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愛されるために、遠慮をする僕たちへ

最近、小さな頃の夢をよく見るようになった。

小学生の頃、母が一度だけ家を出ていこうとしたことがある。
連れて行こうとしたのは、末っ子の弟だけだった。

ヒステリックで不安定な母のことはあまり好きじゃなかったから、悲しかったわけじゃない。
父には「すなふはどっちについていきたい?」と聞かれて、「んー、お父さんだな」と答えた。父との関係は良好だった。

ただ、母という存在から受けるべき愛情へのいいしれぬ不信感と、自分は最も母から愛される存在ではないという確信めいた何かが、明確に、自分の中に芽生えていた。

すっかり忘れていたし、10年以上も前のことだから、今更連れて行って欲しかったなんて思わないけれど、夢の中でわいていた感情と今の自分が抱く感情はすごく似ている。

構築される関係性の違い

自分で言うのもあれだけど、僕は昔から信頼してくれる恩師たちや友人たちに恵まれていると思う。
(この章は読み飛ばしたい人は飛ばしていいです)

中学生のときはバスケ部の部長に選ばれていたし、高校の時は文化祭の実行委員でクラスの中心だった。
ぶっちゃけカーストでいうとずっと上位層に属していて、自分を受け入れてくれる学校は本当に大好きな場所だった。
カーストは気持ち悪かったし、学校に恩を感じていたから、みんなが居心地を感じれるようになるべく壊しにいくタイプだったけど。
そもそも一緒に壊してくれるような友人に恵まれていたのだ。

いつでも泊まりに行ける友人関係や、親よりも信頼している恩師たちとの関係が今の自分を作っている。

対して恋愛は、あまり上手く行った記憶がない。
女性に比べて、男性は性的に消費されることが少ないと度々話題になるけど、本当にその通りだとは思いつつ、僕は結構男性の中だと消費されている方だと思う。

あまり話したこともない他校の女子(男子も少しいたけど)に告られることも、盗撮されることもままあった。
あの承認のされ方の心地よさと気持ち悪さはなんなんだろう。
もちろん女性に比べたら全然だろうけど、自分を見ているわけではないのに、自分が消費されている感覚は形容しがたい。

恋人に対しても、あまり愛されている感覚を抱いたことがない。

どこか自分を見ている感じがせず、この子にはこういう人が会うんだろうなと思っていると、別れた後にその人と付き合っている。

自分を見てくれていると感じる人と出会っても、その人には大切な人がいて、自分が1番ではないけど関係を持っているという状況によく陥る。

そんなふうだから、大人になっても、異性から受ける愛情を信頼できていない。
父との信頼関係と、母への不信感は、今の僕の対人関係の縮図だった。

愛されたいから遠慮をする

友愛と性愛でここまで違ってしまうことは、自分が今も抱えているコンプレックスの中で、最も大きいものの一つだ。

両者は、求めているものがまるで違うんだと思う。

友愛に対しては、とくに何も求めていない。
求めていないからこそ、見返りなく自分がしたいこと・できることをやる。例えば、プライベートの半分は自分が好きなことをするか、会いたい人に会っているけど、もう半分は頼ってくれる誰かの悩みを解決することに費やしている。

見返りを求めていないからこそ、僕の友人であるあなたに、全幅の信頼をおいている。
そして、あなたを信頼する自分を、心底信じている。
あなたが苦しんでいたら、僕は絶対に逃げない。
それは自分のプライドであり、今更変えることはない。


性愛に対しては、おそらく潜在的に愛されようとしている。
尊敬する方に、

「すなふは恋愛への期待値が高すぎるよね」

と言われたことがある。
全くもってそのとおりだと思った。僕はやっぱり愛されたかったのだ。
ちゃんと、1番に愛されたかった。

それでも、愛は結果であり、目的にするべきではない。
愛が目的化すると、失うのが怖くて執着してしまう。
今の自分は、執着するのが怖くて、一定の距離を取ってしまっていた。

距離を取っていても、愛されたいから、自分を殺す。
相手に答えすぎて、消耗する。
自分が自分でなくなっていく。

遠慮は、見返りを求めているときに起こる。
愛されたい気持ちが先行しなければ、僕の遠慮は、友人たちへ向けるものと同様に配慮になるはずだ。

僕が見返りを期待しなくなり、一番に愛し愛されていることを自覚できる相手と出会ったとき、僕は結婚したいなと思っている。

結局怖くても殻は破らないといけない

舞台には大入り袋という文化がある。
公演が終わったあと、感謝の気持ちを手紙にしたためたり、思い出の写真が入っている袋をもらったりする。

ある人からもらった大入りに、

「すなふの誰よりも繊細なところと力強さを信じてた」

と書いてあった。
それから、段々と自分の弱さも強さも愛しく思えるようになってきた。

見返りは、もういらないのだ。








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