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父親に人生の悩みを話したら無視された話

タイトル通りです。内容はほぼ日記みたいなもんです。

先月、意を決して今までの人生で辛かった・悩んでいたけど家族に対して心を閉ざしていた事、父親みたいになってしまったら生きる価値が無いので人に迷惑をかける前に死のうとしてずっと今まで生きていたことを両親にメールした。

母親からは1週間ほどしてメールが返ってきた。そのメールのおかげで自分は母親に対して絶対的な肯定を求めているからしんどいという事が分かった。

父親からは1カ月間何のメールも電話もこなかった。

今週末、実家に帰省する機会があった。


今までの悩みを打ち明けたメールを送ってから父親と会うのは初めての機会だった。

実家で会う時に何かを話してくれるのだろうか、メールを読んで何か思う事があってドキドキしたり、なんで1カ月も何も言わないんだとイライラしたり複雑な思いのまま親父との対面を迎えた。

親父は「よく帰ってきたな、おかえり」と言った後、「将棋やろうよ」と言った。

はい?私は耳を疑った。え?人があんなに勇気を出してメールした事に対して何も無し?はい?え?将棋?はい?

私は混乱したままとりあえず将棋の準備をした。

ほら、きっとメールの事についていきなり話すのを躊躇してるんだ、将棋を指しながら少しぐらいメールについて話すだろう。

1局目、何も言及が無かった。将棋は圧倒的に私の勝利。
2局目、何も言及が無かった。中々難しい内容の将棋だったが、私が勝利した。
3局目、何も言及が無かった。一切の攻撃の隙を与えない私の完勝であった。

夕食の時間になった。
将棋盤を片付け、夕食をみんなで食べた。
食事の片付けの後、テレビを観る時間があった。
風呂に入った。風呂を上がってテレビを観た。

何もメールについて話さなかった。

私は家族におやすみと言って自分の部屋に行った。

私はベッドに潜り、深く落胆した。そして気づいた。

「メールなんてなかったことにする」これが父親からの答えだったのだ。

今までの人生もそう。親父は自分の病気の事・自分の世界に精一杯で私の事を見る事なんて頭にないのだ。

今も親父は過去勤めていた企業のせいで病気になったことを恨み続け、そして自分は精神病だ、何もできないと思い続ける。後は脳みその中にあるのは将棋の事、テレビの事だけだ。

つまり、親父とはそれ以外の事について対話をする事が出来ないのだ。

伝えても無視されるから。

これからも親父とコミュニケーションを取るには将棋を打つくらいしかできない。自分をこの世に産み出した存在が自分の事を無視する悲しみ、怒り、そのエネルギーを一手一手に乗せて親父をボコボコにするしかない。

もう父親に何かを求めるのも期待するのもやめよう。意味が無い。

腹を割って話したことで「意味が無い」という事が分かった。

これだけでも収穫なのかな。



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