優しいけど、優しい人じゃない
涙が止まらない。
「おまたせ。これ、よかったら」
ぐずる私を見かねて帰っちゃったか、と思ったけど違った。
「手、冷たいよ。ほら、あったかいでしょ」
彼は流れるように私の手をとり、改札横のコンビニで買ってきた「ほっとゆずハチミツ」を私の手に握らせた。
「……ありがどう。あっだがい」
ひどい声。鼻水が垂れてる気がする。
それでも彼は私を笑ったりしない。優しく微笑んで、すかさずポケットからティッシュを取り出してくれた。
彼は優しい。
私は先週からバイトを始めた。本が好きで、静かな場所が好きだから本屋のバイトを始めた。大学4年になって、人生で初めてのバイト。
でも、初日にやらかした。何をやらかしたのか、一生誰にも言うまいと心に誓った。だから言わない。彼にも言ってない。とにかく、やらかした。
デートの別れ際、なぜか急にそのやらかしを思い出した。この時点でちょっと泣きそうで、彼がこのことを知ったら絶対私のこと嫌いになるだろうなと思ったら、勝手に涙が出てきた。
「大丈夫?少し落ち着いた?」
うん、と小さくうなずく。
彼は安心したようで、そっと私の頭をなでる。
「つらいことがあったら話してね」
「……ありがとう」
でもごめん。これだけは絶対、一生、誰にも言わないって決めたから。
私が謎に意地を張っていることを知ってか知らずか、彼は仏のような笑みで私の頭をなで続ける。
なんか、ムツゴロウさんみたいでジワる。
「ん、どうした?」
「ううん、なんでも」
「よしよし、いいこいいこ」
その言い方があまりにもムツゴロウさんすぎて、思わず吹き出してしまった。
「うわっ!」
「んへっぅ、ごめん……」
「……」
「……」
「……『ほっとゆずハチミツ』を開ける前でよかったわ。笑」
彼なりのジョークも優しかった。
改札の向こうへ小さくなる彼に手を振る。
別れ際、ありったけのポケットティッシュをぜんぶ私にくれた。
男の人のカバンって何が入っているのか不思議だったけど、女の子が泣いたときのためにポケットティッシュを詰め込んでいたのね。
今日は小さいバッグだから、ぜんぶ抱えて持ち帰らなきゃいけない。
まだ開けてない「ほっとゆずハチミツ」は、ぬるくなってきた。
本屋のバイトは、二度と行かないと思う。
彼は優しい。
でも、たぶん優しい人じゃない。
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