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Inu

小5の時に引っ越しをして、今思えば片手で足りるキロメートルの移動でしかなかったけど、当時の俺には文字通り新天地、夢のマイホーム庭付きの一軒家と一緒に、我が家に犬がやってきた。すでに2歳そこらの雌の成犬で、血統書付きの柴犬だった。その血統書がまるで一等賞みたく額縁に飾ってあった事もあり、俺はその事をなぜか誇らしく思っていたのを覚えている。転校先の新しい友達にそれを自慢した事もあったように思うが、その時の友達の顔は思い出せない。多分記憶に残す必要が無いほど微微とした表情だったんだろう。
まもなく庭の一角には犬小屋が置かれ、庭は犬のものになった。越してきた当初に生えていた天然芝はあっという間にほじくり回され、数回の植え替えの後、人工芝にすげ変わった。おとん気合い入れて芝刈り機まで買ってたのに。

帰ってきて玄関の門を開けると、庭の奥から犬がダッシュで迎えに来る、そんな生活が始まった。
ダッシュはそのまま逃走に転用され、隙を見せれば玄関の門の隙間を駆け抜け去って行くから、門は必ず閉める、育ちの良い癖が付いた。裏口の戸を破壊して脱走した事も数知れず、一度和歌山にある祖母の家に連れて行った時、逃げよって、2日ぐらい行方が知れず、もうダメかと思ったこともあった。車で探し回ってたら、車の多い国道をベロ出してとぼとぼ歩いておった。
弟は反抗期、姉は犬嫌いで(もちろん姉なりに可愛がってはいたが)必然的に散歩は両親か俺の仕事だった。弟が何故か頑なに散歩に行きよらなかったから、一回シバき回した事もあった。物心付いて以来で弟に手を上げたのは、この時だけだ。
また、父は犬が家に上がることを拒んだ。雨の日などは、玄関の三和土に犬を入れて世話をしたが、そこから上がることは断固許さなかった。一度犬が玄関を上がり廊下に闖入した時、父親が犬を三和土に蹴り飛ばす形で押し戻すのを見て 、ああ、この時ほどの激情は他に覚えがない。

中学に上がり、高校に上がり、学校から帰るとまず餌をやり水を替えた。家の庭に犬が居ることは当たり前になり、この時になると犬にばかり構って遊ぶような事は無くなっていた。犬の存在は俺の日常をなんら異化するものではなかった。犬はあまりにも当たり前にそこに居た。

その後、俺は浪人した。
勉強してんのか、してないのか、よくわからんが、システム英単語だけはいつでも小脇に抱えていたある時、弟が同級生の女の子を連れてきた。そいつはベージュのカゴを持ってきて、そのカゴがなにやらピャーピャー言っている。

そういうわけで、保護猫を引き取ることになった。生後一週間とかそこらのようで、これがもう、ホンマ、死ぬほどカワイイんです。ビビります。「こんな生き物がいるのか」と言った。それから我が家は猫を中心に回りだした。猫が中心の人動説。犬は庭でうろちょろ。
そうして俺も猫にほだされながら、一方で犬と猫との家族の扱いの格差に気付き、なんとなしに不服の感もあった。

さて、猫は家の中で生活をする。これを受けていくらか変化があったのは、犬に対する父の態度である。ある程度の犬による玄関からの侵攻を許すようになったのである。居間にある猫の餌は、犬の餌に比べいわばジャンキーな味付けであるらしく、これを齧るため、出入りの隙間をぬってしばしば居間まで犬がやってくるようになった。猫の餌を文字通り犬食い、食い飽きたかと思うとさんざ横取りされた張本人たる猫を追いかけ回すなどしててんやわんや、再び我が家での存在感を取り戻していった。

それから大学に通うため下宿を始めた俺は、なにかの折で実家に帰ってきたある時、犬と散歩をした。沈みかけた太陽に照らされながら、いつものコースをぐるりと一周、帰着まであと数mの地点で、先導していた犬がコロンと倒れた。ブルブル痙攣して、目は飛んでいた。
俺は、突然で、怖くて、何もできなかった。10秒、20秒、どれぐらい経ったのか、痙攣が止んだと思うと、犬はただただ寝てました、みたいに立ち上がって、歩き始めた。

俺は帰るとすぐに父親に話して、動物病院に直行した。おそらく癲癇であるという事だった。犬は老年になると癲癇を患う事が多いらしい。
思えばその半年ほど前から、散歩中座り込んで歯を食いしばり出したり、滅多に庭で漏らさない小便を玄関先のタイルに撒き散らしていたり、不自然な事はあったように思う。しかし何も疑うことはしなかった。犬は当たり前のようにいつも、実家の居間から庭を見れば、寝そべってガムを噛んでいる。そう思っていた。

病院から帰ってふと犬の顔を見ると、頬が垂れて口角が下がり、キレイな小麦色だった毛並みも褪せている事に気付いた。犬はいつの間にか歳をとっていた。

癲癇になった犬は、それから長く生きないらしい。母親がそう言っていたのを聞いた。俺はそれを信じなかった。
それでも、一月に一回程のペースで実家に帰ると、見るたび犬は弱っていた。階段の登り降りができなくなり、歩くこともままならなくなっていった。

初めて癲癇で倒れたあの時から半年と少し経った頃、犬は死んだ。
俺は下宿先でその報を受けた。「帰ってくるか?」と言われたが、俺は帰らなかった。死に顔を見ても、何にもならないと思ったから。

それから数ヶ月後、大学が長期休暇に入り、俺は実家に帰った。玄関の門を開けても、犬は出迎えなかった。庭を見ても、寝そべってガムを噛んでいる姿は無い。犬小屋のあった場所には、ぽっかりと穴が空いたように、何もなかった。うちにはもう、犬はいないらしい。犬は死んだらしい。やっとそれが理解できた。犬は死んだ。もう、いないのだ。

思えば夏も冬も外飼いで放ったらかし、躾も上手くやらなかった。YouTubeで室内飼いの愛情たっぷりで育ちましたって犬なんか見ると、もっと構ってやれたんじゃないかとも思う。もっとしてやれる事があったんじゃないか。

それでも、あんなけ割合い広い庭、ドッグラン独り占め状態で悠々自適に過ごさせたんだから、そこそこ幸せな人生だったんじゃないかとも思う。
ああ、そっちのほうがいい。
人やら犬やらの幸不幸なんて、その人生の良し悪しなんて、他人が勝手に決めることじゃない。まして良くない人生だったと決めつけられるなんて最悪だろう。
うちの犬はやっぱり幸せだったと思う。決めつけるわけじゃないが、少なくとも俺はそう思う。
そして散歩に行かない姉弟も、三和土に蹴り出す父親も、もちろん母親も、結局はそれぞれの態度でそんな犬を愛していた。

それからもう4年くらいになるだろうか。ぽっかり空いた穴にはもう日常が流れ込んで、空洞はすっかり均された。それでもふとした時、庭の一角にあるはずの犬小屋や、日向ぼっこをする犬の姿を探してしまう事がある。今でも、覗き込めば日常の水底に、穴の輪郭が見える。

我が家の庭は、今では父親がゴルフの素振りをしたり、たまに炭火で魚を焼いたりする程度の場所になった。そこに住み着き根城とする主はもういない。
庭は未だ、他の誰のものでもない。



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