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わたし達に終わりはない

「卒論終わったらご褒美ください。」

大学四年生。この春卒業を控える彼がこの1ヶ月ずっと卒論漬けの日々を送っていることは、毎日連絡を取っているわたしが一番よく知っている。

「なにがいい?」

大学を出ていないわたしにそのツラさはいまいちよく分からないけれど、わたしに対して頑なに敬語と一人称「僕」を貫いてきた彼が、電話口で無意識のうちに「俺」と自分のことを語り、ツラい・無理と卒論への不平不満をタメ口で話す様子からかなり追い詰められていることは読み取れた。

「うーん、旅行がいい」

わたしが5歳も年上ということもあって、彼はわたしに対して素直に甘えてくるし、べたべたに甘えてくる様子は純粋に愛らしい。わたしは基本的にひどく彼に甘い。

「分かった、じゃあ来月旅行に行こっか」

こうして、出会って半年で一通りのことを全て済ませた所謂"セフレ"のわたし達は、ついに旅行まで行くこととなった。
予算を聞いて電話を切ったあと、すぐにインスタで見つけた素敵な宿と交通手段を確保した自分に、やっぱりわたしは甘いなと笑ってしまった。

「んー」

現地に向かう高速バスの中。
早々に眠りについた彼の隣でスマホを触って適当に時間を潰していると、彼はわたしの右手をさっと握って自分の方に寄せ、再び眠りについた。悪い気はしなかったのでされるがままにした。
わたしはあんまり眠くなくて、右手の自由を奪われたままぼんやりスマホと流れてく外の景色を交互を眺めてバスに揺られていたら、いつの間にか旅行先に着いた。

バスの運転手さんから荷台に預けていた自分の大きな荷物を受け取り、少し期待してわざと重そうに持ってみる。案の定彼は「持つよ」とわたしの旅行バッグをひょいと持ってくれた。「ありがとう」と笑いながら、こういう分かりやすく優しいところがとても好きだと思う。

山に囲まれた観光地は普段暮らしている東京とは比べ物にならないくらい寒かった。温泉街を歩いていると「あれ食べたい!」「これ食べたい!」と彼がきらきら目を輝かせるので、蒸したてのお饅頭と焼きたてのおせんべいを食べたりしたけどすぐに限界が来て、早々に宿へチェックインすることにした。
わたしは宿から出ているシャトルバスの時間を調べようとしたが上手く見つけられなくて、「貸して」と彼に言われるまま自分のスマホを渡した。

「え、キーボード見づら!」

はっとして何の気無しにスマホを貸したことを後悔する。わたしのスマホのキーボードの背景は、アプリで大好きなアイドルの画像に設定されていることをすっかり忘れていたのだ。
リアリスト気味の彼が"アイドルオタク"を酷く嫌悪していることは知っている。その手の話題になると決まっていつにも増して饒舌になってオタクの何が悪いかを語るので、わたしは彼にアイドルが好きであることは一言も話していないし、部屋に招くときは必ず徹底的に痕跡を消している。
ついにバレるときが来たかとどきどきしたが、幸いにも選んでいた写真はアイドルっぽくない写真だったためか特に言及はされなかったので、何も言わずにやりすごした。

予約していた宿は客室も温泉も食事も想像の何倍も素敵で、大満足だった。
特に夕食は量も質も素晴らしくて「どこ行っても基本足りないから、僕の腹を満たしてくれる晩ごはんを出してくれるところなんてすごい!」とえらく喜んでくれたので「わたしの目に狂いは無かったね」と笑った。
露天風呂では湯船に到達するまでの全裸で歩く数歩があまりにも寒すぎて爆笑して、やっと到達できた湯船の中では、雪と星空に囲まれて今までの人生についてちょっと感傷的になってみたりして話した。
部屋に戻ると、どちらからともなく身体を重ねた。知らない土地で二人きりという雰囲気に気圧されてか、いつもよりちょっと大胆なプレイにも及んだ。元々相性は良かったけど、セックスするのは二ヶ月ぶりくらいだったので人生の中でも上位に入るくらい気持ちよかった。大学生の彼は、自分と同じくらいの歳の男性と比べて元気なところもお気に入りの理由だ。

溶け合うみたいにぐちゃぐちゃになったあと、ダブルベッドの布団の中で最近観た映画の話になった。卒論が終わってからというもの、彼は相当数の映画を観ていたらしく、それは全て洋画だそうだ。

「最近流行ってる"花束みたいな恋をした"?ああいうの本当にくだらないですよね」

つい二週間程前に、好きだった人を思い出して泣いた映画の名前が出てきた。好きなものを好きな気持ちを受け入れてくれる感性に恋してしまいがちなわたしには、自分を観ているみたいで居心地の悪い映画だった。

「病気と闘ったり、偉大なものを遺したり、そういう風に生きている人がいるのにあんなちっぽけな大学生の恋愛なんてほんとくだらない」

「確かにね、規模が違いすぎるよねえ」

「そうなんですよ、あんなのをエモいとかなんとかって、日本の映画は視野が狭すぎる」

吐き捨てるように語る隣で寝転ぶ女は洋画より邦画が断然好きで、中でも「愛がなんだ」とか「窮鼠はチーズの夢を見る」とかどこにでもあるみたいな個人の恋愛と人間のどうしようも無さが描かれた映画が積極的に好きなのだが、彼がそれを知る日はおそらく来ないだろう。

好みの合わなさはいつものことで、わたしは自分のことを知ってほしいという気も争う気もないので、ボヘミアン・ラプソディの素晴らしさを聞きながら眠りについた。こういうのが価値観の違いって言うんだろうな。

朝になればどちらからともなく「おはよう」とキスをして、食べきれない程の鮮やかな朝食に心を踊らせた。
名残惜しくてもう一度入った部屋付きの露天風呂では後ろ姿のパンフレットみたいな写真を撮ってくれた。今まで一度も一緒に写真なんか撮ったこと無かったのに、浴衣で鏡越しにカップルみたいな写真も撮ってみた。旅行の空気ってすごい。

心置きなく楽しんでいたらあっという間にチェックアウトの時間になった。
宿を出て温泉街に出ると、昨日が嘘みたいに日が照りつけていてぽかぽかと暖かい。寒すぎてまともに観光できていなかったので、帰りのバスの時間まで思いきりはしゃいだ。
昨日食べた蒸したてのお饅頭の味が忘れられなくてもう一度食べて、気になるお店を一通り回って、お土産を一緒に選んだ。わたし達に共通の知人はいないけれど、お互いに身の周りの人間関係を話しているので、あの人にはコレ。この人にはコレ。と選びあった。
象徴的な場所で自撮りのツーショットを撮ったら「僕ほんとに写真写りが悪い」と不服そうにしていたのがちょっと可愛かった。それから人にお願いして全身を撮ってもらったら、日の光が眩しくて二人揃ってすごく険しい顔をしていて笑ってしまった。

楽しい時間というのは儚いもので、旅の終わりが近づいてくる。
帰りのバス乗り場まで「楽しかったねー」と話しながら向かっていたら、「次はスキー行きたいなあ」なんてもう来年の話をしてくるものだから、この女たらしはまったく。と呆れてしまった。「そうだね、わたしスキーしたことないから教えて」と答えたら「もちろん!」と思いの外喜んでいる。果たして本当にそんな日はやってくるのだろうか。

高速バスに乗り込むと、行きと同じように彼はすぐに眠りについた。わたしはまたあんまり眠くなくて、一緒に撮った写真をパラパラと見返す。まさかこんな風に写真を撮る日が来るなんて思わなかったな。
しばらくすると彼はわたしの右手を少し強引に手にとって自分の方に寄せ、指を絡めてすやすやと寝息を立て始めた。
その姿を見ていたら、頭には出会ってから今日までのことが浮かんできた。そういえばつい数ヶ月前にわたしが片想いの人に告白して振られたとき、一番慰めてくれたのは彼だったっけ。
「仕事も恋愛も自分から全力で頑張る姿は情けなくなんか無いです」
毎日のように泣いていたわたしを救ってくれたのは彼のそんな言葉だった。

ぼうっと思い耽っていたら、バスの一番うしろに設置されているお手洗いへと向かう男性が通路を通る。わずか数秒のことでも、彼のお腹のあたりで握られているわたしの手に男性の視線が落とされていることは明白だった。
こんなの傍から見たら絶対にカップルだよな。それも結構バカップル。

それからわたしは、付き合うとか付き合わないとかにこだわった結果振られてしまった数ヶ月前まで大好きだった人を思い出して、こっそり失恋ソングを聴き始めた。好きになってくれる人だけを好きになれたらいいのに。

「じゃあまた連絡くださいね」

バスはほとんど時刻通りに都内に到着し、駅ビルでの買い物に少し付き合ってもらったあとに彼が乗る路線の改札まで送る。
重い荷物は当たり前に持ってくれるし、わたしが行きたい女性向けのお店を一緒に楽しそうに見てくれた。そういうところすごく好きよ。
一泊二日の旅行を経て、行く前よりも彼が魅力的に見えてしまうのは、仕方のないことなのだろうか。

「分かった、予定分かったら連絡する」

次回の予定をほんのり匂わせて、ばいばーいと手を振る彼を見送った。
改札を抜ける後ろ姿をぼんやり見つめていると、ちらっとこちらを振り返ったので手を振ってみた。案の定手を振り返してくれた。マスクの下が微笑んでいることがなんとなく分かった。
自分の家の方向へと歩き出そうとしたら、見えなくなるぎりぎりのところで彼は再びこちらを振り返ってわたしを見つけ、手を振ってきた。また手を振り返す。するととうとう姿が見えなくなった。
さて、わたしも家に帰らなきゃ。

恋人にするならという品定めは必要ない。将来のことなど考えなくて良い。性格の合わないところは目を瞑れば良い。だからわたしは彼の良いところだけを見て居心地の良さを提供し続けることができる。優しさだけを受け取ることができる。
きっとそれは彼も同じだろう。

「ちゃんとお家帰れた?」

連絡くださいね。と言ってきたくせに、別れて5分でメッセージが入った。

始まってもいなければ終わることもない、わたし達の関係はまだまだ続く。


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