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クリスマスに思ったこと

コロナ禍のクリスマス

テレビはワイドショーで毎日のように、コロナの感染者数爆発と、医療崩壊について報道しています。びっくりしました。一日中ものすごいプレゼン量です。まるで、この世の終わりのような有事が発生していると煽っています。

一方で、街に出ると平和な日常が繰り広げられています。非常事態宣言が出た春の頃とはまったく違う風景です。マスクこそしているものの、たくさんの人出。もちろん、高齢者も多いです。春よりも、ひどい事態になっているはずなのに。通勤も通学も通常運転。笑顔も多いです。

そして昨日はクリスマス(イブ)。有事の中迎えるクリスマスは、なかなかないことなので、どのようになるのか気になっていたのですが、外で食事する人こそ減ったものの、普段と変わらないクリスマスだったのではないかと思います。

テレビは危機を煽っています。春の第一波の時と違って、多くの国民(こういう言い方はどうかと思いますが・・・国民の対義語は何でしょう)は、その煽りにあまり乗っていません(そのように見えます)。与党の政治家も同じ。これはどういうことなのかと考察すると何か見えてくるのかもしれません。

怒りの言葉に満ちている世の中

ただ、政治の話をしたいわけではありません。また、コロナのことをどうでもいいと思っているわけではありません(むしろコロナに関係なくインフルエンザ対策はかなりしているし、自粛もしています、他人に迷惑をかけないようにルールは守りましょう)。もっと別の角度から見たほうがいいと思いました。

ワイドショーを見ていて思うのは、みんな何かに怒っているのです。怒っている相手は、「危機なのに対策を出せない政治家」「危機なのに多人数で会食している政治家」「危機なのに減らない人出」「危機なのに時短要請を無視して深夜まで営業する飲食店」「危機なのに夜飲んでマスクしないで騒いでいる人」・・・。

すべて、今が「危機」であることが前提。もしかしたら、怒っている相手は「危機」だと思っていないだけかもしれません(あるいはそう判断できる情報がないだけなのかもしれません)。「危機」は何かに対して怒りたいから作ったようにさえ見えてしまいます。あくまで、たとえです。医療現場は実際に危機だと思いますし、何か対策をしないといけないと思います。

むしろ感謝の言葉を

ここまでの流れからすると、「マスコミは世論を操作しているけしからん」というような結論にいきそうですが、そういうことを言いたいわけではありません。マスコミが発信する情報には多かれ少なかれ何らかの意図が混ざっているのは当たり前だし、WEB含めて発信される情報がこれだけ多くなっている現在、情報に対して判断するスキルは我々ひとりひとりがもたなければいけないと思います。

では、そういうことを言う私自身は、この文章で何が言いたいのかというと、「怒り」ではなく「感謝」の言葉を発するようにしませんか、という提案です。日本には古来から「言霊」という考え方があります。「怒り」の言葉を発するとその「怒り」は自分に返ってきます。

言霊の用語解説 - 古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。‐ デジタル大辞泉 -

今のワイドショーは「怒り」ばかり取り上げています。春は日本の大部分が「自粛」しましたが、今回はワイドショーと「国民」に意識のずれが生じてきてしまっているように思います。「怒り」ばかり取り上げていることに「国民」は関心が薄れてしまったことも一因にあるのではないでしょうか。

ワイドショーが「怒り」を取り上げるのは、そういうコンテンツを望んでいる人が多いから(とテレビが思っているから)だと思います。日頃、職場や学校などでストレスを感じている人が、誰かを攻撃することでストレスを発散できるから見たいだろうということだと思います。ただ、実際は、誰かを攻撃することでストレスは発散されません。

人は誰かの心の温かさでしか癒されないと思います。言霊から言うと、感謝の言葉を自分が発することで、温かい言葉を得られると思います。

コロナ禍で迎えたクリスマス。人々が、「怒り」や「危機」ではなく、「楽しさ」「温かさ」を選んだことに少しほっとしました。もちろん、今年のような異常事態でなく、心から楽しめるように、この非常事態が早く収まってほしいのは大前提です。有事に一番必要なのは有事を切り抜けるために冷静になること、二番目はポジティブな思考なのだと思います。

こんな今だからこそ「ありがとう」と言うことを多くしたいと私は思います。

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