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読書感想:震雷の人

一目惚れした期待作

人でも作品でも「一目惚れ」というものはあるものです。

この『震雷の人』もそんな作品のひとつで、Twitterで偶然見かけ、あらすじと表紙を見た瞬間に「この本欲しい! 早く読みたい!」と発売日を指折り数えて待っていました。

そして購入し実際に読みだしたら、硬派な文章から伝わる緊張感にページをめくる手が止まらなくなり、気が付いたら購入から二日目にして読了してました。予定では連休かけて読むはずだったのになあ。

では、何がこの本を面白くさせたか。何がこの文章に緊張感を与えたか。

ひとつには、「一字、震雷の如し」、武力が物をいう戦乱の時代に蔑ろにされる「文」、すなわち言葉にこそ人を動かす力がある。その強い信念、価値観を、この作品全体を通す一本の軸となっています。その軸を体現する人物だからこそ顔真卿を筆頭とする顔氏一門が物語の中心人物と定められ、同時にその志を直接受け継ぐのが主人公兄妹の兄・張永(なお本編を読むと、その名に震えるほどの尊い意味が宿るのがわかります)なのでしょう。

そしてもうひとつは、「唐代伝奇」としての武侠小説になっていたという点です。

以前に紹介した『中国遊侠史』にも書いてあるように、遊侠は中国史の全ての時代に存在していました。しかし、その描かれ方は時代によって変わってきます。では唐代における遊侠、または侠士とはどのような存在か。

それを端的に表すのが、聶陰娘の説話です。

謎の尼僧にさらわれ、家族のもとに戻った時には超常の業を振るい人を殺める刺客と成り果て、家族からも世間からも完全に隔絶した存在となった。それが聶陰娘の説話です。

「謎の鬼神にさらわれ武芸を仕込まれた」と噂を立てられ、強固な意志と行動力を持ちつつ、やはり常識の向こう側に魂を置いているさまを見せていく主人公兄妹の妹・采春の姿に、その聶陰娘をはじめとする唐代伝奇に登場する「異能者」としての侠士が重なりました。

采春はもちろん、人間であることをやめたモンスターではありません。彼女が刃を振るうのは、志半ばで倒れた許嫁がこの世に残した信念に突き動かされるからです。しかし、それを貫徹するためであれば、自らの生命はおろか身の置き所すら頓着しない――それこそ、兄や顔氏が忠義を尽くす唐であろうが、叛乱軍が立てた燕であろうが。そう本気で考え、それを通せる力を持つ采春も、やはり「異能者」であると言えるでしょう。

『震雷の人』は一度は皇帝の都落ちという事態に陥った唐王朝が長安を辛うじて奪回したところまでで終わりますが、安史の乱も、それがもたらした(そして聶陰娘説話の背景ともなる)藩鎮割拠の時代はこれから始まります。

もし『震雷の人』がシリーズ化されたら、歳を経た采春が異能の刺客たちを養う暗殺結社の首魁となっているかもしれない。そして、唐代伝奇にその名を残す聶陰娘を生み出すのかもしれない。

本作の魅力と、そして示した可能性を考えると、そんな未来を想像して新たな期待とスリルを感じます。

というわけで、『震雷の人』。面白さはてんぐが太鼓判を捺して保証いたします。中華時代劇が好きな人は、是非ともお買い求めください。

『震雷の人』を読む前後にオススメの本

震雷の人は、そのまま読んでも面白いわけですが、安史の乱の時代についての知識を深めていくと、より楽しさが増してきます。

まずは岩波新書の「中国の歴史」シリーズの3巻、『草原の制覇』

なぜ唐王朝は国防の最前線を異民族頼みにしてきたのか、安禄山・安慶緒らソグド人とは何なのか、安史の乱以後の唐王朝はどうなるのか。そもそも「大唐世界帝国」とは何なのか。そういったことをわかりやすく解説されています。

付け加えると、この「中国の歴史」シリーズ、中国や中華風異世界を舞台にした作品を作る際には、内容も分量も入手の容易さも、現状では最良の参考資料と言えます。

次はたびたび紹介している『漂泊のヒーロー』

上述の聶陰娘のエピソードをはじめ、様々な「物語から見た中華世界」が解説されています。

一応Amazonには在庫や中古品が出展されていますが、公立図書館で探して読む方が確実かもしれません。

顔真卿については書道の専門書をあたると詳しい話が出てきそうですが、一般的な読みやすさという点では、この「マンガ 書の歴史」をオススメします。

顔真卿に限らず、王羲之のような能書家が、その時代においての本分はなんだったのか。それがわかりやすくまとまっています。

ざっと思いつく範囲では、こんなところでしょうか。


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