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なぜデジタルイラストを描かなくなったのか

皆さま、お元気ですか? オリヴィエ・ラシーヌです。
危険な暑さという言葉で、耳にタコができそうですね。
もはや夏の風流などないのではないかと思うほどの陽気です。
お互い、体に気を付けて過ごしましょうね。

今回はイラスト制作に関わるお話をお届けします。

 見栄えが良かったり、時短できたり、どこでも描けたりと、デジタルイラストのメリットはたくさんあります。
かく言う私も、カラーのラフや線画のためにイラスト制作アプリを使用しています。

しかし、最近は作品そのものにデジタル技術を使うことがなくなってきました。
以前はもっぱらデジタルイラストを描いていたのにも関わらず、です。

その理由を、意識の言語化もかねて、創作姿勢の一環として打ち明けたいと思います。

 おそらく、そこには単に、絵の具や紙を「消費する」という敷居の高さを払拭することができたということもあるでしょう。
デジタルイラストを制作するにあたって、消費されるものは時間と電気代くらいなもの。
ですが、アナログイラストを描くにあたっては、目に見える用具の消費もさることながら、筆圧や消しゴムがけによる紙の消耗もあります。
絵が完成する前に紙が弱ってしまい、途中放棄せざるを得ないなんてこともあるわけです。

 こうやって羅列するとますます、敷居が高く感じますね。
今からアナログイラストに挑戦しようと思っている方に躊躇させるような表現になってしまいましたが、ご安心を。
紙を傷めず線画のペン入れに到達する方法があります。
先ほど、線画のためにイラスト制作アプリを使うとお伝えしましたね。
それを利用するのです。

まず、デジタルで作った線画を安い紙(裏紙でも可)に印刷します。
次に作画用紙(私の場合は水彩画用紙)の上に配置・固定して、鉛筆で線画を強くなぞります。
なぞれたら最後に、作画用紙に圧痕として残った線画をペンでなぞります。

この工程によって、ペン入れ時点での作画用紙の摩耗を、ほとんどない状態にすることが可能です。

作画用紙に圧痕をつけるなんて、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、色を塗ってしまえばさほど気になりません。
ちなみにこの方法は先日、山本二三先生の展覧会に訪れた時に気付いたものです。
それ以前はカーボン用紙を使うしかないかなと思っていましたが、山本先生の作画用紙に圧痕として残る線画を発見したもので、
「あ、これもありなんだな」と。
先人の知恵ですね。

 失礼。描き方講座みたいになってしまいました。
話を戻しましょう。

アナログイラストの敷居の高さを払拭できた一番の理由。
それは、やってみたら思ったよりも楽しかったからです。
単純すぎるので、ここは後で掘り下げましょう。

残りのほんの少しの理由は、自信がついてきて踏み出す勇気が湧いたから。
普遍的な話ですが、よりリラックスしたパフォーマンスには、トレーニングが必要です。
それによって自信が付き、さらに踏み出す勇気も芽生えます。
これはピアノの先生から教えていただいたことです。

行き詰まることもありますが、各方面の先生方がおっしゃるように
「落ち込んだり、行き詰まっている理由を考えたりするのではなく、まず手を動かした方がいい」というのが、描いていれば無心になれるというのもあって、私にはあっていました。

こうやって振り返ると、本当にいろいろな方の教えに支えられていますね。

 さて、ここで先ほどお伝えした一番の理由、「やってみたら思ったよりも楽しかった」という意識を、ちょっと深掘りしてみようかと思います。

突然ですが私、実は修行というものに憧れがあります。
ここでいう修行というのは、なにか特定の宗教に対する姿勢という意味ではなく、精神的な向上を目指すという広い意味のものです。

「己の現状を打破するという目標を、時に苦を伴う鍛錬によって成す」という、修行に対するあこがれ。
それはきっと、私自身が己に課している「三年前の自分に誇れる状態であり続ける」という、生きるための目標に関わっていると思います。
この話はまた、機会があればお伝えするかもしれませんが、あまりにも長くなるのでここでは割愛させていただきます。

話を戻すと、芸術や武術に挑むことは、現在の実力への挑戦であり己の精神との闘いでもありますから、修行に値すると思っています。
私が芸術や武術に惹かれるのは、おそらくそういう部分が理由なのです。

 ここで今回の、なぜイラスト制作をアナログでするようになったか、ということに関わってくるのが、冒頭で出てきた「メリット」という言葉です。

なにかとなにかを比較して、そのどちらかを選択するための指標としてあげられることの多い、メリットとデメリット。
これって実は、修行という目的に対して相容れない価値観なんじゃないかと、私は思うわけです。

先ほどお伝えした通り、修行というのは、「己の現状を打破するという目標を、時に苦を伴う鍛錬によって成す」ものではないかと、私は考えています。

そうすると、「苦を伴う」ということはどうでしょう。
メリット・デメリットどちらかといえば、デメリットに値してしまうのではないでしょうか。

私が修行によって目指しているのは、便利さやタイムパフォーマンスといった、資本あるいは物理的主義的な生産能力の向上とは違います。
善悪正誤ではなく、目指すところが違うということです。

ですから、
「メリットの多いデジタルイラストが、私が求める目標に対する手段としては、ふさわしいとは言えないというふうに気が付いた」というのが、作品にデジタル技術を使わなくなった本当の理由なのですね。私自身、今やっと言語化できて腑に落ちました。

そしてこの「メリット・デメリット論からの解放」が、アナログイラストを制作することに、より大きな喜びを感じた理由の一つだと思います。

これはメリット・デメリット論が、精神の向上を目的としているのではなく、物事の利便性を計る指標であることが原因の「ギャップ」です。
他の分野でもよくあることですが、指標というのは時に、こういう実状との「ギャップ」を含んでしまいます。

 閲覧数やいいね数、フォロワー数など、数値化された指標が氾濫しているSNSの世界では特に、いわば「実よりも名を取る」ような発想を抱きやすくなっているように思います。
自分自身の価値そのものを、そういった指標によって決める方も多いのではないでしょうか。

そういった方々が間違っていると言いたいわけではないのですよ?
それが幸福という方は、SNS上の指標と人生の目標が合致しているのだと思います。
豊かな人生のための指標との出会いでしょうから、否定するところなどありません。

ただ、そういう指標に縛られて「なんかちょっと窮屈で疲れるなぁ」と感じている方がいるのなら、そこには、指標と目的の「ギャップ」があるのかもしれないなと、私は考えています。

 人から「昭和だね」なんて言われるくらいには時代に合っていないのかもしれないけれど、私にはやっぱり、泥臭く地道な努力のほうが性に合っているようです。
そして、そんな自分が好きです。
改めて今後も、伸びなくても誇れるような作品を作っていきたいと思いました。

 長々と書いてしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
投稿に慣れてきたので、そろそろ本題である小説の方も投稿していけるかなと思います。
顔見知りの方や公人の方にしかお返しをすることはないと思いますが、フォローやスキなどしていただければ幸いです。

それではまた、お会いできるのを楽しみにしております。

この度のお話、お楽しみいただけましたでしょうか。今後も、内容やテーマに対して責任をもち、読んでくださるみなさまに思いが届くよう、作品と真摯に向き合っていく所存でございます。 もしも支持したいと思っていただけるようであれば、サポートという形でお気持ちをいただけると恐縮です。