見出し画像

それは「自意識過剰」っていうんじゃなくて


「あのとき私があの子に言った言葉は正しかったかな。あの問題は本当にこんな性質があるよな。本質はこれなのにな…ああ、また考えすぎてしまった。今日も自分の頭がいっぱいだった。だめだ、もう考えるのはよそう。まったくどうして私はこんなに考えてしまうのかと言ったらそれは…(エンドレス)」

私は俗に言う「考えすぎる」性格があります。
何を考えているかって、外の情報を追いかけるっていうよりは、どちらかというと一人で自分の中に溜め込んだ情報を繋ぎ合わせたり、ひっくりかえしたり、洞察しながら考え続けています。

つまり、自分の世界にあることや自分のことで考えまくっているわけです。
…って言い換えてしまうと、なんだか恥ずかしくなってきます。

「自意識過剰」っていう言葉が、怖いです。

だけど、自分の生きづらさや悩みの解消に焦点を当てた時、やはりそこにヒントがあるようにも感じます。

そんなモヤモヤに、共感してくださった方向けの文章です。

私たちは、一体、どうしたら良いのでしょう。
私たちは本当に「自意識過剰」なのでしょうか?


🌱

今「レオ」っていうアメリカの子供向けの映画を観てるんですけど

主人公のしゃべるトカゲの爺さんが、ある小学生の女の子の家で一晩過ごすことになったシーンが、実はこれを考えるきっかけになりました。

女の子は一家の長女で考えすぎるところがある性格。しかもその考えていることが全て口に出ちゃいます。
それを聞く周りの反応がなんか微妙なものになってきているのは自分でもわかっている。だけど誰も何も言ってくれないから怖くなって余計喋り続けちゃうんだ…と女の子は語ります。(なぜかミュージカル調で)

聞いていて「あーーー」って感じです。笑
全て口に出ちゃうところ以外は、なんかわかる。小学生の悩みなのにね。
周りの反応がないから余計自分が頭を働かせちゃうところとか、特にこれを思い出します。


…そんな女の子に、トカゲの爺さんは
自意識過剰になることはないさ」と言うんです。

その後に優しく「お友達の話も聞いてあげようよ」と女の子へのアドバイスが続くのですが、
「自意識過剰」という言葉が唐突に現れたもんで、私はそこで
「うわぁ…なんてストレートに言っちゃうんだろう」と胸がチクっとして気になってしまったんですよね。

ただ、アメリカなら特にこういう精神状況はストレートに直すべきものとされるだろうなって理解はあり…
それになにより、このシーンがあまりに優しいものだったので、もしかしてこれ以外に日本語に訳す方法がなかったんじゃないだろうか?と思い、
じゃあ原文(英語)ではどう表現されているんだろう…と気になったんです。

それで、Netflixの英語字幕をオンにしてみました。

こんな感じです。

"But you shouldn't feel self-conscious Like you're in a losing battle"
(でも負け戦にいるみたいに自意識過剰になってはいけない)

日本語訳の「自意識過剰」はこの「self-conscious(セルフ・コンシャス)」という言葉からきているようです。

self-conscious…語感からはそこまで悪口な感じはなさそうですね。
もしかしてここに、私たちが抱える精神的問題のヒントがあるのでは…となんとなく直観があったので、意味を調べてみました。

self-conscious
1. 個人としての自分を意識した
2. 〔自分の外見や行動が他人からどう見られるか・どう思われるかを心配して〕人目を気にする、照れくさがる、気の弱い、内気な
3. 自意識の強い
4. 〔文体・芸術などが〕気取った、堅苦しい

英辞郎on the web

結構多いので文脈によって意味合いは違いそうですが、より多く使われそうな1、2あたりを見ると、「自分に意識が向けられた状態」「気にしがち・恥ずかしがり屋」みたいなイメージがありそうです。

この言葉と日本語訳の意味合いの違いについて説明したサイトがあったので、ちょっと文章をお借りします。

「self-conscious」を直訳すると「自意識」ですが、日本語の「自意識」とニュアンスが大分違います。
日本語ではちょっとうぬぼれているイメージですが、
英語では逆に自信がないイメージです。
こういうところが言語の難しいところですね。

ニック式英会話

例文にも「I’m self-conscious about my looks.(自分の外見・顔に自信がない)」などとあるように、「I(私)」を主語にしても頻繁に使われる言葉のようです。ちょっと意外ですね。

日本語では「私は自意識過剰なところがあるから…」なんてはっきりはとても言えないですよね。
もちろん、人に対しても使いにくい言葉だと思います。

だからこの映画ではっきりと女の子に対して使われているシーンに、ちょっと違和感を感じたんですよね。

「自意識過剰」って言うと、日本では人やその精神に対して忌むような形で使われることが多いですからね。
そう指摘されてしまったら、もう相手はすごすごと退散して反省するしかなくなるような感じ。
だって自分大好きな驕った態度って、日本じゃすごく恥ずかしいことだから。とんでもないことだから。馬鹿にしていいことだから。…そんな感じ?
一種のパワーワードとも言えます。

それがどういうわけか、幼少期に常に人目を窺わなければならないような環境にいた経験などから自己肯定感をなくし、自分の言動に注意を向け続ける状態にならざるを得なくなった人に突きつけられているのが、今の日本で起こっている現状なのかもしれません。

ただ、英語の「self-conscious」はそこまでの意味合いは薄そうです。
そもそも「conscious」って「意識する」という意味です。
つまり「self-conscious」は先ほども言った通り、単純に「自分に意識が向けられた状態」。

かと言って「内観・内省・向き合い」という意味はなさそうで、もうちょっと「気にしすぎ」のようなマイナスなイメージも入っているし、使われ方によっては日本語の「自意識過剰」と同じ意味合いを持つこともありますが、元々の語的な意味はごくシンプルなもののようです。

ここで、「誰も何も言ってくれないから怖くなって余計喋り続けちゃう」と女の子は言っているのだから、意識が向かっているのは自分ではなく他人なのでは?という疑問も起こりそうですが、

「誰も何も言ってくれない」
→その原因が自分にあるのでは?
→自分がなんとかしなければいけないのでは?
→その結果、「喋り続けちゃう」…
と意識が「自分」に戻ってきているので、やはり「self-conscious」で合っていると思います。

これがもし「self-conscious」していなければ、
「誰も何も言ってくれない」
→あ、反応ないわ。じゃあこの話おしまい。とか、
みんなもっと他のことに興味があるのかな?
みんなの話も聞いてみようかな?
となるはずだからです。
(必ずしもこの状態の方が絶対に良いと言いたいわけではないです)

そうなると、確かに、「self-conscious」はしすぎない方が、周りも自分も幸せになれそうですよね。

確かにこんなに考え、悩む私たちには、自分を見つめて考え直したほうがいい部分があるのかもしれないです。
ただ、私たちが気にしなければいけないのは「自意識過剰」ではなく「self-conscious」の方なのかもしれません。

selfにconsciousするのをやめてみる。

それは逆に「周りを気にしなきゃいけない」ということではないんです。
また「気にしなきゃ」じゃ本末転倒で。

そうではなくてただ、「ま、いっか」「どうでもいいや」って気持ちで、意識を自分から解放し、周りからも解放し、楽になって、それで自然と周りのことが入ってくる感じが理想なんじゃないかなーと思います。

日本には自己肯定感が低く、神経質・心配性で「自意識過剰」と言われる性質の人が多いと言われます。
それは日本の国民性も大きいかもしれません。
ただ、自覚があってもそこからなかなか抜けられないのは、もしかして適切な言葉がないせいなのでは?という仮説が今日一つ立ちました。

「自意識過剰」…もとは悪口の意味合いはなかったかもしれませんが、そうなってしまった今。もうこの言葉を使うのはやめませんか。

自分にばかり意識が向いて、過剰に謝ったり自分の言動が正しかったか確認する人をみると、確かにイライラするし、視野が狭くてこちらを尊重していない感じがするとは思います。
「自意識過剰」って言葉が咄嗟に出ちゃうのもわかります。
でも自分にまで責めるようにその言葉を適用していては、なかなか前には進めないと思うのです。

かといって「セルフ・コンシャス」に置き換えていけば良いかっていわれたらわかりませんが…
少なくともこの英語の意味する現象を理解していれば、なんとなくすべきことがわかるような気がしませんか。

selfをconsciousから解放する。それだけでいいんです。

英語が得意なわけではないので、何かズレたことを言っていたらごめんなさい笑。

あ、決して映画の翻訳が悪いと言いたいわけではないです。
本当にこれ以外に日本語がなかったんだろうなと思います。(歌のリズムにも乗せなきゃだし)
それに「自意識過剰」という言葉の悪口な部分に私が注目しすぎている可能性もあります。

なにはともあれ、止めていた映画の続きを観てきます🦎

ここまでお読みいただき、ありがとうございました🌷


よかったらサポートお願いします。いただいたサポートは、次の文章を書くエネルギーに使わせていただきます。