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#144 指導的役割を担う際には過保護に注意 24/4/18

みなさん、こんにちは。
今日は、上長や先輩、親、先生など指導的役割の人が指示をすること、について考えてみます。

新入社員や社内の人事異動でチームに新しいメンバーが加わる方も多いと思います。初期段階では、課の業務をインストールする上長やOJT役の先輩などは、指示する場面が多くなります。

まず、その型やお作法をプリセットする段階においても、指示をミニマイズすると、より適切な指導効果を生むのでは、と考えます。

理由はこうです。
指導的役割を担う人は、その業務の、その時点における最適解を持っています。ですから、新しいチームメンバーのビギナーたちが、疑問を持つ点、行き詰まってしまう箇所やその原因、ほとんどのことについて、場面想像力が働きます。そのため、ビギナーが質問をする前から、先読み、先回りができてしまいます。

すると、結果的に、失敗させないように、あるいは伝え漏れがないように、ビギナーたちが自分で考える前に、すべての答えを先に提示してしまうことがままあります。自分で違和感を覚えたり、なぜこうなっているのだろうと考える機会を失うことになるだけならまだしも、そうではありません。そもそも受け取る情報量が膨大ですから、処理しきれないまま、右耳から左耳に筒抜けてしまうことも多いです。すると当然、記憶には残っていないことになります。

そして、いざその情報を使う業務、タスクに直面したときに、「これ教えてもらったかな?」と上長やOJT役の先輩などに質問をします。そうなると、指導的役割の側からすると、「これはこの前のインストール時に教えたのだけど」と言ってしまったり、言わなくとも、お腹の中に薄っすらと疑念や不満が募ることになります。それが、複数回起きてしまうと、「この人は人が教えたことをまったく聞いていない」と信用や関係性まで支障をきたしてしまうことが予見されます。

こうしたワーストシナリオまで考えていくのは、ややホラーストリーが過ぎるかもしれません。ですが、そのホラーリスクをそもそもに考慮しなくてもよいように、1から10まで指示をするような指導は避けるように留意しておくほうが良いことが多いと想像します。

では最後に、ここから指導的役割側の心理的構造を推察してみます。

先に述べましたとおり、指導的役割を担う人は、その業務の、その時点における最適解を持っています。ですから、先読み、先回りができてしまいます。そこで先手先手ですべて分かっていることを全て先に出ししてしまいがちなのだと考えます。行き過ぎると過保護である、です。

そしてさらには、意識的、無意識的な人はまちまちですが、ある心持ちが見てとれます。なお、潜在的か顕在化しているか、など程度や違いはあれど、誰もが程度の差はあれ持っています。

それは、自分が「上長である」「指導的立場である」と自身の権威づけしてしまう心理構造です。文字どおりの権力ヒエラルキーを見せることで自分の存在意義を確認する人と、「自分は教える側だから」と責任感の強さから、その権威を行使してしまう場合の、大きく二手に分かれるのではないかと考えます。

どちらにしても、自分の存在意義を確認するため、自分の存在感を相手に示すために、指示が多くなってしまう構図があります。

さて、みなさんは指導的役割を任された際に、どんなことに注意を払っていらっしゃいますか。
それでは、また。

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