耳が聞こえなくなった話

一年前の3月中旬、私は左耳が聞こえなくなりました。

始めは耳の閉塞感、違和感。次第に人の声やテレビの音が二重に聞こえるようになりました。

決定的だったのは、自分の指で耳を触ったときに聞こえる音が、左と右で違うということでした。

ヘビーなインターネットユーザーな私は、すぐにググりました。YouTubeで聴力テストのような動画も見ました。そして左耳で低音が聞こえなくなっていることに気が付いたのです。

幸いその日は金曜日だったので、土曜の朝に耳鼻科へ行くことにしました。最悪のパターン、突発性難聴という病気であれば、発症から治療開始のスピードが完治に大きく影響するとネットで知りました。

病院で聴力検査を行うと、見立て通り、低音域の音が左耳で聞こえなくなっていました。「突発性難聴」もしくは「蝸牛型メニエール病」だろうとのことでした。

投薬による治療を開始しましたが、液体の薬がとにかく不味い。不味すぎて全部飲むのに湯呑み三杯のお湯がいる。でも三食毎日飲んでると、なぜか慣れてきてしまうので人間の適応能力はすごい。

難聴と聞くと、耳が全く聞こえないと思われがちですが、実際は中途半端に聞こえるパターンが多いようです。私も例外ではなく、高い音は問題なく聞き取れました。

じゃあ日常生活で困ることは何かというと、男性の低い声やボソボソした声が聞き取りづらくなりました。相手によっては左側から喋られると、何を言っているのかよくわからないことが増えました。

このときの私は、毎日聞こえる低音の耳鳴りと二重に聞こえる周囲の音に、相当参っていたと思います。仕事柄、人と喋らざるを得ないので、職場でも学年の先生たちや当時担任していたクラスの子に、左耳が聞こえにくいです、と公表しました。

このとき、担任していたクラスで生徒に精神的に助けられたことが何度かありました。毎日提出する日記に心配の声を書いてくれる子がいました。

数人の男子が忘れ物をして謝罪をしにきたとき、「先生左耳聞こえにくいんだから、こっちに立てよ」と言ってくれた子がいました。ちなみにそいつも忘れ物をしている一人です。

そんなこんなで、若干の生き辛さを感じながら、その年度の仕事を終えました。既に異動が決まっていたので、4月からは新しい職場でどのように振る舞うかを、そのときは毎日のように考えていたと思います。


話題を変えまして、耳が聞こえなくなる原因について少しお話をしたいと思います。

突発性難聴もメニエール病も、直接的な疾患の原因は解明されていません。知り合いの知り合いくらいにはかかったことがある人もいるだろうメジャーな病気ですが、突発性難聴もメニエール病も共通の症状なので、はっきりとは断言できないそうですし、特効薬もありません。

その中で、インターネットの記述でも、医者からの言葉でも触れられたのが、ストレスが原因の一つではないか、ということです。

思い当たる節、大アリです。なんせ、教員ですから。

2月の残業時間は90時間を超えました。内訳は、行事の準備です。余談ですが、私はこのとき運動部を持っていないので、土日の部活は一切行っていません。冬なので平日夕方の部活も短いです。部活を含まずに90時間を超えるということがどれだけ異常なことか、同業者の方にはわかっていただけると思います。

もう一つ思い当たることは、当時担任していたクラスの生徒たちです。前述したように、私のことを気遣ってくれる生徒もいますし、一昔前のようなヤンキーや不良は全くいません。学級崩壊もしていなかったと思いますし、傍から見たらそこまで負担に感じるほどでもないかもしれません。

しかし、もともと陰キャとして青春時代を送った私には、やんちゃな少年少女は取り扱いに困るのもまた事実でした。大きな悪いことはしないけれど、細々としたことで毎日叱ってばかりの日々は、確実にストレスだったと思います。周りがみんなそうであれば、そこまで感じなかったと思いますが、「重いクラス」と「軽いクラス」が学年に共存するのもまた現実で、私は「重いクラス」を受け持っていました。

思うところはたくさんあれど、当時担任していたクラスの生徒たちのことを恨めしく思うなんて、そんなことはありません。今となれば、あれもまた経験だったと思いますし、一人一人のことをきちんと尊重できる教師でありたいという自分のスタンスを貫き通すこともできました。クラスで成し遂げた記録もあります。やんちゃだったけれど、パワーのある子たちでした。


そんなこんなで3月を終え、4月になり新しい職場で新しい環境に身を置くことになって一週間ほど経ったとき、突然左耳が聞こえるようになりました。前兆は全くなく、本当に突然聴力が戻りました。

そのときの私は、本当に泣くほど嬉しかったです。一生付き合っていかないといけないのかも、と思っていたからです。突発性難聴の治療期間は2週間を超えると完治の可能性が格段に低くなり、この時点で3週間以上が経過していました。

大袈裟かもしれませんが、これで私の闘病生活は終わりました。


そして約一年が経ち、2020年3月13日。

再発しました。

「あっ、これ、駄目なやつ」と症状が出たときに瞬時に冷静に悟った私。

去年ほどの絶望感はありません。突発性難聴は再発しないと言われているため、再発するということは「蝸牛型メニエール病」の可能性が高まりました。突発性難聴に比べると比較的症状は軽く、治りやすいと言われています。ただし、再発の可能性も高いです。

次の日すぐに耳鼻科に行った結果、一年前と同じように低音が聞こえなくなっていました。ただ、去年よりはちょびっとだけマシだったのと、耳鳴りも去年よりはひどくありません。

また投薬生活の始まりです。クソマズな液体の薬と付き合っていかなければなりません。

蝸牛型メニエール病は、典型的なメニエール病に目眩の症状がないものを言います。放っておくと、典型的なメニエール病に移行することも少なくないようです。メニエール病は強い回転性の目眩を伴うので、死んでも勘弁して欲しいです。治療を受けているので大丈夫だと信じたいです。

ストレスの原因も思い当たる節があります。二週間前からの全国一斉休校。それによって押さえつけられた自由と、職員室で1日過ごすという苦行。嫌いな上司に対しての強いストレスがさらに強くなりました。まあ、それが全てではないのでしょうが。

とにかく、こんなに睡眠時間もしっかり摂ってて(一年前は遠方の職場に通っていたので全然寝れてなかった)三食ちゃんと栄養バランスよく食べてても、こんなところに不調は現れるのです。

前の難聴から復活してしばらく経った後、後に嫌いになる上司から「すごい量の薬飲んでたからもっと難病だと思った(笑)」と茶化す感じで言われたこと、今でも根に持っています。週明けに会って再発したと伝えたら、どんな反応するだろうか。

確かに死なないし、仕事に支障もそこまでない(嫌いな上司の低い声は聞き取れないが)けれど、私を生きにくくしている病気について他人にとやかく言われたかない。聞こえない生活、というか、耳鳴りと周りの音が二重に聞こえるストレスを体感してから言ってみろ。

難聴も、子宮内膜症も、過敏性腸症候群も、肌荒れも、ニキビも、花粉症も、全部私を生きづらくしているのだ。

しんどいかどうかは、私が決めます。


※記事の中に出てくる病気や症状はあくまで一例です。私は専門家ではありません。


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