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拝啓 じいちゃんへ


じいちゃんに手紙なんて書いたことあったかな、
幼稚園の時、敬老の日で絵を描いたことはあった気がするな。

おじいちゃんおばあちゃんの絵を描いてねって言われて、
一緒に住んでない父方の祖父母のことは頭にも浮かばず
大きくじいちゃんの絵を描いたのを覚えてる。

5歳の頃、一緒に住み始めてたくさんテレビの前でチャンネルの取り合いしたね。私がリモコン持って話さないとお尻ペーーンって叩いたね。

小学校に上がって、テストで100点取ると100円くれたね。
でもいつしか100点とったよって言うのも恥ずかしくなってもらわなくなったけど。もうちょっと100点とってたんだよ。

私は小さすぎる頃にばあちゃんは死んじゃってるから、なにも覚えてないけど
じいちゃんは一人で毎日毎日田んぼに行って畑に行ってたね。
多分何をやってたか私は1割も知らないんじゃないかな。

私は田植え、稲刈り、できた野菜を取る、とかいいとこ取りしか手伝ってないからね。田植え機の運転と夏にきゅうりとさやえんどうを取るのがすごく好きだった。
夏は水がキラキラしてて、今でも夏野菜の畑をたまに思い出すんだ。


じいちゃんはかなり自分勝手な人だったね
よくお母さんとお父さんと喧嘩してたね。
周りのじいちゃんの同世代の人たちは優しかったけど
お母さんたちとバチバチに喧嘩してるとき絶対に意見を譲らないじいちゃんは、言い合いが終わった後どこか寂しそうな顔でお茶をすするのを私はみてたよ。

お父さんは怒ってるときもあったけど、一緒に野球見て盛り上がってたり、タバコ吸ったり、じいちゃんを手伝ってたから、
「お父さんはじいちゃんのこと好き?」て聞いたときがあったの。
「じいはわがままだけど、ここまで一人で立派に百姓を続けてきててそこはすごいことだって覚えておいてね」って言ってたよ。

お母さんはね、だんだんちょっとじいちゃんに似てきたんだよ。自己中なところ(笑)死んでも言えないけどね本人には
二人が本気で言い合ってて、でもたまに楽しそうに話してる瞬間を見るとやっぱり親子なんだなあって思ってた。まあ似てるからあんなに喧嘩してたのかな、
でも私はお父さんがじいちゃんくらいになってもあんな喧嘩はすぐ負けちゃうからできないと思う。じいちゃんの娘さん姉妹は強いからできたんだろうね、ばあちゃんに似たのかね


もうじいちゃんとは住めないってなって、お父さんはじいちゃんに極力会わないように会社からの帰りが遅くなって、お母さんが引っ越しの準備を始めたとき、どう思ってたのかな。
「出て行くから」ってお母さんがじいに言ったとき、嘘だと思ったかな、早くいなくなれって思ったかな。

私も実は家にたくさん段ボールが来るまでは嘘だと思ってたの。
段ボールが置いてあるのを見て、「え?本当に引っ越すの」って聞いたら
もう家決めたわよって言われたの。中三の秋。私にとってのふるさとの家だったから正直嫌だったし、私だけ残るとか言おうかと思った。でもじいちゃんと私二人だったらきついね。無理だね。笑


家が決まって本当に引っ越す2週間くらい前からお父さんはそっちで寝るようになってた。私は1週間くらい前に初めて新しい家に行って、久しぶりにお父さんにそこであってもっと実感が湧いた。

もともとじいちゃんは一人で住んでたから大丈夫だろう、なんて思ってたけどそのとき75歳のじいちゃんを置いて家を出るって相当なことだよね。

私がどこの高校はいったとか、お母さんのお姉ちゃんとかから聞いたのかな。ちょっとくらい制服姿見たいなとか思ってくれたかな。
でも中学と色しか変わらないセーラー服だったんだよ。クラリネットで高校行ったんだよ。

でも引っ越してからはお父さんお母さんには、じいの話するのは御法度かなって思ってできなくて。でもお父さんの兄ちゃんが
「じーさんは大丈夫なのかね、心配だから見に行きたいよね。二人で行くけ?」って言ってくれたときがあって嬉しかったんだ。
私もひとりで自転車で行こうか迷ったこと何回もあった。
でもじいちゃんは私と一緒で嬉しいことは顔に出ないし、「誰だ?どうしたんで?」とか言いそうだし、嬉しくないかなとか思っていけなかった。


3年前、めったに電話なんてしてこないお母さんから急にかかってきて、どうしたんだろうって思った。
今まであんまり聞いたことない声で、よく聞いて、って

「じいちゃんが死んじゃったんだって」

って言ってきた。
え?ああ?え?って。

その夜、暗い部屋とかトイレに行くまでの廊下もじいちゃんが出てきそうで怖くて一人で行けなかった。笑


4年ぶりに住んでた家に行って、じいちゃんの遺影を見たときは、知らない人みたいだった。
髪の色も顔の肉つきもすごく変わってた。ひいおじいちゃんの遺影に似てた。

じいの娘3姉妹は相変わらずうるさくて、長女の旦那も喪主してくれてたけど私は3姉妹の仲取り持つのと、ベロベロの伯父さんの酒の相手するの大変だったよ。
お母さんはずっとじいと暮らして面倒見てたのに、姉ちゃん二人は
「3人で協力して分担しよう」て言ってるの見て私、は???ってなったの
元から分担してればよかったのに。

お父さんはお葬式には出ないで、お通夜の夜おそーくかなんかにお線香だけあげに行ったけど、それだけで伯父さんと言い合いになったみたいだよ

お母さん側の家系の人は、お父さんとは合わないみたい


久しぶりに住んでた家に行って、懐かしかった。

じいちゃんは私たちの部屋がある二階には絶対来なかったけど、引っ越してから行ったこととかあった?

子供会でディズニーに行くとかですごい早いときとか、お母さんたちが寝坊して降りて来なかったときは下から叫んで起こしてくれたよね

いつだか、どんな音とか地震とかでも起きない私が悪臭で目覚めて何かと思ったらじいが毎朝自分で用意して食べてた小豆を火にかけたのを忘れて外でちゃっってお母さんたちに怒られてたときも絶対に謝らなかったね。
謝らないところ、お母さんも似てるときあって、私も似てるんだ。直そうと思う。お父さんにも彼にも怒られるしね


私ね、じいのこと苦手だった。約10年一緒に住んでても苦手だった。
でもやっぱり出て行ってからあわなかったことはちょっと後悔してるし、出て行くときも私は普通に朝学校に行ってそのまま帰らなかったからちゃんと話したのが何とかも覚えてない。
でもたまーにじいに言われたこと思い出したり、漬物の味思い出したり、遠足の前お小遣いくれたり、畑や田んぼのこと思い出すんだ。

今日もふと思い出したから最初で最後の手紙を書いてみたよ。

何を伝えたいとかじゃないし、絶対最後まで読んでくれないと思うし

天国と地獄があったら正直天国に行くだろうとも言い切れないじいだけど

もし、ばあと会ってそっちで暮らしてるとかだとしたら、
間違ったことしたらごめんは言えるようにしようね。お互い。


言えなかったからここで今更だけど言っておくね


今までありがとう

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