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不思議な犯罪

 1

 都内のあるビルの谷間で、歳は三十代半ばと見られる男の死体が発見された。争った形跡はなく、かといって自殺かと思えば、遺書も見つからなかった。死因は死体の状態からしてビルからの落下だと考えられた。しかし手がかりはなにもなく、原因もわからぬままで、ただただ不思議な死であった。


 不思議といえば、男の身元がわからないということもある。男はスーツを着て革の鞄を持ったまま落下したと考えられているが、そのスーツから出てきた財布に入っていた運転免許証の顔写真と、死体の顔が全く別のものであったが、DNA鑑定を行ったところ、死亡した男は運転免許証の男と同一人物であることがわかった。


 全く違う人物を装い死んだのか。しかし、なんの為に?


 この件はテレビや新聞、週刊誌などで大きく取り上げられたが、手がかりがまるで見つからず、次第に尻すぼみになっていった。


 男の死から一ヶ月が過ぎたころ、中央線で人身事故が起きた。電車が来るのを見計らって、二十代前半と見られる女が線路に飛び込んだのだ。この女の死も実に摩訶不思議なもので、原因もわからなければ身元もわからないのだ。この女にも鑑定をしてみたところ、死亡した女の顔とは似ても似つかぬ人物と割り出された。先月の男の死となにか関係があるのでは、と警察もマスコミも躍起になっていたが、結局この件も迷宮入りとなってしまった。


 それから二週間後、また都内で同じような事件が起きた。さらに一ヶ月後にも起きた。これはただごとではないと、警察が入念に捜査を続けるとある共通点が浮かび上がった。


 それは死亡した当人が、二日から三日ほど失踪していたということ、それと、背格好は当人によく似た全くの別人が、知人や家族などと接触をしていたということだ。


「俺だよ! なんで信じてくれないんだよ!」


「自分でもわけがわからないのよ! 誰の顔なの? 誰の声なの? わたしは誰なの?」


「なんなんだ、これは! 一体どうなったっていうんだ!」


 と死亡する直前に知人や家族などに取り乱しながら叫んでいたという。この証言はなにか大きな鍵となりそうではあるが、現状ではさらに事件を曖昧模糊にするだけであった。


 捜査は難航を極め、その間にも次々と同じような事件が起き続け、警察はパニック状態に陥ってしまった。

 2

 コツ、コツ、と俺の頭をなにかが小突いている。先は尖っているようで、その痛みに耐えきれず俺は起き上がった。その瞬間、耳元でなにかが勢いよく羽ばたいた。ぼうっとする頭を苦労して持ち上げると、それはカラスだった。カラスが俺の頭を小突いていたのか。それに、ここはマンションのゴミ置き場じゃないか。なんで俺はこんなところで寝ていたんだ。ああ、思い出せない。


 とりあえず怠く重い身体をやっとの思いで起こすと、俺はゴミ置き場を離れた。周りを見ると、どうやら俺の住むマンションではなさそうだった。


 マンションの敷地から出ると、そこは俺の職場の近所だった。都内の、雑居ビルが建ち並ぶどこか古臭い雰囲気の街だ。腕時計を見ると、正午過ぎだった。まずい、遅刻じゃないか、と職場の嫌みったらしい上司の顔が頭に浮かんだが、ふと思い直し、携帯電話のカレンダーを確認する。ああ、よかった、今日は日曜日だった。

 幾分か安心したものの、どうしてあんなところで寝ていたのかが、どうしても引っかかる。昨日、酒でも飲んだのだろうか。いや、昨日は一人で出かけていたから、きっと飲んではいないだろう。ならば今のこの状況はなんなんだ?


 考えても脳の奧がチリチリと灼かれるように痛むだけなので、俺はそれ以上掘り下げずに家に帰ることにした。連絡もせずに、朝帰りどころか昼に帰るだなんて、両親は心配しているだろうか。いや、俺はもうそんな歳ではない。さっさと結婚でもなんでもして、出ていくのを望んでるに違いない。


 電車に乗って自宅へ向かう。車内はいつもの通勤時間とは違い、席は埋まっているもののそこまで混んでいるというわけではなかった。俺はドアのそばに立って、流れる景色を見ていた。普段、仕事の帰りに見ていた景色とはどこか違う印象を受け、新鮮だった。それはただ単に昼と夜との差に過ぎないのだろうが、まるで自分が別人になってしまったような、そんな気持ちがした。


 電車がトンネルに入り、窓は光を反射して、車内の様子を映し出していた。俺はそれを何気なく見ていたが、ふと意識して窓を見たとき、あることに気がついた。


 窓に自分が映っていないのだ。


 まさか、と思い、もう一度確認しようとしたが、そのときには電車がトンネルを抜けてしまったので、それは叶わなかった。ほどなくして電車は目的の駅に着いた。


 勘違いか錯覚か、きっとそんなものだろう、と無理やり自分を納得させ、俺はホームへ降りた。


 自宅へ向かい歩いていると、近所に住む人に会った。俺が「こんにちは」と言っても、怪訝そうにこちらを見て、ぼそりと返してくるだけだった。いつもなら気持ち良く笑顔で返してくれるような人でさえ、まるで俺が犯罪でもやらかしたかのような、ちょっと怯えたような顔をしていた。


 俺の顔、そんなにひどいのか、などと考え、目が覚めてからずっと、身体は怠いし頭はうまくはたらかないしで、きっとずいぶんとやつれているんだろうな、帰ったらシャワーを浴びてすぐに寝ようと思いながら自宅のドアに鍵を差し込んだ。


「あら、いま帰ってきたの?」


 ドアを開けようとすると、背後から母の声がした。俺は「そうなんだよ」と言い、振り返った。


「えっ」と俺と母は同時に言った。母はぽかんと口を開けたまま立ちすくんでいた。俺は母のその様子に疑問を感じながら、いま自分が発した声に名状しがたい恐怖を覚えた。


 俺は「どうかしたの」と母に訊ねた。その声色は、明らかに自分のものではなかった。俺が戸惑いを隠せぬままでいると、母はおずおずと口を開いた。


「あの、どちらさまでしょうか。すみません、後ろ姿が息子と似ていたもので……」


「えっ」俺は母の言葉がうまく飲み込めなかった。


「えっ」母は俺のその態度に、どう解釈し、どう接すればいいのかがわからないようだった。


「い、いや、え? 俺はただ帰ってきただけだよ」


 ある程度覚悟はしていたが、声はまるで別人のようで、俺はどうすればいいのかわからないでいた。


 膠着状態のまま、どれくらいの時間が流れただろうか。俺は母のその様子が、自分の声が原因であると結論づけた。


「ああ、その、この声、でしょ? なんだろう、風邪でもひいたのかな」


 そうは言ったが声は枯れているという次元ではなく、他人の喉と取り替えたのでは、と思えるほど変わってしまっていた。


「いえ、そうではなく、あの、どちらさまでしょうか?息子のお友達……とか?」


 母も困惑しているようで、どうもさっきから意思の疎通ができずにいる。


「友達? いや、そうじゃなくて本人なんだけど。息子本人」


 俺の言葉に母はさらに戸惑った表情をした。


「あ、あの、セールスの方ですか? それでしたら――」


「セールス? なに言ってるんだ、俺が帰ってくるなりなにをさっきから――」


「あなたこそ、いきなりよその家に来て息子とか言い出して、一体なんのつもりですか?」


「え、本当に俺が誰だかわからない?」


「わかるはずないでしょう。あなたのことなんて」


 なにがなんだか、さっぱりわからない。俺がなにも言えず、なにもできずにその場で立ちすくんでいると、母が続けた。


「もう、いい加減にしてください。人を呼びますよ」


 どうしたんだ? なにが起こったんだ? 頭の中が整理できずにいた。俺は母に押されるがまま、庭から追い出されてしまった。母は門を閉めると、駆け足で玄関まで行った。「あれ、なんで鍵がささってるの」と言い、こちらを見たが、俺にはなにも言わずに鍵を取って中に入ってしまった。茫然としていると、内側からドアに鍵を掛ける音がした。


 いよいよわけがわからない。どうすればいいんだ?  俺はそこで尿意をもよおしたので、近くの公園の公衆便所へ向かった。


 公園の中は日曜の昼間とあって、子供たちが元気に遊んでいた。それを見ていると心なしか気分が救われたが、頭は依然、混乱したままだ。


 公衆便所で用を足して、水道で手を洗った。目の前の割れた鏡を見ると、俺はその場にへたり込んでしまった。


 鏡には見知らぬ男の顔が映っていた。


 どういうことだ、と呟く俺の声も、別人のものだった。俺は、自分は、どこへ行ってしまったのだろう。俺は誰なんだ? 俺はどこにいるんだ?


 これで母があんな態度だったのは納得できた。しかし、一体なにが起こったのかは全くわからない。思考回路はショートしかけている。


「あの、大丈夫ですか?」


 不意に声をかけられた。俺はうわずった声で返事をして、公衆便所から出た。


 とりあえず落ち着け、冷静になれ。俺は近くのベンチに座って頭を抱えた。冷静になれ、と言い聞かせても、とてもそうはいられなかった。


 もう一度、鏡の前に立ち、自分の顔を確認した。


 やはり顔は別人のものだった。


 公衆便所から出たとき、幼なじみの友人が目に入った。俺はすぐに追いかけて、声をかけた。


「お、おい」


 後ろ姿の彼に声をかけたが、なんの反応もなくそのまま歩いている。俺は彼の肩を叩き、もう一度声をかけた。


「はい、なんですか?」


 彼はイヤフォンを耳から外し、訝しげに俺を見た。


「俺だよ、久しぶりだなあ」


「久しぶり? すみません、どこかでお会いしましたか?」


 彼の言葉に俺は愕然とした。折れそうな心を奮い立たせ、彼にこれまでの事情を説明した。


「……そんなこと、あるわけないじゃないですか。もう、急いでるんで行きますね」


 彼は面倒くさそうにそう言うと、背を向けて歩いていってしまった。俺は彼を逃したら取り返しがつかなくなるような気がして、無理やりに彼を引き止めた。


「なあ、なんでわかってくれないんだ。俺、こんなになっちまったけど、お前だけは信じてくれると――」


 彼はあからさまに嫌な顔をして、頭を掻いた。


「ああ、じゃあ、あの例の事件に巻き込まれたとか?」


「例の事件?」


「あれですよ、モグリの医者がどこからか人を攫って、整形手術をやって、ってやつですよ」


「え? なんですか、それは」


 彼はそんなことも知らないのか、と口には出さなかったが、そう言いたげなのが表情にありありと出ていた。


「ほら、最近変死の事件が多かったでしょう、その犯人が、今日の朝、捕まったんですよ」


 俺はそれを聞くと、厚い雲が引き裂かれていくような、心の中に光が差し込むような、そんな気持ちがした。


「捕まった?」


「まあ、殺人で捕まったわけじゃないんですけどね。医師免許を持っていないのに、裏社会で整形手術なんかをやって、高飛びとかの手伝いをしてたらしくて」


 彼の警戒が徐々に解けていくのを感じたが、まだ敬語で話を続けた。


「今日のニュースはそればかりでしたよ。なんでも腕は本物らしくて、顔だけじゃなくて声帯の手術までやって、全くの別人にしてしまうそうですよ」


 じゃあ、俺もそれをやられたのか? でも、


「それとその、変死の事件となんの関係が?」


 そう聞かずにはいられなかった。


「これもニュースで言ってたんですけど、人は誰かに自分を認識してもらわないと生きていけないそうです。つまり、自分の知り合い、例えば友達とか、家族とか。そういう人に『お前なんか知らない』って言われたら、気が狂っちゃうみたいなんですよ。だから、そのモグリの医者は、全くの別人を作り上げて、その人だと周りの人に認識できなくさせて、気をどうにかして死に追い込んだ、ってニュースでやってました」


 なんでまたそんなことを……。


「動機はわからないそうですが、『人を殺すのに快楽を覚える人だっているんですよ』って供述したそうです」


 俺は思っていたことを口に出してしまっていたらしく、彼はそう答えた。


 そうか、俺は整形手術をされていたのか。しかも、こんなに見事な他人の顔に。それならそうと事情を話せば、母も納得してくれるはずだ。


「そう……か。ありがとう、俺は救われたよ」


 俺はそう言って、彼に笑いかけた。そのとき、彼の表情が柔らかくなるのがわかった。


「いいです……いいよ、別に」


 彼は俺の肩をポン、と叩いた。よかった、彼は俺のことを信用してくれたみたいだ。


「とりあえず、どうするんだ? 一応、警察にでも相談したら?」


「そうだな、そうしてみるよ」


 じゃあ、と俺は彼に背を向けた。その直後、おい、と俺の名前を彼が呼んだ。


「お前ひとりじゃ、イタズラだと思われるだろうから、俺も一緒に行くよ」


「ありがとう、でも、なんで俺だとわかったんだ?」


 彼はふっと笑った。それから「なんとなく、だよ」と言った。俺も笑ってしまった。

 3

 ある警察署に二人の男が尋ねてきた。その男らは迷宮入りとなっていた変死事件の被害者とその付き添いだと言った。警察は最初、いたずらではないのかと訝ったが、事件が事件だったので事情を聞くことにした。

 その後、髪の毛を採取し、DNA鑑定にかけることになった。犯人とマジックミラー越しに対面させ、犯人に見覚えがあるかと訊いたが、「そんないちいち覚えてられない」と言ったので、鑑定の結果を待つことになった。


 そして、結果が出て、警察署に尋ねてきた男は、事件の被害者だとわかり、警察立ち会いのもとで犯人が顔と声を元に戻すことになった。


 犯人は医師法違反(無資格医業)と本人の許可なく整形手術を行ったことでの傷害罪で立件されたが、変死事件については、自白以外の証拠が固まらず証拠不十分となった。


 犯人側の保釈請求が認められ、犯人は拘束を解かれた。しかし、公判期日に犯人は出頭せず、指名手配され、行方は依然としてわからないままとなってしまった。

 4

「今日はどのようなご用件で? エエ、大丈夫です、私は秘密は守る男でございますから。ハイ、さようでございますか、なにかご希望の顔はございますか? 特にないようでしたら、私が勝手に……ハイ、それでよござんすか。かしまりました。


 ナニ? こんなところでドウドウとやっていていいのかって? そりゃあナンの問題もありませんよ。警察には私など見つけられっこないのですから。そうですよ、ハイ。まさか、自分で自分を整形手術したなんて、誰が思いつきますか。イエイエ、なんでもありません……」


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