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自己中な娘は鏡に写ったわたし

いきなりですが、娘を見ていて
「なんでこんな自己中なん?」
って思うときがあるんです。

独裁者かよっ!
っていうくらい自分がルール。

なんでそうなったんだろう?
わたしの何がそれを創り出しているんだろう?
って考えてみたら…


わ た し も 同 じ こ と や っ て た

ってヤツでした。
鏡として見せてくれてた
ってヤツでした。

大人とつきあうときには見せない姿
母として抑えつけてしまうときの姿が映し出されてるんです。

「早く準備して」(出かける前に玄関の外に出て行ってしまう)
「早く寝なよ」(と言って、強制的に電気を消した)
などなど…

元々そうだったか?と言ったら
以前はここまで強制的ではありませんでした。
思い返してみるとこの頃は娘の自己中も今よりマシでした。

何言ってもこの人時間守ってくれないのだが
と、強制終了させてしまっているから
娘も独裁者として見せてくれているのでしょう。

もう母と娘の傷つけ合い状態です。


こんなの続けていても誰にとっても良いことありません。
じゃ、どうしようか?

ということで自分に向き合ってみました
これ重要なんですが
「娘をどうしようか?」ではないんです。

だって、この現象を創ってるのは「わたし」なので
わたしの中の認識や無意識を変えれば現実は変わるのだから。


じゃあ、わたしは何が嫌なの?
自分と対話していきます。

そうそう、朝の登校班で娘がグズグズしていると
他の子にじろじろ見られるのが嫌なんだよね。
だからその登校班よりも早く行きたいの。
好奇の目で見られるのが本当に嫌なの。

ここで出てきたわたしの声(の、一部)


あああああああああああああああ!!!

すっかり忘れてたけど
わたしの幼少期の嫌だったこととして何度も流れていた(過去形)
映像。

いとこや親戚とお出かけしたとき
駄々をこねるわたし
それを少し離れたところから見ているみんな

困ってるのはわかってる
でも自分の我を通したくて
(多分、自分でもどうしていいかわかってない)
「その目が嫌なの」

この「その目が嫌なの」をずーーーーーーーーっと繰り返してきました。

ある日、勾玉セラピーの交換セッションで
「その目は本当に迷惑と思って見ていたの?」
と、声をかけてもらって
ハッとしました。

そしてこの映像はしばらく忘れ去られていたのです。

今回の件も好奇の目で見ているわけじゃないかもしれないのに
ひとりで腹を立てていたのかもしれない。
あぁ、またうっかりして古い習慣に囚われてしまった。

でも!氣づけたらこっちのもの。
勘違いでもいい、あの子たちは心配して見てくれてるんだ
ってことにする!
決めつけじゃなく
もう無意識にも落とし込むよ笑

わたし(たち)はみんなに氣にかけてもらえる✨

スタートは苛立ちの感情からでしたが
良いところに着地できたんじゃないでしょうか。

集合意識の講座を学んでから
潜在意識の声を聞いたり
思い込みの矢印を変えたりするだけで
現実が変わるし
本当に生きやすい😆

だから自分という人の探求はやめられないんだよね😆

明日からわたしが困っても誰かが助けてくれる。
そうするとわたしも娘も傷つくことが減る。

うん、大丈夫だ。


本文書き終えてタイトルつけたんですけど、
すっごいモヤりました。
自分の自己中を認めたくないんですね。
やっちまったものはしょーがない。認めましょ。

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