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親のレール

反対側のホームには、
劣等生の僕が居る。

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最近、よく耳にする「毒親」や「親ガチャ」

これらの比較を要する言葉の誕生は、
SNSの発達や動画配信サイトの普及で、
他者と比べられる時代になったからなのかな。

その当時の僕に比較対象があったとして、
僕は両親を毒だと思うのだろうか。

✳︎

僕は幼少期から大学まで、
親のレールに沿って人生を歩んだ。

両親は自分たちのレールを、
子どもに歩ませる為ならなんだってさせた。
塾・英会話・ピアノ・水泳etc
それらを全うしていれば、
僕が何をしようが、どう生きていようが、
興味はなく、テストの点数が全てだ。

中学3年の夏休みが終わりに差し掛かる頃、
1日だけ家出をしてみたこともあったが、
変化が無いどころか親は気付きさえしなかった。

ただ蚊に刺されただけで終わった家出。
無情にも赤い斑点だけが残る。

そんな僕もやりがいを持たないまま、
こなす日々を過ごしていた。

高校生になってもやはり、
さして変化は無かった。

ただ両親は立派な高校に進学したから、
周りに影響されて必然的に勉強するだろう。
と思い込み、塾には通わせなかった。
兄の成功体験もあったのだろう。

ただ僕には目標や夢がない。
勉強をする意味も、高校に通う理由も、
僕にとっては無価値に感じてしまう。

徐々に徐々に劣等生の僕が加速する。

通学する電車とは逆のホームに行き、
当てもなくダラダラ電車に乗る。

MDには英会話が収録されている。
目を瞑れば、外国気分。

どうせ当てがないのなら、
このままどこか別の国へ
連れて行って欲しい。

そう願っていたのかもしれない。

高校に行ったり行かなかったりをしている内に、やがて僕に対する同級生の見る目も変わる。
まるで汚物のように扱い始めた。
「あいつ、高校の入試1位やったのに」
「大学行く気ないやろ」
「落ちぶれた、邪魔者」

僕は僕で彼らを兵隊のように
「良い大学」と唱えていることに
違和感と多少の苛立ちを覚えていた。

✳︎

そんな僕にも目標を掴むきっかけが出来た。
そのきっかけはテレビでやっていた、
「インドvs日本 クリエイター対決」だ。

今でも詳細が映像として残っているほど、
インドのクリエイティブに刺激を受けた。

「インドに行きたい!」
僕はそう思ったが、親には言えなかった。
親のレールが全てだと思い込んでいたから。
親のレールが正しいと信じていたから。

勇気を振り絞り高校二年生になった頃、
三者面談で「インドに行きたい」と伝えた。

親は泣いた。
先生は驚いた。

「大学卒業後にしたら?」と先生は言った。
親も先生と同意見だった。

二人の話をかいつまむと、
「進学率を下げたくない」
「良い大学に進学した実績が欲しい」
ということだった。

僕が劣等生になっているにも関わらず、
先生と親はご丁寧に大学を用意した。
そもそも僕に選択の余地は無かった。

親はその日から僕を居ない者として扱った。
国立に進学すると思い込んでいた息子が、
「インド」とは夢にも思わなかったのだろう。

ふと、草枕の冒頭がよぎる。
「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」

✳︎

今でも高校行きの電車に乗るたびに、
劣等生の僕がMDを片手に
反対のホームから手を振っている。

「そっか、インド行けなかったんだね」と、
どこか悲しそうに、どこか物憂げに。

大学在学中はもうすでに、
「インド熱」が冷めてしまっていた。

一過性の熱。
親はそれを見越していたのかもしれない。
もしくはそういう風に育ったからか。

「愛」ではなく「教」の森で育った幹は、
脆く崩れてしまいやすい。

今もどこかで、
夢や目標という名の幻影を追っている。

どうせなら僕の人生すべてに、
レールを敷いてくれれば良かったのにな。

メガッパ

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