見出し画像

noteを始めた理由

こんにちは。たなかです。

今の時代、たくさんのSNSがあり、始めるきっかけというほどもなくすごく気軽に始めたり、何となく友達とつながるツールとして始めた人が多いかなと思う。私も実際にTwitterやインスタは何となく友達がやっていたり、登録した方が見やすいからとか、かなり何となく始めている。

何となく始めていくSNSが多い中で、最近ブログ等長文を書くことが主とされる媒体を始める人は、少し少ないというか、何となくで始める感じではないかなと思う。

そんな中で、なぜ私noteを始めたかというと、

「文章力」をつけたかったから。

10年前だと、ブログが流行っていたり、身近な人との文章での連絡手段としてはメールを使っていたため、ある程度自分が発信をする時点で完成された文章を作らないといけなかった。だから、相手へ伝わりやすい文章構成にしたり、誤字脱字が無いかをチェックしたり、友達相手でもしていた。だけど、今はLINE等あまりにもタイムリーに直感的に発信ができすぎて、文章を構成する能力も、誤字脱字を確認することも必要ではなくなったから、単純にこの能力ががっつり欠如したと感じることがふえました。

スマホが出たり、PCもタッチが出来るようになったり、直感的に作業や表現ができるようになって、すごく便利な世の中になったとは思うけど、単純に注意能力や先を読む能力を失いまくっている気がする。

私が今つけたいのは文章力だけど、文章力がつけば、同時に「構成能力」「語彙力」「会話力」も同時にあがると思う。1つのことでそんなに色々あがるなら、頑張りたいなとも思う。というか、大体のもの相乗効果ありますよね。。

長文を書いていく媒体の中でnoteを選んだのは、インプット面で見ても探しやすかったり、見やすかったりがある。全体的にウィットに富んでると感じたところもある。特にnoteを選んだのは、若干理由薄いです。。

そもそも私が文章力をつけたかったのは、前回もしかしたら書いたかもしれませんが、自分が好きな作品を作って下さる方に、うまく文章にして感想を伝えることができなかったからです。

言葉ってちょっとしたニュアンスや相手の受け取り方で、相手にとってうれしい言葉にも嫌な言葉にもなる。

もちろん私が好きな作品を作って下さる方だから、良い伝わり方をしてほしい。だけど、その為の語彙力も表現力も持っていないから、差し障りのない「面白かった!」とか「楽しい作品だった!」とか小学生みたいな文しか書けなくて悔しかった。

あとは、相手が聞いて嬉しくなってくれる表現を出来る様になりたいのもある。ご時世か、ディスりが面白い風潮や、たまに聞く”けなし愛”だったりがすごく多いが、そういうのって作り手だったり、言われてる方って普通に嬉しくないんじゃないかなと思う。だけど、どうしても聞く機会が多い分、若干そっちよりな文章を書いてしまっているのではないかと感じる時があった。別に全肯定がえらいわけでもないし、明らかに悪い部分を無理やり褒めても誰もうれしくないと思うから、物は本当に言い様だと思う。

言葉の能力が高いことは、相手に嬉しくなってほしかったり、苦しめたかったり、的確な言葉選びが出来るようになると思う。本当にいい意味でも悪い意味でも。

前回と似たようなことを書いてしまったとは思うけど、これからもここに色々と書き連ねて、私が成長していきたい「文章力」の部分を上げていければと思う。

もっとできる様になれば、自分が大好きな作品も沢山紹介していきたいな!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?