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波に乗る最高の夜がこわれてく

ばんちゃっす、ロカです。

世間はお盆休み。バイト時代からそうだけど、ほんっとうに僕は盆や正月などと縁が薄い。帰省するわけじゃなし、別にいいんだけど。いまはお盆も正月も同じになっちゃって。一年中休みだから。

両親もご多分に漏れずお盆休みで、初日の今日は軽く小一時間くらい山を登って滝を見に行った。父親がトレッキングに凝っていて、休みの日に母親と一緒になってくっついていってんだけど、自然はいいぞお。

約1ヶ月半の引きこもりを経て復活を果たした僕にはかなり効いた。今日はほんと山にご挨拶って感じだったけど、それでもきもちかった、じゃなかった、気持ちよかった。

ただ、普段ひとりで静かに過ごしてるもんだから、こうやってたまに他人(家族なんだけど)と一緒に行動するとなんていうか精神が削られる。いや、むしろ相手が両親だからなのかもしれない。

いまはもう和解したとはいえずうっと確執があったから、そういうのが骨に刻まれてる感じがある。

だから、帰ってくると、そこから日常(一人の時間)に戻るのが結構大変。疲れてるからなにもできないけど、せめてものリカバリーはしないと翌日に響くから。

なんだろね、ほんとに嫌々付き合ってるわけじゃないのにね。

たまに実家に帰ったときに「やっとまともに会話ができるようになった」って母親が言ってたけど、それは少し違う。それは、僕が自分の話をしなくなっただけなんだ。それに気づけないなんてなんて幸せな人なんだろうと思う。

文章だと表現しづらいんだけど、よくお喋りの人には「すごい」「なるほど」「そうなんですね」って言っとけばいい、なんてテクニック的なのがあるけど、僕はそれすらしないで「ほう」とか「ふんふん」とか「へえ」とか、そういう最低限の相槌で引き出してる。こっちのほうが疲れるけど、話の腰を折りにくい。疲れるのになんでやるかっていったら、訓練だと思ってるから。他人にも通用するようになれば便利だなと思って。

ねえ。ほんとは父親の仕事なんだけどね、これって。父親は昔から会話することがなかったから、トレッキングとかサッカーとか、相手の話題を振らないと話しすらできない人だからどうしようもない。

でもまあ、そんな両親のおかげで人付き合いは人並みにはできるようになったと思う。コミュニケーションの基本は「相手に興味を持つ」ってことだと思うから。だから、たとえば初対面で相手の趣味の話になったら、そのときは聞き手に回ってなるべく情報を集めて、帰ってからリサーチして、アニメとか映画とかだったら観てみたりして、次に会ったときはこっちから「そういえば、この前言ってた〇〇、面白かったです!」って切り出す、みたいな。

まあ、これもやり過ぎるとヒかれるから、塩梅が難しいところなんだけど。

人相手だから、どこまでいってもマニュアルはもちろん、ゴールは無いよね。

それじゃ、また。

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