21世紀の「飢餓」 昆虫食は人類を救うのか?

昆虫食って意味あるのか?

さて、前のNOTEでも書きましたが、実のところ、私は昆虫食自体に対しては大変好意的です。イナゴを食べたこともあるし、スズメバチの巣を駆除がてら、幼虫を炒めて食べたこともあります。ナッツみたいに美味しくて、あ!これは食べたがる人いるはずだわ!って思いました。

が、近年の持ち上げ方やビジネスとしての昆虫食にはかなり首をかしげています。

特に、食糧危機と絡めたやつは、腑に落ちない。理由は簡単で、そもそも食糧増産に必要なのは、農地の拡大や、肥料による収穫量の増大であって、コオロギではないからです。

コオロギは動物です。だから、カロリーを作り出すことが出来ない。栄養素を変換することはできますが、結局は与える餌に依存します。効率の面では有利ですが、結局の所、畜産物が抱えている問題点を解決できるわけではありません。

だから、変な話だな……と思っていました。我々の場合だと、休耕田や休耕地を再開したほうがずっと意義がある。そんなことを思いながら調べてみると、段々何が噛み合わないのか解ってきました。

それが、どうやら、食糧危機に対する想定の違いです。

私は恥ずかしながら北斗の拳みたいな荒廃した世界をイメージしていました。そもそもの食料が無い。状態です。モヒカンが斧で襲ってくるようなそんな世界。

でも昆虫食について考えている人が想定しているのは、それよりも大分マシな、「社会は続いているし、食料もあるけれども、栄養素が足りていない」という状態のようなんですね。私は、この状態を「21世紀の飢餓」と勝手に呼ぶことにしました。そして、その条件下ならば、おそらく昆虫食にも意味があるかなと思えるようになってきました。以下、ちょっと長くなりますが、お付き合いください。

昆虫食の取り上げ方にもやもやする日々

そもそも人類の食文化はその土地の気候に合わせて発展してきました。タンパク源がない山奥の土地では虫が選ばれますし、海沿いの土地では海産物がよく食べられる。米を作れる地域では米に注力するし、降水量が少なくて草しか育たない地域では、放牧が選ばれる。それはその土地ごとの自然条件によって様々な解決方法が選ばれるわけで、どれか一つの「正解」が決まっているわけでもない。

だから虫を食べることは変なことでも、悪いことでもない。ただ状況に合わせて適応しただけです。珍しいからと言って取り上げてキャーキャー騒ぐようなものでもないし、キモいからと拒絶するようなものでもない。もちろん、別にタンパク源があるならそっちを食べたって良い。

まさにそこが難しい所で、昆虫食って一部地域以外ではそれほどメジャーにならなかった。説は色々とあるんですが、「他にタンパク源があるなら、そっちを食べたほうが効率が良かったから」みたいな考え方があります。実際昆虫みたいなチマチマしたものを集めるのは手間がかかる。害虫駆除の副産物としてのイナゴ、ハチノコ、養蚕の副産物としてのカイコぐらいではないのでしょうか。魚だったら網で一網打尽できるんですが、昆虫だとそうもいかないので。

アリなんか、陸上の動物の中では最大のバイオマスを持っているなんて言われることがありますけれども、これを主食にするのは難しい。例えば、これをほぼ専門に食べるアリクイはその食性に特化した形態をとっています。

なので、長年「昆虫食にはいくつかの前提条件が必要」という認識を持っていたのですが、ここ数年「昆虫養殖」の話が出てきて、一体こりゃなんなんだ?と思っているのが今という状態です。

(追記:うっかり一文追加するのを忘れていました。実は、選択肢を広げる。切れるカードを増やそうという考え方には賛成です。だから企業が参入したり、取り組んだりすること自体はやればいいじゃないかという考え方なんですが、ただ、それをするにしても条件をちゃんと整えないといけないよね……という話です)

そもそも飢饉はくるのか?

食糧危機、最近よく聞くんですが、よくよく考えるとこれって「そもそも全員分が食べれる食料がない」状況と、「戦争や疫病、または社会情勢で食料が分配されない」状況の二つがあると思っています。ロシアのウクライナ侵攻による食糧危機は後者であって、そもそも現時点で我々人類は全員が食べれるほどの食料を生産しているのは有名な話です。

人類は、生存に必要な食料だけでなく、カカオとかコーヒーとかお茶とかケシとか砂糖とかタバコとか、生命維持に必要ではないものまで生産しているわけで、それらを転換すればまだもうちょっとこの数字は増やせるはず。

私が住んでいる北海道なんて、ちょっと走るだけで、放置された農場や、原野に戻りつつある休耕地を目にしたりすることがあります。北海道で農業をやるより、外国から買ったほうが安いから。

つまり、私達が直近で抱えている問題に対する解決方法としては、食料分配のための仕組みや平和のための努力であって、食料を増産しようというのは優先度が低いんですね。

また、人類の人口もそろそろ限界が見えてきました。例えば国連の予測では、大体100億ちょいぐらいの所で頭打ちになる。とされています。

https://population.un.org/wpp/Graphs/Probabilistic/POP/TOT/900 で出したやつ

図の中の赤線は多い時と少ない時の中間をとった数字。大体100億ちょい上ぐらいになっているのが分かると思います。

これは、発展途上国でも子供の数が減っているのが原因です。避妊の技術や子供の死亡率の低下によって、今までの「たくさん産んで数人が生き残る」みたいな方法より、「少なく生んで集中投資する」戦略が有利に働いていると考えられています。

ということで、実は、「人類が増えすぎた人口を宇宙に植民して半世紀……」の時代は来ないことがほぼ確定しているんですよね。なぜなら、発展途上国でも出生率が下がっているので。ちょっと前のSFでは、人口爆発がよく取り上げられましたが、現実の人類は大体100億ちょいの人口を最大値として考えれば良い。

現在の人口は、80億ですから、大体1.25倍。25%増しぐらいの食料をどこかから確保すれば良いことになります。そして、この確保においては、昆虫の養殖は基本的に無意味です。必要なのは、エネルギーの一次生産者であって、消費者ではない。つまり、作物をより多く育てるしか無いわけです。もちろん、食料生産に向いている土地は既に殆どが使われているわけで、後は効率を上げたり、使えない土地を使えるようにする技術(灌漑とかですね)を生み出していくのが大切かと。

後で書きますが、うまく条件が整えば、昆虫の養殖も有利に働く部分があるんですよ。具体的には、食品のロスを防げる。ただ、それは、太陽光をカロリーに変換してくれる植物あってのこと。根本的な解決方法ではないんですよね。

私がこれで注目しているのが遺伝子組換え。まあバイオテクノロジーは失敗すると、遺伝子汚染とかやばいことになってしまうので慎重にやらなきゃ!とは思うんですが、例えば光合成の仕組みをちょっと変えて、より効率的にカロリーを生産できるようにする……なんて研究もあったりします。

少なくとも植物を育てるやり方では、隕石衝突とか火山の噴火や大規模な気候変動がない限り我々人類は食糧危機を乗り切れそうかな……と思っています。

肉に変換されていく飼料

ということで、人類はもう自分が食べるより多くの穀物を生産しているわけですが、これらが何に使われているのかというと、結構な部分が家畜の飼料になっているわけですね。

んで、これはやっぱ効率が悪い。大豆を家畜に食べさせるより、人間が大豆を食べた方が効率いいわけです。あと水も結構使う。そこまでしてなんで肉にしたがるのかというと、そっちのほうが高値で売れるから。(ああ資本主義よ!)

肉食にもメリットあるんですよ。タンパク質が段違い。人類が脳を発達させたのは肉食によって大量の栄養素を手に入れたから。なんて説があるぐらいには効率が良い食材です。草をモシャモシャ食べるより、草を食べた獣を襲って食べたほうが効率がよい。肉食動物が繁栄するわけですね。

ところが、自然状態の獣を狩るなら別ですが、近代的な大規模集約の畜産は完全に肉変換工場になってしまっている。これは私が小学生の頃から学研の科学とかでも批判されていた所です。さらに、当たり前ですが、大豆を飼料として獣に与えると、かなりの部分目減りするんですよね。推定によって違うんですけれど、例えばウシの場合、体重を1kg増やすのに、飼料が10~11kg必要だとか。

つまりこの飼料が大豆なら、なんと十分の一以下に目減りしてしまうわけですね。(おまけに、いまカロリーで計算してみたらもっと減ってる!)それでもそれ以上に売れるから、皆育てるわけなんですけれども。

当たり前ですが、自然界での生産者は植物です。動物はその作り出した資源を食べて、体内で組み替えて肉にしている。それを人間が食べる。人間が接種しやすいバランスになったり、アミノ酸が変わったり、人間が利用できない栄養を変換してくれるメリットはありますが、基本的には与えたエネルギーより多くのものは生み出せない。

そこで、だったら、家畜として昆虫を飼えば良いんじゃないの?なんてアイディアが出てくるわけです。これは自然な発想だと思います。確かにコオロギは効率が良い。変温動物ですしね。今の食肉を全部コオロギにチェンジしたら、かなりの資源が浮くのは確実だと思います。

でも、ちょっとまって? それって売れるんでしょうか? だって今これだけ手間かけてカロリーをロスして食肉を作っているのは、そこまでしても肉が高値で売れるからですよね?

コオロギに変えた所で「あっ、じゃあ、豆腐食べます」って言われたらそれで終わってしまう。ここが一番の問題点だと思うんです。

私たちは絶対に必要だから、肉を食べているのではなく、好きだから肉を食べているんですよね。一応、ビタミンB12とかの問題があるので、完全菜食は難しいし(ヴィーガンの人がぶち当たる壁です)、栄養のバランスを考えると動物性タンパク質を取ったほうが良いのも事実ですが、現時点での食肉はどちらかというと嗜好品としての扱いが強い。

もし将来飼料が高騰したら、いや、高騰することは多分確実なんでしょうけれども、そうなると肉の値段はどんどん高くなる。そうなった時に、果たして「じゃあ、コオロギ食べるか~~!」って人がどれくらい居るか。私としては、そこであっさり諦める人も多いんじゃないかと思っています。

あ、もちろんじゃあ代用肉に流れるか!って人も居るとは思うので今のうちから手を付けておくのは商売的には意味のあることだとは思いますが、結局それって「いかに美味しい食品を作って買ってもらうか」であって、コオロギを食べて生き延びる!みたいな話ではないんですよね。

つまり、コオロギ食は新しい嗜好品を作り出そうという話であり、食料増産をするための話ではないわけです。

嗜好品としての肉か、必需品としての肉か?

上の段落では、肉は嗜好品だ。という前提で書いていたんですが、実は「肉(動物性タンパク質)は必需品だ」という意見もあるんですよね。たしかに理想的な食事のメニューにも動物性タンパク質は取るように書いてあります。タンパク質を十分に取れないと、発育に影響がでるって話もありますしね。

ところが、「じゃあ、動物性タンパク質をどれくらい取れば良いんだ?」という疑問に対しては意見の分かれるところなんですよね。ヴィーガンの人なんかは、全く取らないでOK!って言う人もいたりします。(ちょっと極端だと思いますが……)
ただ、世の中を見てみると、完全菜食はやっぱり難しいようで、例えばインドのベジタリアンは牛乳をよく飲みますし、我々の場合は魚、山間だと昆虫でした。

だから、日常的に必要なタンパク源として、コオロギが入る余地があるのではないか……?という予測もあり、そうなると、昆虫食にはメリットが出てくるわけですが、ここは色々と情報が錯綜していてちょっと保留とさせてください。

後述するように、プロテイン・クライシスなどの単語に関しては、嗜好品としての需要もかなり含まれているように思えますので……。

そもそも、世界にはニューギニア高地人のように、ほとんど芋だけ、タンパク質は殆ど取らない。という状態でも筋肉を発達させている人たちがいるわけですし(なんと、腸内細菌の働きが示唆されている!)「人間に必要な動物性タンパク質はどれくらい?」って話も今後の研究で変わってくることだとは思いますが。

プロテイン・クライシスって?

今回、この件について色々と調べてみたところ「プロテイン・クライシス」という言葉について知りました。

NRIの人がまとめてくれてPDFも公開してくれてる(太っ腹!)なんですが、これによると、そろそろ世界的にプロテインが足りなくなる。と考えられている模様。

ただ、その計算なんですが……

野村総合研究所(NRI)の独自推計では、世界的な人口爆発に加え、新興国の経済成長に伴う 1 人当たりタンパク質摂取量の増加により、50年には18年の世界総タンパク質摂取量の約1.5倍に上る3.4億トンものタンパク質需要に達することが予見される。

プロテインクライシスがもたらす食品業界の地殻変動
より

ただ単純に、人口が増えたから……ではなく、「皆が肉を欲しがるようになったから」なんですよね。だって、50年の人口の予測は90億超え、18年の世界人口は76億人ですからね。人口1.18倍なのに、需要は1.5倍。うーむ。これをクライシスと呼んで良いものか……。

ただ単に経済成長で需要が上がった!ってだけの話なんじゃ……?って思ってしまいます。まあ、商売やっている人から見ればたまったもんじゃねぇ!ってなるんでしょうけれども。NRIの資料を読む限りは、言葉と実態が思った以上に温度差がある印象です。

反芻動物まじすげぇ!これから毎日草を食おうぜ!

今回色々と調べていくとなかなか面白いページを見つけました。

畜産関係の人が書いているテキストなので、その分を割り引いて考えなければいけないんですけれども、ここで紹介されている計算式が面白い。

なんと、「ウシに与える飼料を人間が食べた時のカロリー」と「ウシを食べた時のカロリー」で比較しています。

例えば私が牧草を食べてもエネルギーにできないんですが(具体的にはそのままトイレで出てきます)ウシはそれをエネルギーにできる。
ってことは、人間に利用できないエネルギーを人間が利用できる形に変えてくれているってわけです。

表2はカロリーでなくて、タンパク質での比較なんですけれども、乳牛で3.78っていう凄い値が出ています。つまり、私がウシの飼料を食べるより、その飼料をウシに食べさせて牛乳を飲んだほうが、タンパク質は3.78倍ぐらい効率よく取れるってことですね。理想的なウシは、まるで牧草をミルクというタンパク質に変換する機械のように振る舞うらしい。

ちなみにこの表だと、ウシは良いスコアを出していますが、豚や肥育牛はになるとそのスコアはガガっと落ちる。豚に関しては人間が豚の餌を食べたほうが効率が良い(表現!)

どうしてウシだけこんなに?って考えたんですが、これは単純にウシが反芻動物だからでしょう。ウシは反芻によって、植物のセルロースを利用することが出来ます。これは我々人類には消化できない(※腸内細菌でちょっぴり利用している説ありですが)なので、我々が牧草を食べるより、ウシに食べさせた方が遥かに効率が良い。

ただ、反芻動物はその仕組み上、結構な量のメタンガスを発生させます。胃の中で微生物にセルロースを分解させるからなんですけれども、これは近年の地球温暖化の観点からは望ましくない。だからいい話ばかりではないのですが、まあこれはバランスの問題でしょう。

んで、ここで「じゃあコオロギはどうなんだろう?」って思ってみたんですが、残念ながらバッタ類はセルロースの分解がそれほど得意ではない様子……うーむ。一応腸内細菌は持っているようですが……。(ここは専門知識が必要で、正直私の知識だと限界があります。どなたか詳しい人いたらぜひ教えてください)

なお、貝類はセルロースを分解する酵素を自分で出せるそうです。貝といえば、ナメクジですから、もしかしたらナメクジのほうがコオロギより効率良かったりする??(なんかどんどん、変な方向にきている気もします)

人間が、利用できない資源を利用できるように!

考えてみれば、畜産って本来はそういうものなんですよ。北海道では酪農が盛んな地域があるんですが、裏を返せば、酪農ぐらいにしか向いていないんですよね。根釧台地なんて夏場は霧がひどくて、植物の生育が悪い。でも牧草は育つから、そこにウシを放つ。

放たれたウシは、草を食べながら移動して、それをミルクに変えてくれる。降り注ぐ太陽光エネルギーがショボくても、面積を集めれば、それは人間が利用できるものになります。

豚だってそう。ヨーロッパでは秋になると豚を森に放つ。豚は人間が渋くて食べれないどんぐりを食べて太り、それを冬場にハムにする。生物資源をうまく使うことで、人間は様々な土地で生活していくことができるようになりました。

もっとも、いまその構造は崩れています。人間も食べられる(もっとも飼料用のデントコーンは美味しくないそうですが)穀物が家畜に与えられている。これだと本来の家畜の持っている利点が一つ消えてしまっているわけですよね。

そこにコオロギを投入してもその構造は変わらない。いや、効率はだいぶ良くなるんですよ。水の量も減る。ただ、それ以外の構造には何の変化もありません。今のコオロギビジネスは、味の問題で穀物を使っているそうですけれども、これってどうにかならないものか……。
https://project.nikkeibp.co.jp/mirakoto/atcl/food/h_vol52/  に飼料の記載あり)

コオロギが輝く可能性

んで、コオロギの立場になって考えてたんですけれども、こちらに面白い内容が。

国連が2013年に出した昆虫食に関する報告書を紹介していて、実際にその資料も見れるんですけれども、ここに面白いことが書いてある。

 昆虫の飼育が産業化されれば、フィッシュミールの代わりに昆虫ミールを家畜用飼料に使用することにより、いずれコストの低減が可能となるであろう。また、ヒトの消費に回る魚の供給量が増加するメリットも考えられる。
 ほとんどの先進国では、法律でスラリー又は残飯などを実際に動物に給餌することは禁止されているが、昆虫類を飼育するとすれば、通常その餌の材料には、禁止されているこれらが使われると考えれる。特に廃水で昆虫を飼育する場合は、さらなる調査研究が必要となるであろう。しかし、昆虫類はほ乳類と生物学的に大きく異なることは科学者が広く理解するところであり、昆虫類の疾病がヒトに伝播するとは非常に考えにくい。

https://www.fsc.go.jp/fsciis/foodSafetyMaterial/show/syu03830870295
 
 より

フィッシュミール、つまり飼料に使う小魚ってのがあります。昔のニシンをつかった肥料みたいに、大量の小魚を取ってきて、飼料とかに使うんですね人間は食べない。これをいくらかコオロギに置き換える。おお!たしかにこれは可能性がありそうです!

当然、人間の食べ物とバッティングさせてしまうとまずい。養殖には人間の利用できないものをあげて育てるのが良いでしょう。具体的には野菜くずとかですね。食品工場とかからでる大量の産業廃棄物をコオロギに処理させれば、ゴミの量が減る上に、コオロギも手に入る。

私は昔食品工場でバイトしたことがあったんですが、暑いのなんのって、大きな釜でお湯をグツグツ沸かしているわけですから、とんでもない熱気です。地獄にきたのかな?ってぐらいの環境でしたもん。ってことは冬でも温かいということで、その熱を利用すれば、コオロギ養殖で問題になる温度もクリアできる。

コオロギに最適な温度は25度から30度あたりだそうですけれども、わざわざそのために暖房してエネルギーを使うのはちょっとナンセンスですよね。やっぱり今無駄にされている資源を使わなきゃ。

今は捨てられているカロリーやエネルギーを、コオロギを使って回収することで、新たなタンパク源を供給する。こういうスキマ産業的な使い方がコオロギビジネスの一番輝く所なんじゃないかなって思うんです。

逆に言うと、大規模な農場で食料を増産させるようなイメージでコオロギビジネスを説明されると「ダメじゃん!!」って思ってしまいます。

そもそも、欧米は肉を食べ過ぎ!

本筋とは離れますが、今回「そういえば、今の我々ってどれくらい肉を食べているんだろう?」と思って調べてみたんですが、そこで出てきたグラフでひっくり返ってしまいました。


https://www.asahi.com/sdgs/article/14407143  より引用

アメリカ、一年間で肉を100kgも消費しています。一日あたり、270gとか食べてます。うそ……だろ?いきなりステーキの最上位レベルの量を……?

「ん? なんだ? 俺はただ肉を食べていただけだが……?」じゃあないんですよ。

しかも国民が少ないから数字が多く見えているだけ~~とかじゃなくて、3億3000万人とかいる米国民全員がこの量を食べているってことですからね。

……そりゃ資源使い果たすよ!!もっと考えて!!!

逆にすごいのがインド、悟りまくり。これは徳が高いです。まあ、ただ単に経済的問題かもしれませんが……。

なお、米国と言えば誰もが知っている肥満大国として有名です。

正直、SDGsとか、持続可能とかそれほど熱心ではなかったんですが、こういうグラフを見ると、「アメリカは痩せろ!!!」という気がムラムラと湧いてきますね。これからプロテインクライシスがくるぜ!!とか言っている隣で、肥満が問題になるなんて……。人類は一体……。(もっとも、貧困層の肥満は炭水化物を食べまくるのが原因とも言われています。でも数字見る限り、肉も食い過ぎだよなぁ……)

ぶっちゃけ、先進諸国が日本並みに肉の消費量落とすだけで、食糧問題のかなりの部分解決したりしませんか?(インド並みに落とせばもう最強)そっちの方が健康にもいいし、痩せるし、良いんじゃないかな……。文雄、国連で提案してくれよな!

21世紀の「飢餓」

さて、ここまできて、ようやく冒頭の話に戻るんですけれども、どうも私が考えていた「飢餓」のイメージと、昆虫食関連の人が考える「飢餓」って違うっぽいんですね。

繰り返しになりますが、私、お恥ずかしい話、食糧危機と聞くと、北斗の拳みたいな世紀末ヒャッハーワールドを想定していました。
「もう食べるものがねぇ!虫を食べることで生き延びるしかねぇ!!」みたいな。その想定で養殖による昆虫食を考えると、前にも書いた通り「虫の飼料を食べたほうが良いだろ!」って話になるので、意味のないビジネスなんです。

でも、昆虫食の人が考えている「食糧危機」は違う。総合すると、きっとこんなシナリオなんじゃないかなと思うんです。まず、食料生産が逼迫して、穀物の値段が上がる。それにつられて肉の値段が上がる。肉の値段が上がると、庶民の口には入らなくなる。戦後の日本みたいですね。

貧困層の中には栄養失調で倒れる人も出てくる。でも、貧困層がろくな物を食べていなくて倒れるのは今でもあることですから、問題とはみなされない。ただ統計的には数字として観察されることでしょう。エンゲル係数は徐々に上がっていく。背の高さも貧困層と富裕層で明らかに変わってくるのではないかと思われます。これも戦後の日本でよくあったことですね。

おそらくどこかで、アメリカの貧困層が痩せ始めると思われます。そうなったら、本格的にまずいサイン。だけれども、最初は「良いこと」としてみなされてそれほど問題にはならないとは思います。虫歯の数も減るんじゃないですかね。例えば戦争で砂糖が不足すると、有意に虫歯の数が減ったりするので。

そして、これは私が確信していることなんですが、貧困者が飢えて倒れたとしても、人類は、嗜好品を作るのをやめないでしょう。コーヒーやお茶は相変わらず生産され、地球の裏側まで輸送される。スタバは営業をやめないし、お金持ちは、フェアトレードを歌うチョコレートを齧りながら、Facebookでいいねをつけるのに忙しい。

今までの歴史で何度も繰り返されたような光景が、それとわからないように静かに動いていくのではないかと思うんです。奴隷が飢えて死んでいても、砂糖を輸出しつづけたプランテーションのように、ジャガイモ飢饉でも小麦を出荷したイングランドのように、ウクライナが旧ソ連の政策で収穫物を取り上げられ地獄の苦しみを味わったように。

多分、21世紀の「飢餓」は格差と共に、静かにやってくる。
徐々に浸水していくピラミッドのように、末端部分から静かに死んでいく。そんなイメージ。

そんな時に、安価なタンパク源があれば……どうでしょう? 貧困層の栄養
失調を救えるかもしれません。その場合、コオロギというより「プロテインパウダー」みたいな感じの健康食品として取引されるようになるのではないかと思いますが。動物性タンパク質は栄養バランスが良いので、何かにふりかけて使うだけでも結構効果はあるのではないか。

そう考えると、昆虫食、つまりコオロギの養殖という事業にも意味が生まれてくるのではないかと思うのです。

でもでもでもさ、ちょっと待ってください。その話っておかしくないですか?それってスーパー限界格差社会で、貧困層でも買える健康食品を作って美味しいところ持っていこうってことじゃないんですか?

おかしいのは社会の方でしょうそんなの。

これから超格差社会が来るぞ!それに合わせて技術を開発しよう!じゃなくて、そもそもそんな社会は来ちゃいけないでしょうっていう。

幸い、我々の社会は資本主義ですが、法令や税制などで、そこにある程度の規制をかけることができます。最低限必要なタンパク質が、社会に行き渡るように対応を取っていくべきではないんでしょうか。

そう、今の私は思っています。もっとも、その結果、「もはやコオロギを使うしか全人類の動物性タンパク質は供給できないのだ!」ってなる可能性もあるわけですが。だったらしゃーない。だって現実そうなってんだもん。どうなったらもうモリモリ、コオロギ食うしか無いよね!

さて、以上が21世紀の「飢餓」についての話なんですが、書き終わった後、一つの疑問が生まれました。

もしかして……今の私たちの社会は既にそうなっているのではないでしょうか? 現代の日本にも、いやどの社会にだって貧困者はいますし、親のネグレクトとかで栄養失調に苦しむ子供だっています。

もしかしたら、飢餓というものは常に社会の中で発生していて、記録に残る飢餓との違いはただの程度に過ぎないものなのではないか。21世紀の「飢餓」はもっと前から始まっていたのではないでしょうか?

アメリカを含め、貧困層の栄養バランスが狂っていて、色々と悪影響が出ているのは有名な話です。そして、おそらくそれらはコオロギでは救えない。「この粉を食べると、健康になりますよ」なんて言って素直に買ってくれるか?というとかなり怪しいと思います。だって現時点でサプリメントがあるのに買ってないんだから。

問題はもう起こっていて、そして放置されている。救済する方法も、ぱっとは思いつかない。あるとしたら、栄養の教育ぐらい……?

一体、この問題はどう解決されていくのでしょうか……。今の時点ではさっぱりわかりません。

とりあえず、アメリカはもっと痩せるべきだと思います。

(2022/3/8 追記を書きました)

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