました。
何せ、モビルスーツのルーツはこの作品に出てくる元祖パワードスーツですからね。
これは読み終わるまでそれなりに時間がかかるかなと思ったんですが、これまた気がつけば週末またいで4日くらいでラストに到達してました。
Twitterをやめて読書ペースが昔の水準に戻ったというのもありそうですが、この作品の社会科学SFとしての面が予想以上に相性良かったのが大きかったですね。
というわけで、今日はその感想記事です。
書いててビックリするぐらい、今回の感想は長くなっちゃいました。
名作を読むと、こうなるものなんですなあ。
元祖パワードスーツと軍隊に対する幻想
宇宙の戦士については、右翼的な軍国主義小説という評価も多いです。でも、実際に読んでみると、語られているほどファナティックな軍国主義という印象は感じませんでした。
確かに、普通選挙制度を前提とする、作中の表現を借りれば“無制限民主主義”への嫌悪感は強いです。
その一方で、自主的に兵役を経験して自己の利益より公共の利益を優先させることを証明したはずの“市民”が、実はそれをしていない“民間人”と比較して犯罪を犯す確率はそれほど変わらないと明言されるなど、軍人の道徳的優越というものを無条件で肯定も礼賛もしていない姿勢は、ハインラインも可能な限り節度と客観性を保とうとしていることが伺えます。
ついでに言えば、大変解像度の高い日常のキツさと合わせてのボヤキ、「お前ら男子校の生徒か」とツッコミたくなるほどの異性の存在への意識など、軍隊生活とその当事者を過度に美化もしていません。
まあ、そのような描写があるといって、軍隊というものを否定や批判をしてるわけでもない、むしろ共感を呼び合う効果があることは、この作品に限らずあるわけですが。
その上で、「良き軍隊」は暴力と破壊を適切な範囲に留める理性と決して同胞を見捨てない共同体意識を示し、それを維持するための訓練を積み、未熟な若者を真の大人に育て上げて人類の文明を正しく維持する社会を形成するのだという世界観は、はっきりと明示されています。
そして、その「適切な範囲」に留められた暴力と破壊を象徴する兵器こそが、もし「赤毛の左利きの男だけを全員捕虜にするか殺害しろ」と命じられれば、他に一切被害をもたらすことなく完遂できるだろうと言及された、機動歩兵隊の象徴となる元祖パワードスーツです。
パワードスーツは後発のSF作品にも多大な影響を与えてきました。ガンダムのモビルスーツはその代表格ですし、ボトムズのアーマードトルーパーも恐らくそうです。あと、攻殻機動隊SACのアームスーツもありましたね。
ではなぜ、この架空の兵器がこれほど定番のガジェットになるほどの存在感を宿したかと言えば、それはまさに、この作品の、上記の世界観をこの上なく体現させているからではないでしょうか。
この宇宙の戦士に対しては、反戦論や平和主義から多くの批判が寄せられました。
てんぐも実際に読んでみて、軍隊に対する無邪気と言っても良いほどの幻想には同感しかねるところがありました。
バーホーベンが後に撮ったスターシップトゥルーパーズでパワードスーツを出さなかったのも、「そんな幻想があるわけないだろ」と考えたからかもしれません。まあ、単に予算上の都合かもしれませんが。
バーホーベンは全力でハインラインの世界観を茶化したくなってたんだろうなあ。
あと、全然関係ないんですが、原作の方の機動歩兵たちのメンタルを男子校の生徒だとするなら、映画の方は思いっきりジョックスの群れなんですよね。個人的な見解を述べるなら、多分ハインラインはジョックスは大嫌いだと思う。
ただ、「権利であれ評価であれ、無条件に与えられたものを人は本当に正しく認識して活用できるのか」という問いに真っ向から切り込む思考実験としての本作に触れると、ページをめくるたびに色々と考え込んでいました。
同時にそれは、「自分と異なる価値観と見解だからこそ、対話は成立し得る」ということでもあるということの理解でもありました。
時代を超える名作って、こういうものなのかもしれませんね。
銀英クラスタとしての感想
銀英脳を起動させて宇宙の戦士を読んでると、「あちらのアレコレのルーツってこれかな」「あのキャラもこんな日常生活送ってるんだろうか」と思える描写が多かったです。
まず、ハインラインご本人が軍隊経験があるからか、職業軍人、それも士官クラスに求められるスキルの高さと幅の広さがよくわかります。
そして、のんべんだらりなスタイルを取ってるヤン・ウェンリーだって士官学校は卒業してるわけです。
そりゃノイエ版の5話みたいな首都高バトルめいたカーチェイスもやれって言われたらやれるでしょうし、その軍略だって口に出す前に脳内ではものすごい密度と速度での検算が行われているはずです。
これはもちろん、同盟軍と帝国軍のどちらの士官や将官についての言えるわけで、一般の民間人から見たら、もう超人と言って良いでしょう。
フレーゲルだのランズベルク伯だのといったなんちゃって軍人は知りませんが。
また、銀英伝では艦隊や部隊に指揮官名や異名がつくことが珍しくありません。
宇宙の戦士でも、「ラスチャック愚連隊」とか「ブラッキーごろつき隊」といった具合に、「指揮官名プラス(荒っぽい)愛称」という法則があります。
なので、銀英伝の部隊にも、「ワーレン灼熱竜騎兵団」とか「ポプラン酔いどれ航空隊」とか、そんな名前もついていたかも、なんて想像もしております。
それはさておき。
どうせなら、どこかに「なめくじ艦隊」なんて部隊はないかなーなんて考えたり。
宇宙世紀ガンダムのルーツとしての宇宙の戦士
冒頭でも書きましたように、ガンダムのモビルスーツのルーツはこの作品のパワードスーツです。パワードスーツを装着した機動歩兵隊の強さについて、「支援なしに単独で戦車隊を全滅させられる!(戦車隊で機動歩兵と戦おうとする愚か者がいればの話だが)」とまで言及されてました。
この圧倒的なパワードスーツの強さ(ただこれ、語り部である機動歩兵ジョニー・リコの、おそらくは後進である若者への言葉なので、大ボラの可能性もあります)が、宇宙世紀ガンダムにおけるモビルスーツの、戦車や宇宙艦に対する圧倒的なアドバンテージの由来なのでしょう。
ただ、パワードスーツだけがガンダムに通ずる要素のルーツではなさそうです。
ガンダムの方の地球連邦では、地球への居住権は原則として地球連邦政府関係の職に就くか、連邦軍に入隊する必要があるという設定がありました。
これは、「自らの意思で兵役を果たした者にのみ参政権が与えられる」という宇宙の戦士の方の地球連邦の思想の翻案とも見て取れます。
また、外宇宙の勢力に地球上の都市が丸ごと一つ消滅するほどの直接攻撃を受けてから戦争がはじまり、熟練の士官や兵士が次々と失われていくために代替要員の補充が常に求められることで伺えるように地球側の戦況が厳しい、という状況設定もまた、ガンダムでいえばオデッサ作戦発動までの間の状況と似ております。
ただ、ガンダムの方の戦争は人間同士である点と、その開戦の原因は地球側の圧制に因るという点は宇宙の戦士とは相反します。
こちらの設定のルーツと言えそうなのは、宇宙の戦士と対を為す名作として知られる「月は無慈悲な夜の女王」でしょうか。
せっかくだし、こちらも読んでみるかなあ。
文庫版三体2部が出るまで、若干の時間的な余裕もありそうだし。
スターウォーズ(というかクローンウォーズとか反乱者たち)脳も起動させました
もうね、色んな思考が起動しておりましたよ、はい。
映画のEP3やノベライズでは、クローン兵はジャンゴ・フェットの遺伝子から作った生きたバトルドロイド程度の存在でした。実際、ノベライズではオビ=ワンは敵機に撃墜されそうになってるクローン兵の僚機を救おうとするアナキンへ「任務を優先しろ」と告げた根拠は「クローン兵の代わりならいくらでもいるから」というものでした。オビ=ワンってそういう薄情な面がありましたからねえ。
そんなクローントルーパーでしたが、アニメシリーズ「クローンウォーズ」では、非常に強い戦友愛とチームワークと、何よりユーモアと誇り高さと知性と個性を持った戦場のタフガイたちとして描かれていました。
デイブ・フィローニがクローンウォーズを作成するときにイメージ元として求めた姿は、この宇宙の戦士の機動歩兵隊だったのかなと今は考えています。
一方、上記の通り、士官や将軍といった軍隊の上級指揮官を務めるには、途方もない量の専門知識を科学として習得する必要があります。
クローン戦争時に共和国軍を指揮したジェダイ将軍に、その知識があったかどうかはどうにも怪しい限り。
銀河系コアワールド政権の国力を注ぎ込んで編成された共和国軍が、外縁部の反乱勢力に過ぎないはずの分離主義勢力の制圧に三年も費やす羽目になったのも、そんな素人集団が軍を率いていたからだった、そんな仮説も成り立ちます。
また、後の反乱同盟軍やそれに先立つ初期反乱運動時の反乱勢力もヒーローに、中佐とか大尉とかって階級を景気よくバラまいてました。
そんなヒーローのひとりがエズラ・ブリッジャー“大尉”ですが、第3シーズン最初のエピソードだったYウィング奪取ミッションでは、暗黒面の影響もあったにせよ、先走ってしくじって自分もチームもピンチに追いやってしまいました。
やっぱり、いくら功績をあげたからといって、高度に専門的な士官教育を受けていない人物に士官への道を開いちゃダメですな。