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お金と健康について学ぶ.18

**OWNDAYS田中修治さん著書

『大きな嘘の木の下で』読んでみた**😁

はじめに

僕は決してエリートではない。大学も出ていない。というか、中学2年生位を境に、真面目に学校に行って勉強した記憶すらも殆どない。

若い頃は、強い男に憧れてボクシングをかじり、うまく行かないと今度はモテたい、一心でバンド活動に明け暮れる、そんなどこにでもいる普通の男の子だった。20歳の誕生日を迎えた頃『お金持ちになればモテるだろう』というありきたりの考えから、なんとなくお金になりそうなことに片っ端から首をつっこみ、潰れた喫茶店を友人のお父さんから無料でかしてもらい、思いつきと勢いだけでマンガ喫茶を始めた。
素人のラッキーパンチとは恐ろしいもので、漫画喫茶は予想以上に大当たり、しかし、『驕る平家は久しからず』なんて言葉すら知らなかった僕に訪れた我が世の春は、そういつまでも続かない。
すぐに漫画喫茶は競合店に囲まれて青息吐息。その後は居酒屋を始め息を吹き返したが、携帯電話の販売店で、2億円を超える借金を背負ってあっけなくすべてを失った。その後は、デザイン会社、はやりのIT社長、WEB制作会社、ポスティング代行業に引っ越しの手伝いなど、塩っ辛い20代だった。

転機が訪れたのは、29歳の蒸し暑い夏の夜。

負債を14億も抱え毎月2000万円もの赤字を垂れ流していた瀕死の状態のメガネチェーン店『OWNDAYS(オンデーズ)』を買収したのだ。
買収したと言っても、買収金額は実質0円。
みんながさじを投げた多額の借金を個人で背負うことで社長の座に収まった、そう表現した方が正しいかもしれない。

本書では前著『破天荒フェニックス』では書かなかった、僕が20年のアップダウンを通じて得た考え方や、今までオンデーズの社員たちに伝えてきたメッセージなんかをまとめている。

最初に断っておくけど、本書は、成功者が人生の勲章の一つとしてかきあげた、いわゆる成功ノウハウ的な本ではない。

テレビや週刊誌が、プロパガンダだとは言わないけれど、溢れでる大量の情報の殆どはガラクタで、鵜呑みにしてしまうとすごく危険だ、誰しもが自分にとっての真実を用心深く見つける必要がある。

幸せ、お金、仕事、成功、人生、経営、それから男女、家族、政治、教育のウソにふれている。本書に書いた僕の考え方に、抵抗や違和感をおぼえるかもしれないけれど、むしろそれくらいでちょうどよい。ただ、いつ誰が決めたのかわからない常識という名の暗黙のルールを疑うことから、見つけられる真実というのもまた、たしかに存在すると思う。

目次
幸福論のウソ
お金論のウソ
仕事論のウソ
成功論のウソ
人生論のウソ
経営論のウソ

幸福論のウソ

『幸せ』という名の不幸の呪文

人はよく『幸せ』という言葉を使う。もう常に何かあるたびに『幸せ幸せ』とみんなが口を揃えて言う。
でも、僕は幸せという言葉は使わない。なぜなら幸せという言葉を使うと、なんだかかえって不幸が増えていくような気がするからだ。
例えば結婚式。新郎は『僕は〇〇さんを幸せにします』と宣言し、新婦の友人は〇〇さんを幸せにしてあげてくださいと新郎に期待を寄せる。最初から最後まで幸せと言う言葉のオンパレードだ。
でも、ちょっと冷静に考えてみてほしい。『幸せと感じるかどうか?』は結局相手の感じ方次第ではないのか?こちらが幸せにしたいと思って、どれだけ頑張ったとしても、その行為によって実際に相手が幸せを感じられるかどうかは、受け手の気分次第じゃ無いのか?

僕は今まで人の何百倍も努力をして、お金を人一倍稼ぎ、奥さんや子供たちに平均的な家庭よりもいい暮らしをプレゼントしてきた。僕は、経済的な心配が何一つなければ、家族はみんな幸せに暮らせるだろうと、ずっと信じていた。でも、いざ、その生活を手に入れてみたところ、奥さんも子供も、あまり幸せそうにしてくれてはいなかった。家族は僕が仕事、仕事でほとんど家に帰らず、広い家でポツンとまっている時間がとても寂しくて全然幸せじゃなかったのだ。息子が、小学生に上がったばかりの頃のある日、彼がボソッといった言葉が僕の目を覚ましてくれた。
『ゲームやおもちゃを沢山買ってくれるのは嬉しいけど、運動会や習い事の発表会に自分だけお父さんが見に来てくれないのが、一番寂しい、それならゲームなんていらないし、広い家もいらないから運動会に来てほしい。友達のお父さんのようにキャンプに連れて行ってほしい』と、彼はとても悲しそうな顔をしてそうつぶやいた。

それこそ、僕は家族を『幸せにしよう』として頑張り続けてきた。経済的に不自由な暮らしをさせないことが、最も大事な家族の幸せだろうと信じてきた。でも、その気持ちを受け取った側からすれば『お前の幸せの基準を押し付けるな』ということだったのだ。広い家や高級なレストランの食事よりも、家族が毎日揃って、お母さんの作った料理を笑いながらみんなでつつける時間こそ、僕の家族が一番欲しかったものだったのだ。

これは会社の経営でも同じだった。みんなでひたすら働いて、会社を大きくし、ライバル企業を打ち負かし、給料を増やしてあげることが、社員みんなの幸せにつながるとずっと思ってきた。でもそうではなかった。仕事をしていく上で何を『幸せ』と感じるかは100人いれば100通りの形があるのだ。それだけじゃない。何によって幸せを感じるかはその人の人生の時期、成長ステージによっても、常にコロコロと変化するものだったのだ。

そもそも幸せという言葉は状態を表すものではなく、瞬間、瞬間に感じた感情を表すものなのだ。

〇〇さんを幸せにしたい!というのは、そもそも日本語の使い方が間違っている。24時間365日幸せが続く状態なんて、それこそいけない薬でもやってトランス状態にでもなっていないと保てない。
『美味しいご飯を食べた。おいしい。幸せ』
この幸せという感情は、その前に『お腹が減った』という苦痛がないと感じることができない。
さらに、幸せというものは、『相対的』なものでより感じやすくなるという、厄介な側面をもつ。
これこそが、僕が『幸せは不幸の呪文だ』と言い続ける所以なのだが。『幸せ』というものは人と比較したときにはっきりと感じやすいのだ。
病気をして体を壊したり、交通事故にあって大怪我をしたりする人を見ると『自分は健康でいられるだけ良かったな』と幸せを感じる。『生きててよかった』と思える。政治家や有名人がなにか失敗して、袋叩きにあったり、批判されているところを見る。すると『政治家もああなっちゃおしまいよね』『自分は大した人生ではないけどあんなふうにたたかれるよりはマシだよね』『やっぱり普通が一番よ』
などと言って、幸せを感じようとする。
でも、そんなことで幸せを感じたって、自分の人生は何一つ明るくならない。しかも、この考え方の質が悪いのは、自分の人生にやり場のない憤りや不満を抱えている人は、そのうち、常に自分よりも悪い境遇の『誰かの不幸』を探し回るようになることだ。

幸せを求めるほど、かえって人間はすごく醜くなっていく。そんな毎日を僕は過ごしたいとはおもわないし、そんなことで、感じられる幸せなんて自分の人生には何ももたらしてくれない。だから『幸せ』という言葉は、僕に言わせれば、不幸の呪文なのだ。

幸せでは無く、『豊かさ』を基準に考える

幸せと豊かさの違いは、いつ誰がみても客観的に明らかだ。『人生においての豊かさ』とは何もお金に限った話ではない。30万の給料が50万円になった。これは確かに豊かさの一つだ。でもそれ以外にも、新しい知識を学んだ、新しい技術を習得した。海外に行ったことがなかったけど、見知らぬ土地に行って新しい体験をした。新しい考え方を学んだ。こういったのも全部、人生において大切な豊かさだ。そして、お互いに認識が一致する客観的なことでもある。

あなたも誰かを幸せにしようとは考えないで、豊かにしていこうと考えるようにしてみてほしい。

結局、人間は配られたカードで勝負するしかない。それが現実だ。だからこそ、今自分が置かれている状況をただ嘆き悲しみ、自分よりいいカードを持っている人を妬んでもしょうがないし、持っていない人を蔑んだり、哀れんだりしても何も解決なんてしない。自分に配られたカードの可能性を最大限に活用して、努力をして、自分がいかに成長して豊かな人生を送れるかを考えたほうが人生は絶対に楽しいし、日本の社会全体も成長し、豊かになっていくはずだ。

お金論のウソ

**お金。

誰しもがほしいと願ってやまないお金。
お金の為に、人を裏切り、人生を狂わせ、苦しみ、絶望に打ちひしがれる人は後をたたない。お金が持つ魅力は魔力とすら言える。でも、お金ってそんなに大切なものなのだろうか?今、自分を支配している『お金』の正体について疑ってみてほしい。今まで自分が大人たちから聞かされてきた『お金』に関する言葉を全部、疑ってみてほしい。
『お金』なんて紙切れだ。うんこを拭くことすら、まともに使えやしない。さあ、勇気を出して『お金』か纏っている仮面に手をかけて思いっきり引き剥がしてやれ。そして、ただの紙切れでしかないあいつの正体を白日のもとにさらけ出してやるんだ。ひょっとしたらそれが『お金持ち』になる一番の近道かもしれない。**


お金は交換のツールでしかない

あなたがお金持ちになるためには、まず『目の前にあるお金は、ただの紙だ』と認識することが大切だ。お金持ちほど実は『お金なんてただの紙切れだ』と思っている。逆にお金を持っていない人ほど『お金が大事だ』とおもっている。お金がない人ほどお金を大事に抱え込んで手放したくないと考えているのだ。
お金を沢山手に入れたければ、まずは、このお金についての幻想を取り除かなければならない。
僕も20代の頃は事業がうまく行かず、お金のやりくりがとても苦しい時期が何度もあった。電気、ガス、水道、を全部止められたことも毎月のようにあった。お金のない生活は本当に苦しいし、心を追い詰める。そんな自分を苦しめているお金の正体は、なんてことのない。ただの紙切れだ。とはいえ、粗末にしていいというわけではない。なぜならお金は重要な『交換のツール』だからだ。お金持ちになるにはお金を交換する道具として認識しなければならない。

世の中の全ては交換で成り立っている

自分が持っているものと、誰かが持っているものを交換することで、すべての人は毎日を生きている。
仕事も同じだ。仕事とは単純に言えば『自分の時間とお金を交換している』だけなのだ。
例えば、会社に対して私は自分の時間を一日8時間提供する。この8時間と交換に、会社から一日1万円を受け取る契約の場合。ただ時間とお金を交換しているだけに過ぎないのだ。そう考えたときに、その交換が割に合うと思えばそのままでいいし、割りに合わないと思うなら、その仕事をやめるか、割に合うだけのものをお金にプラスして受け取れるようにしなければならない。
人は多くの時間を無駄にしている。若い人はみんな時間が無限にあるかのように錯覚している。僕もそうだった。でも実際には時間こそ限りある資源であり、人生で何モノにも代えがたい大切なものなのだ。お金は『手に入れて失い、失っても手に入れられる』。しかし時間は『ただ失うこと』しかできないのだ。
『交換』の意味を理解すると、自分が提供できる時間の価値を再認識しやすくなる。あなたの貴重な時間を、お金にだけ交換するのなんて絶対にやめてほしい。人脈や経験、技術に知識など、お金以外の『何か』もプラスして手に入れなければいけない。時間と交換して手に入るものが何なのか?お金以外に割の合うものが手に入っているか?仕事をしている人は、もう一度よく考えて、毎日のその交換は成立しているかを考えて見てほしい。

『不利な交換』から抜け出せ

お金が誕生したその時から『お金は、そのお金自体がとても大切で貴重なものだ』そう洗脳しておいた方が、世の中の頭の良い人たち、政府や資産家にとって都合がよかったのだ。そして頭の良い人たちは、お金の役割をぼかすことで『お金は単なる交換ツールだ』という本質にみんなが気づかないようにしてきたのだ。その証拠にお金にはたくさんの表現が存在する。『あげる、もらう、買う、使う、貸す、投資する、融資する、貯める、積み立てる、稼ぐ』ほら、挙げ始めたらきりがないでしょう?これらは全部『お金は交換のツールだ』という本質を誤魔化す為に、みんなを欺くために生まれた言葉たちでしかない。
交換というメガネをかけてお金にまつわる様々なやり取りを見ていると、世の中は全く違って見えてくる。
例えば、お金を借りるという行為、これは単に自分の信用とお金を交換しているだけだ。仕事も同じだ。お金と時間の交換だ。時間を使って労働をしてもらい、その労働力とお金を交換しているだけだ。もちろん、労働力に限らない。才能や経験、人脈やアイデアなどお金を交換することもたくさんある。
つまり、給料の高い人というのは、会社にとって交換できるものを沢山持っている人だと考えればわかりやすい。時給に換算すると何万円にもなるような人は、大きな価値を抱えている人だと言える。一方で、交換できるものが時間と体力くらいしかない人は、どうしても時給は安くなっていく。単純なことだ。お金と交換する『もの』が少ないのだから。
自分の貴重な一時間と千円を交換し続けるような『不利な交換』を続けていると、いつまでたっても貧乏のスパイラルから抜け出せなくなる。時間以外に交換できる価値を沢山増やしていかなければ、給料も増えてはいかない。
お金を沢山手にしたければ、『とにかくお金は大切』『お金がもらえてラッキー』という単純な発想から『これは得な交換かどうか?』という発想に切り替えることだ。

お金持ちとは『お金と何かを交換するのが上手な人』だと考えればわかりやすい。

人生とは、常に何かしらの交換を繰り返しながら、自分の持っているものを増やしていく『ゲーム』のようなものだ。ゲームだから、プレイするほど交換の仕方はうまくなっていく。『これは不利な交換だ』『これはお得な交換だ』というのが感覚でわかってくれば、自分がどういう交換をすればお金が増えていくかもわかるようになる。
お金がなくなったことを苦にして自殺するなんてもってのほか。絶対にやめてほしい。お金には、そんな価値なんてない。神様が与えた神聖なものでもなんでもない。なくなったらまた何かと交換して手に入れればいい。ただそれだけのものなのた。

お金の意識を変えるには、まず言葉を変えることだ『100円のジュースを買う』のではなく『100円とジュースを交換する』といった具合に。すると不利な交換にも気づくことができる。

今も昔もお金は仮想通貨

ちょっとだけお金の成り立ちを振り返ってみよう。僕は専門家でもなんでもないので、詳しくは専門書を読むことをオススメして、ここでは触りに留める。
もともと、世界はモノとモノを交換する『実体経済』だった。同じ価値のあるもの同士を交換していた。『塩と胡椒がほしいから、この洋服をあげましょう』というやり取りをしていたわけだ。しばらくすると、塩や胡椒、香辛料などが『通貨』の役割を果たすようになった。古代エジプトではビールが通貨だったという。ピラミッドを作る作業員たちはみんな給料をパンとビールでもらっていたらしい。ビールの次にワイン、お茶も通貨になった。昔は飲み物が通貨として流通していたのだが、飲み物だとやはり重たい。『これを何かに置き換えられないかな』ということで、金や銀といった鉱物になり、それもまた扱いづらいので紙幣となった。しかし、
お金自体はそもそも食べられないし、なんの価値もない。最近、ビットコインを筆頭に『仮想通貨』という言葉が飛び交っている。でも、そもそも世界中に流通している紙幣だって僕に言わせれば全部『仮想通貨』だ。みんな仮想通貨で革命が起きると言っているが、革命が起きるのはビットコインなどの裏側にあるブロックチェーンの技術であって、お金に新しいジャンルを作ってデジタル表記したことなんかではない。そもそも、今流通しているお金自体が仮想でしかないのだから、そこを間違えてはいけない。

幸せと不幸せの確率

自分が幸せを感じる瞬間はどんなときだろうか?給料が増えた、結婚した、子供ができた、美味しいご飯を食べる。これらは幸せなことだろう。
逆に不幸になる瞬間はどんな時だろうか?病気をした、怪我した、借金で破産した、犯罪に巻き込まれた、家が家事になった。これらは不幸なこと。
ここでみんなの頭から抜けてしまっていることがある。それは、幸せは自分だけのものだけれど、不幸は、近親者にも影響を及ぼすということだ。例えば、あなたのお母さんが遠く離れた実家で、いつも通り美味しいご飯を食べていたとしても、あなたは、それを同じように幸せと思って味わうことはできないだろう。親族の誰かの給料が上がっても『良かったね』とは思うかもしれないが、そこから先は特に自分には関係のない話だ。
ところが不幸なイベントは、近親者にも影響が及ぶ。近親者の不幸は、自分にも大きな経済的な影響が及ぶのだ。親が病気になった!妹が犯罪に巻き込まれた!兄の家が火事で燃えた!こういったことが起こると、自分にもその不幸は飛び火する。それも近親者の数だけ。そう考えると、人間は不幸が降りかかってくる確率の方が圧倒的に高いことがわかる。
それなのに、多くの人、特に若い人ほど自分には不幸は起きないと漠然と思ってしまっている。親はずっと元気だし、兄弟は交通事故に遭うこともないと思っているし、ましてや自分はガンや大きな病気になんてならないと思っている。しかし、実はほんの数百分の1、宝くじに当たる確率の何千万倍もの高確率で毎年あなたには不幸なイベントが起きてしまう可能性があるのだ。
幸せを感じる瞬間をたくさん手に入れられるためには、お金はなくてはならない、だからできるだけ手に入れておいたほうがいい。しかし、あなたの身に不幸な事が不意に起こり、いざという時に、本当に自分を助けてくれるのは、お金ではなくて、その時までに培った自分の価値と、その価値を必要としてくれる沢山の人達との信頼関係だ。もしくは、ピンチに立ち向かう勇気だったり、知恵だったり。本当は若い時にこそ、貯金よりも、そういうお金より大切なものをたくさん身につけておかなければならないのだ。

仕事論のウソ

仕事とは、誰かの願い(真のニーズ)を叶える為に、自分が出来る限りの価値を提供する事で、『労働』とは、体を使って働く事、収入を得る目的で、体や知能を使って働くことを指す。よく仕事がつまらないといっている人を見かけるが、その場合の仕事は労働だ。プライベートと仕事を分けたい!オンオフをきっちりしたい!という人もいる。そういう人がやっている仕事も実は、ただの労働なのだ。
200〜300年前は85%の人が畑を耕していた。一生懸命、朝から晩まで、みんなで生きていく為に必要不可欠な食料を作っていた。食料を生産するのが人類にとって一番大きな労働だったのだ。しかし、産業革命が起きて、食料を作らなくて良くなった。ついに人類は労働から解放されたのだ。そこからは、みんなが遊んで暮らせるようになるはずだった。ところが結局、便利な機械は新たに無駄なものを生産し始めた。無駄を作り出すようになって、そのための労働をわざわざ作り出していったのだ。
その後科学は進化を続け、現代になり、人間が文化的なくらしをするうえで必要なものは、全て出来上がった。だから、そもそもとっくにみんな働かなくていい状況になっているはずなのに、今もなお、多くの人たちが毎日、嫌々労働を続けている。
『労働』=『仕事』という捉え方は一度捨てて、自分の使命としてやっているかどうか、自分のやりたいことかどうかで、自分の仕事をもう一度振り返って見てほしい。
例えば、消防士や警察官、自衛官や医者などはおそらく自分の仕事を労働とはおもっていないだろう。人の命を救いたい、人の役に立って笑顔を見たい、社会を良くしたい、という使命感があるからやっている人たちばかりだ。自分が交通事故にあったときに、勤務時間外だから助けにいきたくないな。今から救急車出すのはいいけど、それって残業代でるんですか?みたいなことばっかり言っている救急隊員には絶対に助けられたくない。使命として仕事をやっている人や、意味を見いだしてやっている人、楽しみながらやっているような人は多くの人から必要とされその価値をさらに高めていく。

今、世の中は様々な物事が二極化しつつある、小売業はその流れが極端に速くなっている。
アマゾンや楽天など、スマホがあれば何でも揃うネット通販のような売り方と、名物おばちゃんがいる商店街の惣菜屋さんのような『〇〇さんがいるからそこで買う』といった売り方に二極化していくだろう。その中間のどこにでもあるものを、そこら辺にいる人が適当に売るという売り方は早ければあと数年のうちに淘汰されていくだろう。

お店が人で選ばれる時代になるのは遠い先の話ではない。もう今の時代が既にそうなのだ。
だから、労働だと思う仕事はさっさと辞めて、自分の遊びとか、使命とか、何か意味のあるものに集中して、1人でも多くの人から必要とされるような存在にならなくてはいけない。

今後人が仕事をするということの意味合いは、すべての職業でかわっていく。昨今、毎日のように機械に仕事が奪われるという話題が上がる。しかし、そんなに悲観しなくてもいい。機械がどれだけ人間の仕事を奪っても、人間は結局新たな需要を作り出し労働をしてしまう生き物なのだ。ただ、必要とされる労働の質は変わっていく。いわゆる誰にでもできる労働と機械では変えが利かない仕事とがハッキリと分かれていく。そしてこの両者が手にできるお金の差は年々残酷なまでにひろがっていくことになるだろう。

仕事のやり方はいくらでも教えられるが、『やる気』だけは誰にも教えられない。やる気はあくまで自分の中から芽生えてくるものなのだ。
だから僕は、こんこんと労働の尊さをお説教することなんてしない、そんな話、僕もつまらないからしたくない。どんな仕組みや考え方、ルールを作れば楽しく仕事で遊べるか、たくさんの人に喜んでもらえるかを一緒に考えることに時間を使った方がみんな楽しいし、楽しければ、自然とやる気はみなぎってくる。
世の中の多くの人が、仕事がつまらないと嘆いている。でもこの場合、仕事がつまらないのではなくて、自らがつまらないように仕事を捉えているだけだと思う。楽しむことを放棄して自ら労働にしてしまっている。

成功論のウソ

成功とは物事を目的通りに成し遂げて自分の欲するものを手に入れること。僕は、ずっと成功したかった。だから、数えきれないほどの本を読み成功者と呼ばれている人たちのありがたい言葉を片っ端から聞いてきた。世の中に溢れる金言や成功のノウハウ。そのどれもが、ピカピカに輝く宝の地図にみえた。でもちょっとまてよ・・。
本屋に行けばあんなにたくさんの成功本が山積みされているのに、どうしてこんなに沢山の悩み苦しむ人たちがまだ存在しているのだろう?沢山の知識に触れて一つだけ分かったことがある。それは、誰もが成功に辿り着ける宝の地図。そんなものは最初からこの世に存在していないと言う、悲しい現実だった。

成功はアート、失敗はサイエンス

世の中のビジネス本のほとんどが『成功本』だ
。なぜあれほど成功にまつわる本が売れるのだろうか?その答えは簡単だ。なぜならいくら本を読んでも成功などできやしないからだ。
ダイエット本も同じだ。世の中に成功本とダイエット本が溢れている理由は、どの本を読んでも痩せられないし、成功もしないからだ。
ソフトバンクの孫正義さんの本を読むと、やっぱり成功する人って、ハングリーで、人並み外れた苦労をしている。虐げられてきた人ほど、それをバネに成功できるんだと思う
一方、楽天の三木谷浩史さんの本を読むと、親が大学教授で、お金持ちだと環境もいいし、学歴があって、チャンスが溢れていたから成功できたんだよねと思う
まるで、正反対の環境だ。でも両者とも日本を代表する大企業を短期間で作り上げている。つまりハングリーでも裕福でも、どちらの道を通っても、なる人はなる。育った環境には関係なく出来る人は社長になって同じ一兆円規模の会社を作ることができるのだ。貧乏だろうがお金持ちだろうが、学歴があろうがなかろうが醜男だろうがイケメンだろうが、やる奴はやる、やらないやつはやらない。成功するパターンなんて千差万別。誰でも使える必勝法なんて存在しない。

成功体験の共有にはあまり効果がない学ぶべきは『失敗パターン』

成功を学ぶことよりも大切なことは『失敗を管理』することだ。大切なのは、勝ち方を考える前に、負けそうな要素を片っ端から潰していくようにすることだ。
ビジネスに限らず、恋愛でも一緒だ。モテない男、嫌われる男には共通点がある。それを取り除けば、少なくとも嫌われはしない。惚れられるかどうかはわからないけれど、少なくとも嫌われることはない。
嫌われる男の共通点は決まっている。清潔感がない、体臭がする、フケが出ている、口が臭い、自分の話ばかりする、相手の話をすぐ否定する。女性とご飯を食べるときに、口や体が臭くないからと言って、それだけで惚れられることはないけれど、口や体が臭かったら嫌われる確率は相当高くなる。少なくとも嫌われるポイントさえ取り除いておけば、好かれる可能性に辿り着ける確率は格段にあがるのだ。
野球でもサッカーでも、点を取られなければ負けはしない。ビジネスも赤字にさえならなければ潰れることはない。だから一番多くの時間を割いて学ばなければいけないのは、とにかく『他人が起こした失敗』なのだ。
みんな、勝ち方ばかり研究するから勝てないのだ。勝つためには負け戦を研究しないといけない。孔子も諸葛亮孔明もユリウス・カサエルもアメリカ軍も、強い軍隊は負けた戦を研究している。みんな勝った方ばかり研究して再現しようとするから負けるのだ。

チャレンジできるようになりたければ毎日違うドリンクを飲め

誰もがみんな、自分の人生をもっといい方向に変えていきたいと心のどこかで思っている。そのためにはチャレンジをしなければいけないこともわかっている。ただ一歩を踏み出す勇気がなくて、つい思いとどまってしまう。あなたもそんな経験をしたことがあるのではないだろうか?
世の中に溢れる無数の成功本やビジネス本の類は、結局行動しろの一言、行動した奴が勝つといっている。『そんなの分かってるよ。でもその行動が起こせないから困っているんじゃないか!もう少し具体的なアドバイスをくれよ!』と思った人も多いと思うので、具体的に行動を起こせるようになるアドバイスをする。

行動を起こせるようになるためには、毎日違うドリンクを飲めばいい

人は自分で自覚せずとも、全て、規則性を持った行動を取るように無意識のうちに選択している。全てパターン化しているのだ。食事や睡眠だけでなく、人生のあらゆることが、自分の中で無意識の中でパターン化されている。

通勤や通学の途中で、毎日同じ場所にあるコンビニにいき、同じ棚の同じドリンクを同じ時間に買う。靴だったら右足から履く。家に帰ったら服を脱ぎ、テレビをつけてから、冷蔵庫を開けて、同じビールを同じ側の手で開け、同じ間隔で飲む。電車なら乗る車両の位置、通る改札は右から3番目、歩く道順、使う階段、全部規則的に同じ行動を繰り返し、実はみんな無意識のうちにロボットみたいな生活をしているのだ。

さらにそのルーティンは年齢を重ねるたびに増えていく。老人になったらもう、日常をビデオに収めても何月何日のいつの行動か全く区別がつかないほど、『すべてが規則的な毎日』を送るようになる。そういうロボットのように規則的な生活を送っている人が、いざ『転職しよう』『独立しよう』と思って行動を起こそうとしても、なかなか動けないのなんて当たり前だ。

いわゆる『リスクを取る』という行為は言い換えれば『今までと違う行動を取り、せっかく作り上げた自分の規則性を壊さなければならない』ということになるから、心理的にすごく抵抗を感じるのだ。

人間の本能は原始時代の生活を引きずっている。見たことがない道を歩くことは獣に襲われるリスクが高く、食べたことがない食べ物を口にすれば毒で死んでしまうかもしれない。人間の本能はリスクを避け、安全に寿命を全うし、子孫を残すという目的しか持っていない。経済的な成功は、生きる上で必要なこととして人間の本能には刻まれていないから、今普通に生きられているのなら、わざわざ未経験のことをして、生存のリスクを冒すことに本能的な恐怖を感じて避けようとするのだ。

だから僕はまず毎日違う飲み物を選ぶことから始めるようおすすめする。知らないうちに自分の生活に刻まれた無数の規則を破壊して、今までと違う日常になることを受け入れて、挑戦やリスクの高いことをする。そのために、心理的ハードルを下げるには、これが一番手取り早くて簡単な方法だ。

飲み物を変えられるようになったら、同じ要領でどんどん変化をつけられるように気をつけていけば、さらに行動力を身につけるスピードは速くなる。

飲み物や昼飯のリスクすら取れないような人が、人生に関わるリスクなんて取れるはずがない

人生論のウソ

人生において『選択』にはあまり意味がない
右に行こうか?左に行こうか?前に進むか?立ち止まるか?どっちにいっても結果はほとんど変わらない。果たしていく末は、天国か地獄か?運命の狭間に立つような人生の岐路なんて全ては幻想だった。そんなの悩むだけ無駄だったんだ。

人生における選択の先には、どちらも天国と地獄が待っている。

自分が選択した道が間違いじゃなかったと思えるかどうかは、そのあと、どう行動したかが大事だし、その選択が正解になるのも間違いになるのも自分の行動の結果でしかないのだ。

では選択に悩んだ時は、何を基準に選ぶべきか?
僕は『迷わず面白いと思う方を選べ』とアドバイスしたい。面白ければハマれる。どちらを選んでも結果は自分次第。天国も地獄も両方あり得るのだから、せめて面白いと思う方を選んだ方がいい。全ての努力や才能も、夢中という力には敵わないのだ。

経営論のウソ

社員の不満を解消しようとするのは無駄
スタッフの不満は解消しても解消しても、決してなくなることはなかった。給料が安いと言われたので、競合他社に見劣りしない基本給へと限界まで引き上げた。今度は残業代が安いということで基本給に割り増で支払った。今度は人が足りないから残業をしなければいけない!人を増やして残業そのものをなくせ!という不満がおこった。人員を増やし残業時間を減らすようにした!すると今度は別の場所から残業代をあてにしていたのに、給料がへった!どうしてくれるんだと不満をいわれた!
不満はいくら解消してもなくなりはしないのだ。不満とは、考えなしにただ解消してあげれば、それでみんなが満足するという類のものではなく、人々が成長するための唯一無二の大事なエネルギー源であって、自らその不満を解消し成長できるようにうまく点火することが大切だったのだ。
不満を解消しても一向に不満がなくならない現実を前にして、ようやく僕は気がついた。
会社にとって一番大事なのは、関わる人たちの不満を取り除くことではなく『納得』してもらうことなのだということに。
その人が自分で解決していかなければいけない『課題』として向き合っていけるように、不満を感じていることの『原因と解決方法』を明確に示してあげること。

人の上に立つという時代遅れの発想

どうやら世の中の多くの人は『出世』=『人の上に立つ』ということだと解釈しているっぽいが、この考え方は根本的に間違っているし時代遅れだし、なりより偉そうで気持ちが悪い。

人の上に立つという傲慢な表現は、上に立たれて下になった側の人の気持ちなんて、一切考えていない。自分が下のときはその状態を快く思っていなかったくせに、その人から望まれていない上の立場になりたいというのは、なんだか階級社会的、差別的で考えた方の性根が腐っていて気持ちが悪いので、口にしない方が良い。

OWNDAYSでは、出世することを人の上に立つとは定義していない。『中心に近づく』そう定義している。ピラミッドではなく円。
その円を回している1番の中心は社長である。当然円の中心に近づけば近づくほど、回転の速度は上がっていくし熱量も上がっていく。外側よりも激しくハードだ。熱量の高い人、速度の速い人が、円の中心にたくさん集まれば集まるぽど、その円の全体はより早く、どこまでも力強く回転していくし、より大きく膨らんでいく。
出世するとは、人から必要とされることでもある。中心に行くためにはその円に所属する多くのは人から必要とされなければならない。人から必要とされていない人が中心にいたら、その円は決して力強くは回らない。

目的と手段を履き違えたとき、会社は倒産に向かって走り出す

『企業理念が大事だ』こんなことは、経営に関して何か一つでも勉強しようとしたなら、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。会社は自分たちがどんな目的の為に会社を存在させているのか?企業理念という形で言語化してすぐに定める必要がある

目的と手段を履き違えたとき、組織や集団はあらぬ方向へと突き進んでいってしまう。

『目的』=実現しよう、成し遂げようと目指す事柄。最終的に到達すべきこと。

『目標』=意図している事柄を達成するために設けた目当て、具体的に達するべきこと

『手段』=目標に到達するために、取るべき具体的な方法。

国語辞典などをひくと、こんなふうにかいせつされている。しかし、この説明には大事な部分が欠けている。見逃してはいけない特徴がある。それは、

『目的=達成できない』『目標=達成できる』
『手段=達成できない』

OWNDAYSの例を挙げながら具体的に解説していこう。

目的『関わる人を豊かにする』
目標『売り上げ1000億利益100億』
手段『メガネを販売する。世界的なアイウェアブランドを作る』

まず目的から見ていこう。『関わる人を豊かにする』という考え方は、達成ができない。なぜなら『豊かにすることに終わりはないから』

次に、目標の『売り上げ1000億利益100億』これは達成することができる。目的である『関わる人を豊かにする』ためには利益を出さなければいけない。もちろんその行為にも終わりはないのだが、目標として具体的な数字を掲げた時点で、それは達成可能なものになる。

最後に手段の『メガネを販売する。世界的なアイウェアブランドをつくる。』これも目的と同じで達成することができない。メガネを販売し世界的なアイウェアブランドになるのは、これも目的と同様でどこまでいっても終わりはないし、達成もしない。

整理すると、関わる人を豊かにするために、売り上げ1000億円を目指す。その手段としてメガネをうり、世界的なアイウェアブランドを目指しているわけだ。

そう、目的と手段はどちらもその行為にどこまでいっても終わりがないので、とても似ているそして、この似ているのが企業経営にとっては大問題であり、多くの経営者が道を間違えて、企業を倒産させてしまう原因となる癌でもある。あくまで目的に向かうための一つの手段であったはずなのに、いつしか手段に囚われてしまい、気づけば本来の目的を見失い、手段が目的化されてしまうケースは枚挙にいとまがない。
『業績が悪化したので社員を大量にリストラします』こんなニュースはその典型だ。
メガネ業界でも。同様のニュースを耳にすることがある。業績不振で人員を大量にリストラするという。そうまでして守った『メガネの販売』という事業になんの意味があったのだろうか?そして悲しいかな、それらの企業は結局倒産してしまった。
メガネ販売の事業が伸び悩み、利益が出ないなら、リストラすべきは仲間じゃなくて、メガネ販売の方なんじゃないか?僕のやるべきことはみんなで儲かりそうな別の事業をすることじゃないか!

会社は常にOWNDAYSに関わる人たちが豊かになれることだけを目的にしている。そのための手段はたくさんあった方がいい。そのために新しい可能性をいつも模索している。

あなた自身も、目の前の競争や目標に取り憑かれて、目的と手段が入れ替わっていないかを一度立ち止まって確認してみて欲しい。



以上でーす🤗

最後まで読んで頂きありがとうございました!
本を読んで、自分が気になった部分のみ抜粋しています。読んでいて、かなり気づきの多い勉強になる内容だったので、共有します✨

特に成功論のウソで言われていた、日常が同じルーティンで繰り返され、普段と違う行動を取るリスクを取れない人に、人生の選択を迫られるリスクが取れるはずがない!!確かにそうだなと納得しました。今は、自分も毎日違う行動に挑戦しています🤗本の詳しい内容が気になったかたは、買って読んでみてください!おすすめです!!またね♪


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