愛しの君を追いかけ続ける映画の君:千年女優リバイバル上映見てきました
昨年BS12での放送で初視聴した千年女優がリバイバル上映してるという話を思い出したので、昨日仕事帰りに、久しぶりのシネマート新宿で見てきました。
テレビで見ても良かったですが、スクリーンで見ると尚良いですな。個人的にはシネマート新宿みたいな小ぶりな映画館で見る方が、映画の雰囲気にマッチしてるかなって感じがします。千年女優自体が、ある意味で極めて小さな映画館での往年の映画のリバイバル上映みたいな映画体験なわけですし。
さて、この千年女優。かなり短いにも関わらず、考察しがいのある要素に満ち満ちてました。
実際、noteにもこのように良い記事もありました。
てんぐの場合、上記の通り既にこの映画を見て構造自体は理解してるので、そうなると信頼できない語り手でもある千代子さんを理解しよう、という線で今回は見てました。
何がどこまで真実なのか、虚構だとしてもその素材は自分の願望や理想なのか、過去の出演作のシナリオなのか。さっぱりわからないんですなあ。
おそらく源也さんも、大好きだったあの千代子さんを理解したいというのが一番の動機なんでしょうが、探偵役をやるには千代子ワールドに誰よりもドップリでしたし。
でも、そんな源也さんの前に、銀映時代の若き日のゲンヤが現れたことで、いくつかの真実でも虚構でもない、事実の断面となる「情報」だけは掴めました。
「鍵の君」と少女時代の千代子さんの前に、何度も何度も立ちはだかった「傷の男」の自分の罪に慄きながら贖罪の旅を続ける姿、子役の女の子からの「詠子かあさん」という一言からうかがえる戦後の島尾詠子の人柄、そういった貴重な「事実」が、若きゲンヤからもたらされました。
まあ、最初の鍵紛失事件時に、大滝監督から「お前も探せ!」って言われて中年の源也と若きゲンヤが同時に直立不動で「はい!」って返事して、その後にゲンヤが「何をですか?」って聞いたら、今度は監督と源也が声をそろえて「千代ちゃんの鍵だ!」って怒鳴るシーンは、ユーモラスというか狂気というか、不思議な気持ちになりましたね。
これらの「事実」を意識すると、千代子さんの半生、あるいは周囲の千代子さんへの見方がどんなものだったかが若干変わってきます。
詠子さんは、自分を看板女優から引き立て役にした千代子さんへ妬みや嫉妬も抱きつつも、天才肌ゆえに感覚で妙なNGも出しちゃう千代子さんのフォローもする名コンビを形成してた節がありました。
でも、映画監督の中には「藤原千代子は二度と使わん!」って思う人もいそうです。
怪獣こそが真の主役であらねばならない怪獣映画に出て、「鍵の君を追いかける千代子さんの映画」に変えちゃったとしたら、そりゃ怒るだろうなあ。
あるいは黒澤明相当の大監督に起用されたとしたらどうなったかな、と想像すると、こちらは七人の侍の村娘や椿三十郎のお嬢様というより、隠し砦の三悪人の雪姫っぽい感じになりそうです。雪姫役の上原美佐さんも、ちょっと千代子さんに似た人生を歩んでますし。
結局のところ、どこまで行っても分からないところが千代子さんにはある。
だからこそ人は愛しの君を追いかけ続ける千年の映画の君、千年女優の藤原千代子に恋をする。
そして、千年女優への恋って、つまりは映画そのものへの恋なんでしょうね。
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