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[短編小説]ミント味の毒薬 / 死術室の話

「何味がいいかな?」

まるでコンビニでガムを選ぶようなトーンで、彼はのんびりと尋ねてきた。その時、僕は一体どんな顔をしていたのだろう。

どうやら僕は今から二回目の死を受け入れることになるらしい。

ここは死術室。死を受け入れる部屋だ。もちろん「死術室」なんて言葉を最初から知っていたわけではない。

++++

「それでは死術室に向かってください。あちらの通路を進み、つきあたりの部屋です。」黒縁のメガネを掛けた、いかにも役人という風采の男が言った。

「手術室ですか?でも僕は特に病気は…」そう言いかけた僕を遮り彼はもう一度言った。

「いえ、死術室です。」

「し、施術室ですか?」

「死術室です。詳しくはあちらのパンフレットか、いえ、直接部屋に行っていただければわかります。つきあたりの部屋です。」

全くもって意味がわからない。そういえば最後に市役所に来たのはいつだったかな。最近はコンビニで住民票も取れるようになったし…

あれ?

僕は何で市役所に来たんだろう。いや、警察署か。うちの市の警察署はこんな感じだったかなぁ。どうにもハッキリしない。不思議にボーッとした気持ちで、昭和の気配を重く保った薄暗い廊下を進む。

コンコンコン

ノックをする。

「どうぞ」

中から中年男性の声がした。ノックの回数は三回で合っていただろうか。少し不安な気持ちになりドアをあける。

「あの、こちらに来るように言われました。ここが死術室であっているでしょうか。それと、この部屋は何をするところでしょうか。こちらで教えてもらえると聞きまして。」

てっきり会議室だと思って扉を明けた僕は面食らった。その部屋は、謎の植物があちこちにつるされ、壁一面に備え付けられた棚はまるで漢方薬局だ。

目を丸くして立ち尽くす僕に彼は優しく声をかけた。

「さぁどうぞ。中に入って。そこの椅子に座ってください。まず何から説明しましょうか。ここにどうやって来たかは覚えていますか。」彼はまるでカウンセリングを始めるかのように質問した。

「いえ、覚えてないです。というか、ここは市役所でしたっけ?あ、警察署ですかね?」少し早口で聞き返す僕を彼は手で制した。

「一つずつ説明しましょう。まず、あなたは今日死んでいます。」

「は?」

それ以外のどんな言葉が出てくるだろうか。

「ここは死術室です。手術室では人を救いますが、死術室は人に死を与えます。」

僕が黙っていると彼は続けた。

「正直なところ、今のあなたはとても危ない状態です。わかりやすく言うと、幽霊の一歩手前ですね。いや、幽霊に足は無いから一歩も無いかな。」

彼はお決まりのジョークであろう自分の言葉に笑った。

「死術室は死を与える部屋です。ちょうどあなたみたいに、自分が死んだことに気がついていない人に。」

やっと脳みそが再起動してきた。目の前に熱が戻る。

「あの、僕はなぜ死んだのでしょうか。というか、本当に死んだのでしょうか。」あなたは今日死にましたと言われても全く信じられない。突然市役所のような場所に来てしまっているが、それ以外はいたって普通だ。

「大丈夫です。次は一緒にこれを見ましょう。役所につきものの退屈なビデオです。だけど、ただのビデオではありません。あなたの死ぬ瞬間が映っています。

彼は机の上に置いてあるビデオデッキにテープを入れた。

「ビデオは1分くらいですかね。DVDじゃなくて申し訳ありません。あれは画質が良いらしいんですが、うちはまだ旧式でして。ほら、役所ってそんなものですよね?」

テレビに画像が映る。昔のビデオテープらしく少し古ぼけた映像だ。

「あ、僕だ。」

思わず声が出る。画面には歩道を歩く僕が映っている。そうだ、これは学校に行く途中だ。

「そろそろです、見逃さないように。」

自分は窓の外を退屈そうに眺めながら彼は言った。

キキーーーッ!!ガーーーン!!!

画面の下から上に向かってトラックが物凄い速度で通過していった。ブレーキをかけずに歩道に突っ込んだようだ。

「わかりましたか?」彼が言った。

「大丈夫ですよ。一回でわかった人はこれまでいませんから。」

彼がリモコンを操作すると、画面が一瞬暗くなり、おどろおどろしいナレーターの声が聞こえる。

〜おわかりいただけただろうか〜

〜それでは、もう一度ご覧いただこう〜

キキーーーッ!!ガーーーン!!!

トラックが通過し、画面の外で何かに激突したようだ。そして、トラックが通った後には歩道を歩いていたはずの僕がいない。

「あの…これだけですか?」

まるでテレビで危機一髪映像の特集を見ている気分だ。違いといえば、この映像は危機一髪ではなく紙一重でアウトなことだ。テレビでは絶対に放送できないだろう。

「はい、それだけなんですよ。信じられないと思いますが、それが理由であなたは死術室に来たのです。」

やっと自分の番が来たとばかりに男が身を乗り出す。

「あなたは死んだことを覚えていないし、死んだと言われても信じられないでしょう。それが問題なんですよね。ちなみに、これは異世界転生でもないです。そうですね、魂の旅における途中下車みたいなものです。」

「僕はどうなるんでしょうか」何をすれば良いのか検討もつかない。

「あなたには選択の自由があります。一つ目は死術室で死を受け入れることです。約98%の人はこの選択をしますね。」

「二つ目は幽霊になることです。あなたはこの部屋から飛び出し、建物から出ることもできます。あなたはとりあえず自分の家に帰ろうとするでしょう。だけど家には帰れない。あなたの体は自然と事故現場に向かいます。それで終わりです。あなたはずーっと事故現場に立つ。どこにも行けないし。何も出来ない。聞いた話ではとっても苦しいらしいですね。そこで考えるんです。どうして死んだのか。なぜ僕なのか。どうして、どうして。そう、ずーっと考える。あなたはどこにも行けない。」

部屋を重い沈黙が包みこむ。

「さて、どうしますか?」

どうすると言われても全く考えがまとまらない。こんな質問をまともに検討できる人なんているのだろうか。

「あのー、一応聞きたいんですが、生き返ったりできませんかね。遠くで呼ぶ声がして花畑から帰ってきたってパターンとかあるじゃないですか。なんとかならないでしょうか。」僕は一応確認してみることにした。

「残念ながら無理ですね。あなたはもう死んでいますし、この部屋に来たことはむしろラッキーです。死術室ができる前はみんな幽霊になっていました。地縛霊のパターンです。悲しいですがね。だけど今は死術室があり、この部屋で死を受け入れることができます。そう、自分の意思でもう一度しっかりと死ぬんです。そうするとあなたは成仏できます。あ、成仏って言い方でよかったですか?」

不思議と落ち着いた気持ちだった。これは僕が死んでいるからだろうか。

「さて、どうしますか?」彼は再び尋ねた。

「わかりました。僕も死を受け入れようと思います。不思議なんですが、意外と怖くないですね。やっぱり死んでいるからでしょうか。ところで、死を受け入れるとは具体的に何をするんでしょうか。」

彼はニヤリと笑った。

「申し遅れました。私がお手伝いさせていただきます。」そう言いながら差し出された名刺にはこう書いてあった。

"死術室 シニア死神 / 石神 壱剣"

「あ、死神の方だったんですね。」

死神の方というのもおかしな言い方だが、彼は僕の知っている死神のイメージとは違い、薬局のおじさんの様な風貌だった。

「死の受け入れ方は様々です。大事なことは本人が"死を実感すること"です。あぁ、自分は死ぬんだと感じることにより、魂はこの世から離れることができます。どうです、死神も人道的でしょ。」

なるほど、物は言いようだ。役人かと思っていたがセールスマンだったのかもしれない。

「昔の方は切腹を好みましたね。まぁどうやって死んで頂いてもいいんですが、やっぱりちょっと大変です。刀もいるし、掃除も必要です。飛び降りたい人向けに屋上も作りましたし、首をくくりたい人向けに梁も太くしてあります。」死神はそう言って天井を指差した。

「でも、おすすめは薬ですね。服毒というやつです。薬を飲むだけで簡単だし、部屋が汚れないのも良い。あなたも腹を切ったり、首を吊るより緊張しないと思いますよ。何か好みの死に方はありますか?」

好みの死に方?そんなものは無い。ただ、確かに薬が一番怖くなさそうだ。それに、死ぬ実感も得られそうだ。

「あの、じゃあ、僕も薬でお願いします。」半ばやけくそだ。こうなれば早く終わらせてしまいたい。

「よし、薬はどれが良いかな。コーラ風味は子供の頃に食べたガムみたいな味がします。ぶどう風味もおすすめですね。私のお気に入りです。」彼はウキウキと後ろの棚からいくつかの薬を取り出した。

「待てよ、やっぱりコレがいいかな。ミント風味。こだわりが無いならミント風味がおすすめですね。」

なんだかガムを選ぶみたいな話になってきた。

「じゃあ、ミントでお願いします。あの、ちなみにコーラにするとどうなるんですかね?」関係ないと思いつつも、つい聞いてしまうのが人間の性だ。

「どうにもならないですよ。薬の成分は同じです。ただ、死ぬ実感が薄いらしいんですよね。つまり、なんだか毒を飲んだ気がしないってわけです。それで結局うまく死ねなかった人が過去に一人だけいました。コーラ味の在庫を早くなくしたいんですが、まぁミントが無難ですね。なんとなく死ぬ気がしませんか。薬を飲んでスーッとすると。プロの死神として、もし死に匂いをつけることができるならきっとミント風味にしますね。」

もうどうでもいい。早くミント風味の毒薬を飲んでしまおう。あまり感情が動かされないのは死者の特権かもしれない。

「叶えられるかはわからないですが、来世に何か希望はありますか?」彼は薬を机に置いて聞いた。

「そうですね。次はもうちょっと生きたいですね。あと、モテたかったな。学生時代にかわいい彼女がほしいです。」

「伝えておきましょう」彼は一言だけつぶやいた。

しばしの沈黙の後に僕は決断した。

「では、そろそろ薬を飲みます。お世話になりました。」

死神はよく冷えたボルビックの水をコップに注ぎ、薬と一緒に手渡してくれた。

あぁ、ボルビックの水で薬を飲むんだ。ボルビックね。変なの。

ボルビックかぁ。

・・・・・・・・・ゴクリ。

++++

おっと、もう5時だ。そろそろ部屋の片付けをして帰らないと。近頃の若い人はどうも死を実感できない人が増えている気がします。人の死を見たことがない人も多いようだし、これ以上一人で対応するのは難しいかもしれません。来年度からは人員が増えるといいんですが。

しかし、人生なんていつ終わるかわからないものです。死神は死にませんが、お客様から日々の大切さを実感できる点はこの仕事のいい面かもしれません。よし、来年の新卒採用ではこの点をアピールしてみましょう。忘れないように、今のうちにメモに書いておきましょう。

"死術室…お客様をあの世にご案内をする部署です。簡単なお仕事ですが、クリエイティビティーを発揮し様々な業務改善を提案できる方も大歓迎です。長い人生に疲れ、日々を生きている実感がない方の精神的リハビリにもおすすめです。お客様の人生を眺めるうちに、きっと自らが生きる意義を再発見できるでしょう"

これでよし。来年度の人員募集が楽しみだ。

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