声が隅ずみまで届く東京だ
2016年、東京体育館で行われたいとうせいこうさんのフェスに、親しいコントユニット・テニスコートが出演した。とんでもない大舞台だ。わたしも出演したかったが叶わず、その代わりこっそり入手したスタッフパスを駆使して客席や楽屋にもぐりこみ、ここぞとばかりにスチャダラパーだの岡村靖幸だの全アーティストをリハーサルから凝視、楽屋のケータリング全種類を食べた。とてもいいフェスだった。
しかし、あまりにスタッフパスを駆使しすぎたのか、気がつくとわたしは、音響スタッフのひとりとしてネタ中の効果音を再生する仕事を与えられていた。ほんとうは出演したかったのに、気づけばなぜか効果音を再生していた。ほんとうになぜだ。決して望んだ形ではなかった。
デッキの再生ボタンを押すと、効果音の銃声が鳴った。と、文字にすればそれだけだが、それは特別な体験になった。なんせ会場は収容人数1万人の東京体育館である。その空間を満たす一発の銃声は凄まじい音量で、もはや銃声ではなかった。かといって爆音、爆発音でもない。
爆発そのもの。
ただの効果音なら、それこそ、小さな劇場で聞く銃声なら何度か経験はあった。しかし、そのときのイメージがあるからこそ、爆発のすさまじさに度肝を抜かれてしまった。それが自分の指先ひとつで起こったのも大きかっただろう。もはやわたしは音響スタッフではなく、さながら爆弾魔の気分になっていた。というかほんとうは音響スタッフでもなかったのだが。
もしかするとステージに立つより得がたい経験だったかもしれない。そう思い込むことでわたしはなんとか冷静を保った。出演できなかった負け惜しみだ。思えばそのような負け惜しみ的態度はしじゅう出続けていたかもしれない。なにしろいとうせいこうさんにはそれから「あのときのふてぶてしい今田くん」と呼んでいただけるようになった。
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