ケアの概念とラフメイカー(BUMP OF CHICKEN)
最近、授業で「ケア」というものについて触れる機会が多い。
たとえば死生倫理学(の中で触れた看護学)や、臨床心理学、障害学など。
浅い理解で恐縮だけれど、近年では、ケアとは「相手の求めていることを踏まえて支援を行うこと」という価値観が強調されやすいように思う。QOLの概念にも代表されるように、周りが思う「良い生」を押し付けるのではなく、あくまで相手の望む生を達成できるように支援を考える。
そして、ここで大切にされがちなのが「相手と同じ方向を向くこと」だ。
特に看護や心理の授業ではこの価値観が強調される。「何かをしてあげる」ことに重きを置かない(それも大切だけど、それより大切なものがある)。ただ隣にいて、空間を共有することで、緩やかに、その人の感じるものを、孤独のままには留め置かない。みたいな。
これあれだ。
ラフメイカーや。
♪ラフメイカー/BUMP OF CHICKEN や。
「ラフメイカー」が嫌いだった
小さい頃、ラフメイカーという曲が嫌いだった。
あのね、あの曲、マジで、めちゃくちゃ、トンチキ。
聞いたことない人は歌詞を調べてみてほしい。手っ取り早く言うと「主人公が泣いてたらラフメイカーを名乗る知らん人がいきなり押しかけてきて寒いから入れてくれって言い出して、断ったら泣きそうだとか言い出して、いやお前が泣いてんじゃねえよとか思いつつも最後には部屋に入れてあげるからドアを開けろって言ったらもうドア前にいなくて窓割って知らん人が入ってくる」という恐ろしすぎるストーリーだ。まじかよ。
初めて聞いた時、「マジこいつなんなん」って思った。泣いてる時に勝手に押しかけて自分も泣き出して最後には窓割ってくる不法侵入者、ラフメイカー。こわすぎ。なんなんだ。
一番腹立ったのは断ったら自分も泣くところだ。知らんがな。なんでこっちが悲しみの絶頂にいるのにお前の事まで気遣わなあかんのよ。ふざけんじゃねえ。
というか主人公、お前何絆されとんねん。不法侵入者を家に入れるな。ご都合主義すぎる。あるいはちょろすぎる。
……と、思っていたんですけどね。
「何かしてしまいそうになる」無力な自分と対峙して
その後、大きくなった私は、人から相談を頻繁に受けるようになった。中には人の人生を左右しかねないディープなものもまあちょくちょくあった。そのうちNPOで働くなど、お仕事として人からの相談を受けることも増え、それから心理士の勉強を始めた。
これが、難しい。
どうしても、解決に向けて急いでしまう。そしてその度に後悔する。多分彼らが求めていたものはこれじゃないと思う。わかっちゃいるけど急いでしまって、あるいは相手のことをわかった気になって、話を終わらせようとしてしまう。不安定に耐えられない弱さが、そして相手のことを知った気になる浅はかさが私の中にいて、それはわかってはいるんだけど、結果を出さなくてはと焦ってしまう。相手から見捨てられるんじゃないかという気持ちも多分ある。そういう弱さ。
ただ隣にいる強さがほしい。解決できる手数や強さはもちろんほしいけれど、その時が来るまでじっと待ち続けられる強さもほしい。相手のことがわからないとわかる謙虚さ、そしてそれでもわかろうとする覚悟が欲しい。
……ラフメイカーや。
ラフメイカーの中に潜む、ケアのあり方──犬飼いの戯言を添えて──
もちろん、ラフメイカーの態度はまあ褒められたもんじゃない。実習でこんなことやったら単位落とす。間違いなく。
でも、ちょっと想像してみる。主人公の気持ちになって。
部屋を洪水にするくらいに悲しいことがあった。
1人でずっと泣き続けて、どこにも救いがなくて、出口が見つけられなくて。いっそもうこのまま涙が涸れると共に自分の中の水分も涸れてしまえばいいと思った。暗闇。部屋は明るいはずなのに、どこまでも続く絶望のトンネル。
そんなときにするノックの音。
誰だこいつ、俺の気も知らないでわがまま言って、笑顔を持ってくるとか言って。鬱陶しくって仕方がなくて何度も跳ね除けてもドア越しにずっと座っていて、俺と一緒にしくしく泣いて。ドア越しにうっすら聞こえてくる泣き声に呆れたって、微かな啜り声に少しだけ気持ちが和らぐ自分もいて。なんだよずっと一緒にいてくれるのかよ、置いていけよ、なんなんだよばかだなこいつ、しょうがねえやつだな、入れてやるよ、
からの、窓ぶち割って入ってくるのだ。ラフメイカーは。
アホだ。アホすぎて笑ってしまう。
でもきっと、主人公は確かにそこに誰かの体温と光を見たのだろう。
ケア、って、そういうことなのかもしれない。いや、ほんとか?って思うけど、でも。
私は体温を持っている。私の心も体温を持っている。その体温で誰かに触れることが(物理的じゃなくて比喩的な意味ね)、孤独に喘ぐ「誰か」にとって私がいる意味になるのかもしれない。
ここまで書いて、似たような体験をしたなってふと思いだした。
私は小学校の頃に犬を飼っていた(ちなみに今は別の犬を飼っている)。
そしてえっぐいいじめにも遭っていた。ストレスで禿げたくらいのいじめだった。毎日泣いて吐いて大変だったのだけれど、なんだかんだ学校には行っていた。
家に帰ると、犬(名をマリーと言う)が尻尾を振ってくれる。私の顔は毎日涙でぐちゃぐちゃで、私はケージに駆け寄るとマリーを抱きしめる。めそ、めそ、と今日会ったことを話していると、わかってるんだかわかっていないんだか、尻尾を振りながらわたしの顔を舐める。あったかくて、泣き疲れて、眠たくて、そのまますやすや寝ちゃう日もあって。全然涙が止まらなくてずっとめそめそしている日もあって。
生きるの疲れたよ。なんでこんな思いをしなきゃいけないのよ。つらいよマリー、助けて、ってよく話しかけていた。そのたびに、マリーはわかった!と言わんばかりに飛びついて顔を舐めた。いや全然助けてくれないが。顔舐めるしかしねえじゃねえか。
でもそれでよかった。マリーがいたから、私生きて来れたんだよ。マリーがしたのは話を聞くことと顔を舐めることだけで、いや心理士が顔舐める世界線はまじでありえないけれども、でもマリーはずっとその体温で、私の悲しみを溶かしてくれていたのだ。
そう思うと、悲しみと孤独の融点は36度付近にあるのかもしれない。
これから先、私はたくさんの武器を、たくさんの知識とスキルを持ちたい(なんなら武器を開発する側になりたい)。そのことで救える人はきっと増える。なにせ私はラフメイカーでも犬でもない人間だからなあ。
それでも、それで自分の体温を下げることはしたくない。いつだって私の最大の武器は、きっとこの体温なんだなあと思う。
気づきをありがとう、ラフメイカー……