見出し画像

東出を観る・6『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』

 東出昌大は脇役でも光る。

 たとえば、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』で、東出は、主人公・福士蒼汰のただの友人を演じている。ただの友人。そのひとり。設定上はそうだと思う。しかし東出の独特な存在感がそれを許さない。ちなみにこの映画の主人公は福士蒼汰に加えてもうひとりいて、というか福士蒼汰と小松菜奈のカップルが主人公なのだが、この小松菜奈が、とくに序盤、なぜかやたらと不審な空気をかもし出している。むろんそれにはちゃんと理由があり、実は「ふつうの人と時間の流れが逆」というとんでもない宿命を背負っているのである。その事情を隠しつつ周囲や福士蒼汰と接していた。だから不審だったのだ。なるほどそうだったのか〜。そう納得したとき、あっ、この納得感こそが、主人公カップルを応援したいという気持ちにつながるの、へ〜、感情移入ってこういうラインからも可能なのか〜、と素朴に思った。

 それはそれとして話を戻そう。

 タイトルの『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』という不思議な時制の言葉は、つまり、福士蒼汰から小松菜奈に向けられる言葉である。逆に、小松菜奈にとっての《明日》は、福士蒼汰にとっての《昨日》ということになる。ややこしいが、説明はちゃんとある。説明されれば理解ができる。それがわたしたちと物語との一般の関係である。

 物語の冒頭の《ある日》、福士蒼汰は小松菜奈にひと目惚れをする。しかしその《ある日》は、小松菜奈の視点から言うと、長いあいだ一緒に過ごしてきた恋人・福士蒼汰との《別れの日》である、という書き方で伝わるでしょうか。誰にも共感してもらえない悲しみを隠しながら小松菜奈は生きる。そりゃ不審にもなるだろう。がんばれ小松菜奈。負けるな福士蒼汰。ふたりならきっと乗り越えられる。

 と、ここでふと登場人物たちを見回すと、小松菜奈のほかにもうひとり、不審なムード、というか妙な存在感をまとった者がいる。まさか。あいつなのか。なぜだ。なぜムードをまとっているんだ。

 東出よ。

 東出の役は、あくまで「なんの変哲もないただの友人」だ。ムードをまとう必要がない。いや、ひょっとして東出も小松菜奈同様に「ふつうの人と時間の流れが逆」なのか? そう思って慎重に物語を追うも、東出が秘密を打ち明けるシーンはついに訪れず、東出を主役としたスピンオフ製作のお知らせが挟まれることもなく、映画は終わった。ここでわれわれはいくつかのことを知った。すなわち、

 東出は不審な人ではなかった。
 不審に見える、ただの人だった。
 異様なムードは、観客が理解する物語すら変えてしまう。

 いや、ほんとうにあれは無意味なムードだったのだろうか、といまでも思うことがある。あのムードにはなにか理由があったんじゃないか。本編では言及されなかったが、なにか裏設定があるのではないか。でないと、あんなにムードを出していた説明がつかないじゃないか。説明してくれ。あれはいったいなんのためのムードだったんだ。

 いつしかわたしは、東出(の演じる役)が、自分の中で妙に輝きを増してきているのに気づいた。なんだこれは。すでに映画は終わっているのに。そうか。これは映画本編が終わっても観客の心に生き続ける、新しい延命演技プランだったのだ。なんてことだ。策略である。ちくしょう、映画(体験)をおもしろくしやがって。東出め。

 ありがとう。

『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(三木孝浩、2016年)


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?