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明日への逃避行 1話「Lovers sing①」

「あっついな…」
「おう、暑いな。」
8月上旬のうだるような暑さでソファに転がる物体が二つ、うわ言のように呟いている。先ほどから口を開けば同じことを言う。
「あっつ…」
「うん。」
奥に転がっている物体は和樹、手前のは翔。共に今年岡本学園大学に入学したばかりの華の1回生である。そして今は最初の夏休みをまさに謳歌している。そんな2人を何となく部屋の外から観察すること30秒、未だに入口に立つ信哉に気が付く様子はない。
信哉も同回生であるが、浪人してるので歳は2人より一つ上である。
「何でこの部屋エアコンないねん。」
「物置にエアコンつけるアホがおるか。」
この部屋は物置だ。1階は信哉の叔父である鉄平が営むゲームセンターになっている。2階にあるこの部屋はもともとプリクラコーナーだったが今は全て1階に移り、このフロアには古くて動かなくなったアーケードゲームやクレーンゲーム、1階に補充する為の景品等が置かれている文字通りの物置である。
「物置の扱いが悪いな」
「だから俺らに貸してくれんねやろ」
ゲームセンターといっても賑わっていたのは平成初期だ。大学のすぐ裏手にあるので当時は少しだけ流行ったらしいが、徐々に新しい筐体も置かなくなり、今となっては空いたスペースで学生が麻雀に勤しんでいる。鉄平ももう70だ。これで儲ける気はないのだろう。和樹がサークルを作ると言い出した時、信哉から2階を使わせてくれと頼んだらあっさり了承された。
「お前ら昼間っからダラダラしやがって。」
信哉がソファで寝転ぶ和樹の足を退かして座ったら、ようやく2人も気が付いた。
「おう、遅かったな。夜勤明けか。」
ダルそうな声で和樹は返事をした。翔はうっすと言いつつスマホを眺めている。
「ほんまは朝までで終わりやったんやけどな。」
信哉はカラオケでバイトをしている。昨日の夜から朝までのシフトだったが、次の朝シフトのバイトが寝坊してきたために結局昼前まで働くはめになったのだ。
「寝坊するんやったら朝シフトの希望なんか出すなっちゅうんや、あのボケ。」
信哉はそう言ってコンビニの袋からアイスを取り出した。ガリガリ君はコーラ味に限るというのが彼の口癖だ。
「おう、ありがとう!」
「ちょうど食いたかってん!」
和樹と翔は寝ころんだまま手のひらを差し出した。
「いや、何やその手は。」
「俺らの分は?」
「買ってるか、そんなもん!」
「は~、ないわ~。」
「そういうとこが気が利かんな。」
夜勤明けの信哉に対して二人は随分な物言いだ。
「いや、お前ら来てるんか分らんかったし。」
和樹は実家暮らしだが大学から徒歩圏内だし、翔は近所で下宿している。だから夏休み中も大体このゲーセン2階の溜まり場に来ているのだが、だからと言って3人分のアイスを買わなければいけない云われはない。
「今から2人分追加で!」
「もちろん信哉の奢りで!」
これまた随分な言い草だ。
「いや、テメェらで買うて来い!!」
二人は寝転がったまま口々に言う。
「暑いもん。」
「めんどくさいもん。」
「俺も暑くてめんどくさいわ!!自分で行ってこい!!!」
和樹と翔は渋々起きだしてコンビニに向かった。自転車で7分のところにセブンイレブンがある。この暑さでは確かにめんどうな距離ではある。だからと言って信哉に買ってこいというのは酷な話だが。


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