見出し画像

#153 映画PERFECT DAYS を観て考えたこと 24/4/27

みなさん、こんにちは。
今日は、いつもと異なり、映画を観てのインスピレーションや考えたことを共有してみます。

観賞したのは、PERFECT DAYSです。昨年のカンヌ映画祭でも主演男優賞をとった作品です。

さらっとあらすじです。
東京渋谷区の公共トイレ清掃員男性・平山を、役所広司さんが演じます。その男性が、今で言う、ミニマルで清貧な暮らしをされている日常を、繰り返し展開するシナリオです。その変わらない(ように見える)日々に、関わる人とのちょっとした絡みあいによって、日常に出来事が生まれます。それを通じて、主人公の人となりや、過去が浮かび上がったり、想像させられます。

閑話休題です。渋谷の公共トイレ17カ所は、世界的なクリエイター(安藤忠雄さんや隈研吾さん、片山正通さん、伊東豊雄さん、佐藤可士和さん、マーク・ニューソンさんなど)16名によって生まれ変わっています。その「THE TOKYO TOILET」プロジェクトのプロモーションから、映像・映画化に発展したようです。監督はドイツのヴィム・ヴェンダースさんです。

さて、作品では、その過程で読者・観客は、PERFECT DAYSの世界を感じ、どんなメッセージなのか自然と考えていく、そんな構成に作られている作品と感じました。まるで現代アートのようです。

人は誰しも多くの人は、日常ルーチンな生活サイクルがあります。ビジネスパーソンであれば、同じ時間に通勤し、食事をとり、勉強したり、飲みに行ったり、生活リズムがあります。そのある程度かたまった活動パターンは、自分にとっては心地よいサイクルだと思います。

一方で、ルーチンが多いと、考えなくてよいから、刺激がなく、好ましくないとの考えもあります。毎日変えるほうが脳科学的にも刺激がもたらされて、脳的にも身体的にも、活動的になってよいということです。

映画の主人公は、毎日神社で昼食をとり、そのときに、陽射しの差す木々の写真を撮っています。休日にフィルム1本分を現像に出し、先週分を受け取ります。その写真の出来不出来で取捨し、自分的にOKな写真は、○年△月と保管しています。

ところで、人間の細胞や物も含めて、すべての物質は固体ではなく粒子でできています。これは例えるなら液体的であることだと考えます。人の目には、一定の形に固まっているようにしか見えませんが、粒子単位でみれば常に流動しているわけです。

ですから、同じように見える日々の暮らし・生活、その一角も常に流動していると考えることができます。流動しているとは、常に変化している、同じものは1つとない、ことだと考えます。動的平衡と福岡伸行さんが著書で示されてもいます。

そう考えると、固定的なこと、常に同じで一定であることは、存在しないことになります。でも、その見えない流動しつづけている変化は、粒子単位ではもちろん肉眼で見ることができません。意識的に感じる、見るのではなく感じることで初めて、身体的な体験として意識化されるのではないか、と考えます。

そして、その流動的変化を感じることを、どう捉えるのか。これがこの映画作品のメッセージではないか、とわたしは考えます。

What is PERFECT DAYS ?
(これはどうですか?これは該当しますか?)
ではなく、
Why PERFECT DAYS ?
(なぜあなたにとってそれがそうなのですか?)

このように問いを立てられているのではないか、それがメッセージではないか、と感想を持ちました。

近年の賞レース作品は、メッセージ性の強い、教訓めいた「こうです」とお説教的な作品がもてはやされたりします。

この作品は、メッセージ性はいい距離感で、強く押し出てこないが、感じる人は感じられるほどのメッセージがあります。その意味では、ある程度に年を重ねた人でないと、この作品を味わうことが難解かもしれません。ミニマルな生活って 清貧で尊い、みたいなメッセージを受け取るに終始してしまうかもしれません。

さて、作品は1960~70年代くらいの音楽が上手に使われ、これもまた単調な展開に彩を与え、楽しませてくれます。

さて、みなさんは、芸術作品からインスピレーションを感じたのは、どんなことで、それはなぜですか。
それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?