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量子都市

   よし、これで――。

   安藤先生、なにをされるおつもりですか。

安藤 飯島君、私はもう疲れたんだ……。そして人間も疲れている。私と同じように――だから、あとは「この都市」にすべてを任せようと思うんだ。

飯島 「この都市」? この量子コンピュータたちですか?

安藤 そうだ。私もこの都市と一緒になる。そして、世界中の人間も。すべては一となり、一がすべてになる。そうすれば……争いも、競争も、仕事も、育児も、すべての悩みも、考えることをせずに済むんだ。すべてはこの都市――イライザ――が考えてくれる。アルゴリズムが常に最適解を求めてくれるんだ。私たちはなにもしないでいい。ここにはイマヌエル・カントの倫理とアルベルト・アインシュタインの科学――もちろんそれだけではないが――が融合している。我々はそれらに従えばいい。

飯島 しかしそれではっ……人間が人間でなくなってしまいます! 考えることを放棄したら、もはやそれは動物ですらありません!

安藤 人間が人間であることになんの意味がある? 考えてもみたまえ。「永遠に戦争が起きないようにするために、驚異的な抑止力を持った物質か機械を発明したい」とバリスタイトを開発したアルフレッド・ノーベル……彼のそれよりも遥かに破壊力のある兵器が、現在ではこの星を8回破壊してもまだ足りないほどあるんだよ……!ノーベルは「敵と味方が、たった一秒間で、完全に相手を破壊できるような時代が到来すれば……」そして、「すべての文明国は、脅威のあまり戦争を放棄し、軍隊を解散させるだろう」と考えていた。しかし現実はどうだ?

飯島 それでも人間は平和を希求しているじゃないですか!環境問題だって、貧困問題だって、人間は考えている!そしてその時代その時代で一定の答えと課題を見つけて――

安藤 それでは遅すぎるんだよ……。あまりに遅すぎる。いまこうして君と話している瞬間も人は死んでいく。――いいかい、飯島君。人間の欲望は大きく分けてふたつだ。「好奇心」と「射幸心」……。そして人間は後者を取った。その結果がこれじゃないか……。物乞いをするために自分の子どもの足を切る人もいる、かと思えばテーブルにありったけの食事を並べて一口二口食べてあとは捨ててしまう人もいる。いまや庶民だって「誰かよりも素晴らしい自分」になりたがっている。寂しい……あまりに寂しいよ……。

 安藤は続けて言う。

安藤 飯島君、君は「人間は考える葦である」と信じているようだが、もう時代ではない。あらゆるものはアルゴリズムが選んでいる。いまや人間は「考えているフリ」をしているだけなんだよ……。アルゴリズムが選んだ、たった何択かから判断するのが考えることだと思いこんでいる。

飯島 それでも……日進月歩でも、前には進んでいるじゃないですか……先生はなぜ待てないのですか。次の世代に託せないのですか……。こんな機械だって、地球が寿命を迎えたらどうするんですか。

安藤 科学にとって、「死は希望」なのかもしれない……そう考えるとあまりにしのびないんだよ……。私は全ての人間に無条件の愛を捧げたい。――その答え、私の――そしてイライザの――答えが「すべてを一にする」。ということなんだよ。私がこのボタンを押せば、地球上にナノマシンがばら撒かれ、ナノマシンが光の粒子と結びついて桜が咲くんだ。……そしてそれは人間の口、鼻、耳、目、皮膚、あらゆるとことから入り込んで血管から脳へと届く。その瞬間、人間は情報(データ)となる。ナノマシンは人間を昏睡させ、脳の情報だけをイライザへと届ける。そうしてすべては一となるんだ――。あとのことはイライザが考えてくれる……私はもう疲れた……。

 安藤がガスマスクをつける。

飯島 吐き気がする!なにが「イライザ」だ!ワイゼンバウム博士への冒涜だ!失敗して失敗して、それこそ星の数ほど失敗して、人間はここまで来たんじゃないですか!研究とはそういうことなんじゃないですか!?先生はあまりに短絡的に物事を見すぎている……疲れたとおっしゃっていますが、しばらく休んではどうです?失礼ですが、病的に視野が狭窄しているようなので――

安藤 もういいんだ……もういい……私はすべての人と一つになって、もうなにも考えずにいたい……。

 安藤がボタンを押す。

飯島 あッ!!

 安藤が部屋の窓を開ける。

安藤 見たまえ、飯島君。桜が……咲いたよ……。こんな夜空に。綺麗だ……綺麗だなぁ……。

 飯島は倒れていてなにも応えない。

 安藤はゆっくりとマスクを外して桜を見ている。そして崩れ落ちて眠りについた。

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