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地上波民放は社会の「公器」たれ

 正直なところ、この件においてフジテレビには同情の余地はほぼないですし、企業として危機的な状況に陥るのは当然です。しかし、フジテレビからのスポンサーの離反で「テレビはオワコン」論はますますSNSで吹き上がるんだろうなと思うと、かなり気が滅入ります。
 といって、フジテレビに対して何のお咎めもなしで現状維持では、肝心要の社会からの納得は得られないでしょう。それじゃ何の意味もない。
 フジテレビを含めた地上波民放という「権威」に対しては、このような指摘もありますし。

 やはりフジテレビには、末期の民主党や民進党、割と最近の自民党ではありませんが、「解体的な出直し」が求められます。
 では、その後にフジテレビはどう出直せば良いのか。
 そのヒントとなりそうなのは、テレ朝の好調ぶりです。

 上記の記事にもありますように、いまのテレ朝は報道番組や情報番組が視聴率において牽引しています。
 そもそも、報道機関としてのテレビ局の存在価値については、昨年末の韓国やシリアの激動に対しても発揮されています。

 かつては「楽しくなければテレビじゃない」と嘯き、享楽主義にひた走ってきたフジテレビですが、既に映像による娯楽を享受する媒体の多極化が進んでいます。既に、「テレビでなければ楽しくない」とは、視聴者も思わなくなっているでしょう。でも、何か重大事件が起こったり、そうでなくても世の中の動きを知りたいというとき、ネットでの情報収集の危険性についても知られるようになってきました。
 であれば、地上波民放は娯楽追求の比重を下げ、テレ朝以上に報道や情報番組に力を入れ、社会をまとめる公器たらんとする方が命脈を保てるのではないでしょうか。

 ……ただ、もし本当にそうなると、映画D&Dの地上波放送の日がますます遠ざかりそうです。

 あれは土曜プレミアムでの放送と相性良いと思うんですが、何とかならんかなあ。

 あと、もうひとつ注目してる動きがこちらです。

 フジテレビのようなメディア企業で労組という組織に加入する従業員が急増し、さらに会社の行動に対して堂々と抗議する。会社もそれを黙殺できないでいる。
 これは社会全体に対する良いモデルケースですし、地上波民法が社会の公器へ生まれ変わる第一歩ともなるでしょう。

 昨年のパリオリンピックでも感じましたが、「皆が同じ番組を、同じ時間に見て、同じように楽しむ」という体験は、社会の統合の維持に資するものがあります。
 そして、地上波民放という直接課金することなく視聴でき、かつ全国を網羅している媒体は、その体験を得る上で最も適しています。
 その媒体は、損なわれてほしくないですね。

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