見出し画像

気持ち。

浅草3丁目。


夕方、キャッチボールをしている風景が残る。


子ども同士のこともあれば、大人と子どものときもある。

その子たちの親のこともあれば、近所の飲食店のお客様のこともある。


その近所の飲食店。

それが、RAFT。


RAFTは奥浅草と呼ばれる地域にあたる、みんなが思い浮かべる「浅草」とは10分ほど離れた住宅街の中にある。


こんなところでお店を始めるなんて浅草を知らない人だねと根っからの浅草の人たちに言われるような場所だ。


元独立リーガーの店主と沖縄出身の私が営む小さな飲食店とそこで出会った少年野球チームと歩んだ2年間。


2021年11月。

RAFTは浅草3丁目で始まった。

コーヒーが嗜めて、オリオンビールと沖縄料理が楽しめて、そして靴が並ぶという謎の空間。

店主のやりたいが詰まったRAFTという空間。


そこで少年野球チームに出会った。


昔から、いつか子どもに野球を教えたいと言っていた店主は「元独立リーガー」という結構すごいらしい経歴を持っていた。


その点に興味を示してくれるお客様も多くて、RAFTはいつも野球の話で溢れている。


お店をオープンして知り合った方々にいくつか少年野球チームを紹介してもらったが、「元独立リーガー」という肩書きが邪魔をして全て断られてしまっていた。

独立リーガーって、全然すごくないんだなと野球に興味のない私は思っていた。


上手な人に教えてもらえるなんてラッキーと思われたり、重宝されそうな感じなのに経歴だけで門前払い…。

少年野球ってなんて厳しいんだろう。


そんなことを思っていた。


RAFTの隣には泡から美味しいヒューガルデンを飲ませてくれる立ち飲み屋さんがある。そこのお客様が「1月にスタートしたばかりなんだというチームに興味ある?」と声をかけてくれた。


聞けばその野球チームの監督をしている方と、RAFTと同じ浅草3丁目の飲み屋のカウンターで知り合い、「野球」というキーワードで店主のことを思い出してくれたらしい。



興味はあるし気持ちもあるけど、門前払いが続いていたから、大きな期待をせずにいた。


「独立リーガー」とは?

沖縄には独立リーグがないからなのか、そもそも私に野球の知識がゼロだからってだけなのか。


プロ野球とは違うのか?

プロ野球の次点的な感じなのか?


そんな適当なことを思いながら、日々、元独立リーガーと生活をしていた。


後輩も来てくれるお店で、元独立リーガーが沢山いる環境でぬくぬくと野球に興味ないを貫いているものだから、石投げれば独立リーガーに当たる、くらいに思っていた。


どうも違うらしい。


お店で元独立リーガーと居合わせた野球好きなお客様は目をキラキラとさせて、野球トークを楽しんでいる。


独立リーグとは。

一般にプロ野球と言われるNPBとは異なった団体が運営するリーグのことでチームに所属する選手はプロ野球選手である。


そもそも「元独立リーガー」という単語でなぜ野球ってわかるんだろう…とさえ思っていた。


10年以上前の話。

過去の栄光とはまさに…とは思うものの、周りの反応を見ている限り、すごいことらしい。

確かに日常生活の上でも無駄にストイックだし、妥協しない部分が多いな…とは思っていた。


とはいえ、野球をしている姿は見た事がなかったので、はて…という感情は続いていた。



誘ってくれたお客様にはすぐに「興味がある」と返事。その後すぐにそのチームの監督とお父さん3人でRAFTに来てくれた。


初めましての挨拶から、野球の話、チームの子どもたちの話と続き、まずは練習に来てみてくださいとお誘いを受ける。


ゴールデンウィークを迎える4月末の出来事だった。



子どもたちとの初対面。

見学だけのつもりが、練習に参加することになり、子どもたちに混ざってノックを受けたり、走ったり、打ったり。単純に野球を楽しんできたらしい。



その日の夜、監督とお父さん達が飲みに来てくれたので、

「ちゃんと野球は上手でしたか?」

と確認したら

「ちゃんと上手でした。子どもたちの目がキラキラしてました」

と言ってくれていた。

それが私と浅草ブレイカーズとの出会いだった。


お父さんたちからは元プロに教えて貰えるなんて…という期待と喜びが伝わってきた夜だった。



一方、「どこから手をつけていいのかわからないチームだった」というのが店主の最初の感想だった。



週1で球拾いで参加します!と言っていたのに、あれよあれよと毎週土日が野球の練習になり、早々とコーチへと着任することになり、「古市さん、最近怖くなってきたよね」と子どもたちに裏で言われるようになる。


地域の野球好きのお兄さんからコーチという肩書きに変わったことを子どもたちの言葉からも伺える。



まだまだ出来たばかりの5年生主体の浅草ブレイカーズは2年生も主軸として試合に出ていた。

6年生の打球を2年生が受ける。一歩間違えばトラウマになり兼ねない現象が起こりそうな中、基礎練習から地道に始めることになる。



どの世界でも「基礎」程、地味なことはなくて、ましてや、弱小チームほど基礎練習にすぐ飽きる。


「あと何分やるの?」とか「バッティング練習をしたい」とか、平気で言ってくる。


もちろん指導側にも飽きさせないスケジューリングが必要だけど、それ以上に基礎のないチームには基礎固めスタート以外残されてなかった。


練習試合では野球とは思えない点差で負けて帰ってくる。そんな日々が続く。


報告を待っている側も勝ち負けではなく、今日は何点取られたの?と聞くようになるほどに。


夏休み前あたりから、学校から帰って来た子どもたちがお店に遊びに来るようになった。


カウンターでお菓子とお冷でゲームをしていたり、お店のテレビでYouTubeを見たり。

公園で遊んだ帰りに顔を見せに来たり。


そして、RAFTに来てくれるお客様とも顔見知りになり道端で会っても挨拶するようになったり。

子どもたちに応援団がついていった。


お客様含めて「弱小チーム」という認識だったし、鬼コーチと呼ばれながらもお店に来る子どもたちの様子を見て、舐められてるねというのもネタだった。



夏休み最後。立ち上がったばかりの野球チーム、初めての大会。ぜひ見に来てくださいと誘いを受けたこともあり、私も初めて浅草ブレイカーズの「野球」を見る機会を迎える。いつもRAFTに遊びに来てくれる子どもたちの晴れ舞台。結構楽しみにしていた。


8月末。気温35度を超える真夏日の野球場に足を向ける日が来るとは思っていもいなかった。日焼け止めに帽子、薄めの長袖の完全防備で臨む。


大会の規定により90分制で行われたその試合は一つもアウトを取れずに一回表のまま終了時間を迎える。





RAFTには、浅草ブレイカーズが初めての大会だったことを知るお客様は少なからずいて、みんなを「え?」という表情にさせていた。


そりゃそうだ。少年野球特有の90分制度ということを理解しても、一つもアウトが取れないままとは…


店主が言っていた「どこから手を付けたらいいのかわからない」という言葉の意味を理解した90分だった。




夏が過ぎ、秋を迎え、より一層基礎固めの時期に突入する。

RAFTの土日の昼間に店主不在も定番化して、常連さんと野球帰りの店主を出迎えることも日常になり、今日はどんなハプニングがあったとか、誰が泣いたとか。居合わせたお客様と子どもたちのエピソードを聞くことも日課になっていった。


RAFTにはお父さんたちが飲みに来てくれたり、家族でご飯を食べに来てくれたりとチームとの交流があったので、球場には行かない私もその場にいたかというほどの情報共有できていた。


そして、子どもがいない私達には無縁だと思っていた小学校の運動会にも招待されたりして、野球チームに出会ったことで私自身にも楽しいことが増えていった。


お客様と子どもたちが顔合わせるが増えたこともあって、応援してくれる大人も増えていく。その状況が結構嬉しかった。



監督の退任、主軸選手の退団など、大人も子どもも入れ替わりがありながら、コーチ1年目を終える。



元々コーチだった父兄の方が監督に就任し、2年目をスタートした浅草ブレイカーズ。


元独立リーガーの後輩も一緒に子どもたちの指導にあたる。


学年が1つあがり、6年生主体のチームになってからも、甘えのとれない子ども達。幾度となく、鬼コーチに叱咤され、この調子なら練習する意味ないから帰れと言われ…


RAFTに6年生全員で「練習させてください!」と頭を下げに来た日があった。


昭和か!と突っ込みを入れたくなる事象だけど、指導する側、受ける側の熱量の違いは昭和も平成も令和も変わらないらしい。


私たちも、鬼監督に縋り付いたことあったなと思いながら、お店の外で店主と子どもたちが話している様子を見守る。


それから1ヶ月と経たないうちに同じ現象が起こる。


子どもの甘さなのか、鬼コーチの厳しさなのか…。



時代に合わないと言われそうだけど、野球をして過ごす時間に認識の違いがあったのもまた事実。


叱られる理由もきっと理解していただろう。

ただ、集まると練習中にも関わらず楽しいが先行してしまってふざけたり。子どもらしい子どもたちだった。


梅雨も明け、8月末の大会に焦点を合わせて練習を重ねる。夏休みに入るとバッティングを中心とした週2回の平日練習もスタート。


子どもたちとの時間も増える。平日の昼間だったので私も球拾いに駆り出される。

一生やることないと思っていた「野球」に少し触れることになる。



はじめましての頃から変わらない印象は、親の熱量が子どもの熱量を遥かに上回っていること。体育会系の方が多く、鬼コーチにも共感してくれていたこともあって、お店にも来てくれるようになったんだと思う。


そして、

夏休みの始まりの頃。キャプテンが退団することになり、チームに衝撃が走る。


チームのエースであるヒデがキャプテンも務めることになる。


最後の大会まで1ヶ月もない日の出来事だった。





時間の許す限りコーチとして子どもたちに向き合う。


6年生主体とはいえ、4年生もスタメンとして出場する浅草ブレイカーズにとって、6年生バッテリーがいかにバッターを抑えられるかにチームの勝敗がかかっていた。


バッテリーに対するコーチ陣の指導は必然的に熱くなる。


店主と共にコーチとして帯同している元独立リーガーの後輩はピッチャーだったので、マウンドでの気の持ちようや、切り替えの仕方をしっかりと伝えられる人だった。


持てる知識、技術、環境の全てを駆使して最後の大会に臨む。


初戦のカードは、成績的には力に大差がないチーム。

まだまだ暑さの続く9月最初の週末。



円陣組むといつも「絶対勝つぞー」だった。


キャプテン歴1ヶ月。初めての円陣での掛け声。

1週間程前からRAFTに来ていても内容を考えている様子だった。




球場に入り、一通りのルーティンをこなす。

整列し、試合開始の挨拶をしてベンチへ戻る。


「気持ちで負けてたら勝てないんで、気持ち入れていきましょう。さあいこう!」


気持ち。

負け癖がついていた浅草ブレイカーズに1番必要なものを吹き込む円陣だった。




1番、キャプテンのヒデの打席から攻撃が始まる。


一礼をしてバッターボックスに入る。

「ヒデー、気持ち入れてー」とベンチからの声援。円陣で高まった士気を感じる。




現役時代、1番バッターを務めることが多かった店主は、初球を打ちにいく気持ちの大切さを耳にタコができるほど伝えていた。それはもう、RAFTでしか野球の話を聞かない私でも饒舌に話せるようになるほどに。



初球を捉え、ツーベースヒット。


その後の打者にもヒットが生まれ一点を先制。初回からいい流れを掴む。


その裏には、副キャプテンを務めるキャッチャーが盗塁を阻止したり、3年生のユウがフライをジャンピングキャッチしたり。ファインプレーが続く。


そして、守備での好プレーの勢いのまま、2回表の攻撃にはショウのレフト前ヒットを起点に打線が繋がり念願の追加点。

2対2で90分の制限時間を迎え、ノーアウト1、2塁、タイブレークが始まった。


結局、延長戦でも6対6と決着が付かず、クジでコマを進めるチームが決めることになる。



決着がつくまで戦わせてほしいときっと誰もが願っていた。





結果として浅草ブレイカーズは初戦敗退となる。


6年生バッテリーが泣き崩れる。


それを見守っていた大人たちはみんな、サングラスを掛け、暑い熱い空を仰ぐ。

「悔しい」という気持ちが溢れる。きっとチームとしての初めての感情。


「勝たせてあげたかった…」

店主はそう呟き、泣いていた。

見守っていたチームに関わる全ての大人がそう思っていた。


熱い夏が終わった。


前年の20対0からの大きな躍進。

まだまだ課題は残るチームだけど、気持ちもバラバラだった子どもたちが一丸となって戦った小学校最後の夏。これからの野球人生の大きな糧となって欲しいと願った。



私は試合を見に行ったわけではない。酒場で交わされる会話の情報量はとても多い。




浅草ブレイカーズは親御さんがインスタグラムを頑張っているチームだった。コロコロ変わる子どもたちの表情を捉え、親の温かい目線で綴られているインスタグラム。


少しの期間だけ手伝って欲しいという依頼を受け、リール動画を作ることになっていたので、共有された試合の動画を全部見て、素材になりそうなプレーを探していたので、もしかしたらその場にいて試合を見ていた誰よりも詳しいかったかもしれない。


撮ってくれる親御さんの声援越しの動画はそれだけで熱量やその場の雰囲気がよく伝わる。

それを切り取ってリール動画を作成するのはおこがましい気もしていたのだが、折角お声がけ頂いたので受けさせてもらうことにした。


動画で足りない情報は、RAFTのカウンターで語られる親御さんたちの会話で補って…。飲みの場だからこそ出てくる本当の気持ちや素直な言葉を拾い集めることで生まれるリール動画を作り上げていった。


結果として、何度も見返して「いい夏だったね」と言って楽しいお酒を飲んでいる親御さんの姿がRAFTの秋の始まりの一部となった。





少年野球に関わらせてもらってからは「野球」で声を掛けてもらえることが多くなり、店主は少しずつ野球の人脈を広げつつあった。


元プロ野球選手と一緒に教室のお手伝いに参加させてもらったり、中学のクラブチームを紹介してもらったり、野球関係の道具やアパレルを扱うメーカーと繋り、取り扱いを始めたり、沖縄で行われているジャパンウインターリーグの運営に参加しないかとお誘いを受けたり。


「野球」というワードの強さを感じる。


そして、人生をかけて野球をやっていた時間があるという事実が時を経て、活かされ始める。


夏を終えると6年生はそれぞれの野球の道を考え始める。部活として続けるのか、クラブチームに所属するのか、高校野球を見据えて硬式野球のチームに進むのか…。


チーム練習は週末だけなので、硬式野球チームに所属することになったバッテリーだった2人と、3年生のユウから平日に個人レッスンをして欲しいという依頼を受け、それぞれの能力に合わせた指導を始めることになったなった。


ちょうどその頃、野球関連のメーカーの方に硬式のクラブチームのコーチに行ってみないかと誘いを受ける。店主自身は小学生の頃から硬式野球をしていたこともあり、いつかは…という気持ちも持っていた。


浅草ブレイカーズのときと同じように、まずは見学から…というスタートすることに。

歴史のあるシニアチーム。冬に少年野球の冠カップを開催するとのことで、浅草ブレイカーズもお誘いを受ける。


結果として、初戦敗退で終わった小学校最後の夏。このメンバーでもう一度戦える機会がやってくる。


夏を超えても、変わらず6年生も一緒に練習を続けていた浅草ブレイカーズはその大会に焦点を合わせていく。個々のレッスンで力を伸ばしている子ども達が増え、その子達の躍進の確認も楽しみな大会となった。


一回戦はとても寒い雪予報の出る朝だった。

相手は足立区のチーム。両チーム初回から好投が続き点の入らない回を重ねる。


親御さん達からは「あと1年早く、この球が投げられていたら…」という声が漏れる程、誰が見ても成長を感じるエースのピッチング。試合が締まる。


そして3回表の攻撃。どうしても先制点の欲しい浅草ブレイカーズは作戦に出る。

「セーフティーバント、いけるか?」

3年生のユウに指示を出す。不安そうだったけれど、

「やってみる」

という返事。


一球目、二球目とボールを見送ったあと、渾身のバントを決めて全力でファーストを駆け抜ける。自信に溢れる表情の3年生に続けと、ブレイカーズ打線に火が付く。


ヒットが重なり欲しかった先制点をもぎ取ると、裏の回もエースピッチャーの好投で三者凡退で抑え、4回表の攻撃では今年野球を始めた6年生の公式戦での初ヒットを皮切りに打順が進む中、相手のミスも重なり加点が続く。


初めてのセーフティーバントを決めたユウは次の打席もしっかりとボールを打ち返す。チームメイトの進塁に気を取られる相手の隙きをついて二塁へ向かって走る。バックホームに間に合わなかった送球は、ユウを狙って二塁に送られる。

セカンドの選手がボールを後ろに反らすミス。その瞬間を逃さず次の塁へと足を進める。

「いけ、いけ、いけ、いけ、いけーーーーー」という応援団の声にも押され、3塁を回り力強くホームベースを踏む。


コーチャーをしていた選手もベンチにいた選手も応援しているみんなが飛び上がって手を大きく回していた。ハイタッチを求めて、みんなが手を差し出して来る。

打線を繋ぎ、チームでもぎ取った得点。とても意味のある得点だった。

裏の回は、またしてもエースの好投により、三者凡退に抑えると突如主審よりゲームセットを伝えられる。

「え?終わり?」

「勝った?勝ったーー!!」

選手たちが整列し、勝敗が伝えられる。


礼をして、ベンチに戻る選手たちの笑顔。

初めて自分たちで勝ち取った勝利。

初めてのコールド勝ち。

とても誇らしげだった。


守備でのファインプレーが攻撃へと繋がり、チームの勢いが相手のミスを誘うこと。

集中力を切らさないことが結果に繋がること。

まだまだ荒削りだけど、一球一球への執着心や貪欲にプレーをすることの意義を感じているような一面が見受けられる場面もあったりして、2年間の集大成となる一戦だった。


2回戦は10点差でコールド負けという、あの頃の浅草ブレイカーズを彷彿させる数字だった。しかし、負けはしたものの褒められるポイントはあって、チームとしての底上げを感じることのできる試合だった。それでも試合中に劣勢を覆すには足りないものが多すぎた。


これが本当に最後の大会。このメンバーで野球をする最後の試合。


この2年間、店主がこの子達に伝えてきたことはどれほど伝わり、そしてこれからの人生にどう活かされるのか。私としては「浅草ブレイカーズで野球ができてよかった」と思ってほしいなという感情が先に来るのだけど、コーチとしては「古市さんなんか大したことなかったねって早く言われたいよ」と常々言っている。


まぁ、実際にそんなふうに言われたら少し寂しいだろうけど、その言葉の裏には、野球を始めたばかりの、小学生の、たった2年間の、こんな小さな地域の、こんな小さなチームの…大切な思い出、大事な経験だけど…この2年間なんかあっというまに忘れてしまうような、深くて熱くて濃い野球人生を歩んで欲しいと切に願うコーチとしての不器用な愛がこもっていた。


店主自身がそうだったように、野球を通して培ってきたものは何事にも変えられない。彼らにとってまだ、始まったばかりの野球という時間。

彼らのまだまだ短い人生の1ページに関われたという事実は私達にとってかけがいのない経験となった。


年が明けてからは、受験やクラブチームへの練習参加などで6年生が揃うことはなくなり、新チームとして、練習に励む日々が始まる。変わらずにRAFTに来てくれる親御さんや家族もいて、相変わらず球場に行かなくても色々と情報を得られる環境が続いていた。


2月最後の週末。浅草ブレイカーズの卒団式に私も招待して頂き、参加することになった。


卒団式とは…こちらは野球特有なのか、都市圏のシステムなのか。チームの最上級生を送り出す会を会場を借りて開催される。

卒業式のように卒団における記念品の授与が行われたり、記念品目録があったり、送る言葉を贈ったり、思い出のアルバムを見たり。しっかりとしたプログラムがあって正装で参加する式。初めての経験。


チームの家族が揃うのでわいわいがやがやと賑やかで楽しい会だった。送る会なので、監督、コーチ陣、親御さん、在団生、卒団生にマイクを向けられる。


子どもたちは照れくさそうに親やチームに感謝の言葉を述べ、親御さんたちも感謝とこれからのチームへの希望を述べ、涙を浮かべる場面があったりもして。

それぞれがチームに所属した頃から今までを振り返り、思いを伝え合っていてとてもいい会だなと思った。


最後にマイクを回されたのはキャプテンでエースだったヒデ。彼のことだから何日も何日も時間を掛けて言葉を考えてきてるんだろうなと思った。


みんなと同じように、このチームで野球やれて良かったとか、練習が大変だったとか、監督やコーチ、親御さんへの感謝の気持が並んだ。

少し言葉が詰まり、深呼吸のあと

「はじめの頃、全然ストライク入らなくて、フォアボールばかりで、みんなに迷惑かけてすみませんでした。」

という言葉が続いた。



鳥肌が立ち涙が出た。


コーチとしての店主の言葉はちゃんと届き、そして、彼自身が自分の成長をしっかりと実感していることがわかる一言だった。


バッテリーで抑えないといけないと言われ続けても、フライ捕れないじゃんとか、牽制球捕ってくれないじゃんとか、チームのせいにして進んでいた時間があったと思う。


それはRAFTでの会話の節々に感じることがあったし、状況的にそう思っても仕方ないよねと思うチームだったこともまた事実。


「それでも俺が勝たせてやるくらいの気持ちでやれ」と言い続けていたコーチである店主の言葉の意味を少なからず理解したのだろう。


最後の大会、初めてコールド勝ちした試合、7奪三振、51球完投。

その成績がどれくらいのものなのかは私にはわからない。だけど「投げてて打たれる気がしなかった」と調子に乗って言っていた彼の感覚はきっと「フライ捕れないじゃん」と言っていた頃とは明らかに違っていただろう。


2年間の鬼コーチの下での練習と個別レッスンに加え、進路先の強豪チームでの練習参加で「野球観」が広がったというのは大きいだろうなと思う。

子どもの成長というものをまじまじと見せられた出来事だった。


「古市さんなんて大した事ないね」と言われちゃう日はそんなに遠くないような気がする。


浅草3丁目。


夕方、キャッチボールをする風景が残る。


ここでお店を始めなければなかった出会いがたくさんある。

浅草ブレイカーズに出会わなければ広がらなかった野球時間がある。


野球というだけで広がる会話。

人生を掛けてやってきたことがあるという事実が活かされる時間と空間。


私達二人だけではできなかった経験、起こらなかった感情が続く。


そして、マウンドには背番号1を背負うユウの姿がある。

ここからまた新たな物語が始まる。

#創作大賞2024
#エッセイ部門







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?