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宗教に入ろうかと思う話

宗教と聞くと何となく敬遠する人も多いのではないだろうか。

ちなみに私は無宗教だ。「実家も無宗教だったけど葬式だけは一応○派であげることになっている」というようなことも知らない。知識ゼロだ。

野球、宗教、政治については会話をしないというのが社会人のマナーとも言われているが、日本人ほど宗教意識が薄い国民も少ないのではないだろうか。クリスマスは祝う、新年は祝う、鳥居やお墓は神聖なので悪さはできない、だから日本人は無宗教ではない、ということを議論したいわけではない。

「よく生きる軸」として宗教を使っても良いのではないか。

つまり、守るべきルールや行動を明確化し、それに従って生きる = よく生きるという状況を受け入れてもいいのではないだろうか。そのためには、既存の宗教を受け入れるだけではなく、自分の宗教を作っても良いだろう。例えば、酒は飲まないが、人との会食では酒を飲んでも良い。給料の10%は必ず自己投資に使わなくてはならない。親への感謝を第三土曜日に伝えなくてはならない、というようなことだ。

些細なルールではあるが、ルールに従う状態は意思力を節約できる。スティーブジョブスが決まった洋服しか着なかった逸話は有名だが、彼はこうして最上の自分をルールに従っているだけで自動的に表現していた。

何かの判断を迫られた時に「これは戒律(ルール)だから」と宗教のせいにできれば意思決定をさけることができる。どういうルールを課すのかは慎重になる必要があるが、もし自分にぴったりの宗教があれば選べばいい。もし自分に合う宗教がないのであれば作っても良い。ただし、この場合は3日坊主にならないように対策は必要だろう。あくまでも「宗教」なのだから。

洗脳や教祖のメチャクチャな行動で悪いイメージも多い宗教だが、本来は人がよく生きるための道標のはずだ。私はまだ本気で宗教に入ろうと考えているわけではないが、よく生きるためのフレームワークとしての宗教には興味がある。宗教学や勧誘としてではなく、携帯電話のキャリア選びや、最適な動画サービスを選ぶような形で宗教も比較できれば救われる人もいるのではないか。

信じるものは救われるのだ。心の平穏を求めて宗教を検討することは間違ってはいないと想う。

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