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HOPELESS

 ちょっと待ってくれ、酒を用意するから。俺はね、酔わないと喋れないんだよ。ああ、これ? チューハイだよ。スーパーのプライベートブランドの。安くてすぐに酔える。俺のエナジードリンクだよ。ハハハ。ストロングゼロなんて高級品だよ。ストロングゼロが五百ミリリットルで二百十円だろう? そう、税込みで。そうそう。これは税込みで百三十円だからね。度数は九パーセント。まあ、中になにが入ってるかなんて知ったこっちゃないよ。酔えればいいんだ、酔えればね。


 で、そうそう。え? ああ、まあ、ウイスキー買ったほうが安くあがるんだけどね、なんか酔えないんだよね。無限に飲めちゃうから、結局この缶チューハイが手っ取り早いのよ。


 一応ね、グラスに氷を入れて飲むの。で、チビチビ飲んでるとそのうち酔ってくるって寸法よ。


 でもなあ、何か話せって言われても困るんだよな。ほら、いままで自分から話したことなんて精神科にかかるときかカウンセラーと話すときくらいだからね。カウンセラーと話すときだって質問されてそれに答える形だったからね。うん、それくらい自分から話すのは苦手なんだよ。苦手だし、好きじゃない。


 ほら、人はみんな話したがりの生き物だろ? だから聞いてあげるんだよ。そうすると嘘みたいにいろんなことを暴露するんだよね。あるときなんて「千葉さんと話してると全部話しちゃうから怖い」なんて言われたよ。うん、前の職場の後輩にね。え? 聞くテクニック? まあ、そりゃコツみたいなのはあるし、昔心理学の本を読み漁ってたときもあったからね、それが活きてるのかもしれないね。でもむなしいもんだよ。こっちは別に仕事で聞いてるわけじゃないからね。そりゃたまには寂しくて話を聞いてもらいたいときだってあるさ。でもそういうときでも誰も聞いちゃくれないんだよ。いつもいつの間にか話を聞いてる。聞いて、盛り上げてる。それで今度はいよいよ自分が話せる? んなこたあないよ。スッキリして去っていくのさ。だから俺は自分のことを愚痴の最終処分場って思ってる。


 ああ、ちょっといい気持ちになってきたな。で、何の話だっけ? いや、そもそもなにかが俎上に上がってたか? ハハハ。……最近はなんだかマッチョだよねえ。なんていうの? 論理的マッチョって言えばいいのかな? 論理的に話すのがカッコいいみたいな風潮あるじゃない。ひろゆきのブームもあるんだろうけど。でも俺からすりゃあんなもん、犬にでも食わせろって話だよ。そりゃ俺だって論理的に話せって言われりゃするけどさ、でも「論理的に話す」っていうのが正しいとは思わないなあ。だってほら、聞き手の感情を無視しちゃってるじゃん。だからといって感情論が正義かと言われたたそれもそれで違うんだけど、でも、いまは「聞き手の感情」を見てないよね。


 ああ、もう、くだらない。どうやら俺には本質から避ける傾向にあるようだ。


 自分でいうのもなんだけど、俺は聞き上手だと思うよ。独学だけど勉強もしたし、訓練もした。将来はカウンセラーになりたいと思ったときもある。その原動力は幼少期に父親から「お前の話はつまらない」って言われたことなんだよね。じゃあ面白ければいいのかなっていろいろ道化を演じてみたけど見向きもされなかった。いまでもその癖は残ってるね。だからほら、俺は酔わないと喋れないんだよ。すぐふざけちゃうから。それで母親に聞いたんだよね「どうすれば話上手になれるのか」ってね。そしたら「まずは相手の話を聞くこと」って言われて。それが原点だね。幼少期の俺はまず聞いたよ。とにかく聞いた。自分の話は封印した。家に帰ってきたら母親の仕事の愚痴を聞いて。聞いて。聞きまくった。親だから話し終えれば俺が今日友達と作った大きい泥だんごの話ができると思って。でもそれは永遠に来なかったね。さっきも言ったように、人は自分の話ができたら去っていくのさ。まだ小さかったからそれに気づかずに健気に聞いたよ。今日学校であったこととかは封じ込んで。だって俺の話はつまらないんだから。


 あとから知ったことなんだけど、これって俺が母親の、親の代わりをやってたんだよね。お互いに無意識的に立場が逆転しちゃってたから当時は気づかなかったけど。いや、いまでも母親は気づいてないんじゃないかな。まあ、もうどうでもいいことだけどさ。


 ああ、もう一本空けちゃったか。ちょっと待っててくれ。冷蔵庫から出すから。


 そうそう、で、そんな生活を十何年と送っていくうちに、俺の精神がもたなかったね。十八の夏に俺が壊れたんだよ。母親は愚痴だけじゃなくて家計のことも喋るようになったし、俺は小・中学生のころそろばん塾に通ってたんだけど、その月謝袋を渡すたびに嫌味を言われたりしてさ。高校受験のときに塾に通ってたんだけど、そのときも塾内で一番の成績を取っても「高い月謝払ってるんだから」って言われてね。高三の夏期講習もそんなカネは無いって受けさせてもらえなくて、塾長の厚意で通えるようになったんだけど。


 だからねえ、努力しても報われなかったね。いつか褒めてくれると信じてきたけど、褒められたことは一度も無いね。


 そろばん塾に夏になると合宿があって、それが終わると作文を書くのね。そのときに先生から「佳介は文才がある」って褒められて、そこから書くのが好きになったんだよね。


 書く、って一方的に自分の思ったことを伝えられるでしょ? 会話だと話題をすり替えられたりするけど、文章はそれがない。しかも面白いと褒められた。


 だから性懲りもなくいまでもこうして文章を書いてるんだよね。ここだけが自分の思ったことを吐き出せる場所だから。誰も読んでいなくてもいい。そう、同調も称賛も期待してないから。


 ――ああ、ちょっと飲みすぎたかな。退屈な話をベラベラとしてしまった。こういうときは必ずあとで自己嫌悪に陥る。だから話すのは嫌なんだ。


 就労移行支援事業所に通ってわかったのが「働けない」ってことってのも皮肉なもんだね。スタッフはそんなことないって言うけれど、これはもう理屈抜きで確信したんだよ。


「千葉さんは能力があるから」


「体調さええ整えればすぐに……」


 ってさ。能力なんてあったってこんな状態じゃ話にならないじゃないか。体調だって、PTSDで就職が近づくと崩れるんだから、そんなの机上の空論だ。なあ、なら、そんなに俺を働かせたいなら、健康な精神をくれよ! 社会に踏みにじられた自尊心を返してくれよ! この満身創痍の心を癒やしてくれよ! なあ! おい!


 できないんだろ? わかってるよそれくらい。だからもう、放っておいてくれ。俺はただ、あのときに、大きな泥だんごの話をしたかっただけなんだよ……。

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