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女は二人だけでも姦しい

 吐き気とともに目が覚めた。起き上がり時計を見ると、いつもより十分早かった。それでももう、昼前だ。まあ、どうせ毎日日曜日だし、時間通り起きる必要はどこにもないのだが。


 口の中はウイスキーとゲロの臭いで充満している。頭痛もする。カーテンを開けると、わたしを馬鹿にするかのように青空が広がっていた。それから便所に行き、ゲロを吐いてから脱糞した。多少は気分がマシになった。


 冷蔵庫からミネラルウォーターを出し、コップに注いだ。それをテーブルに置くと、わたしはソファに腰を掛けた。部屋は昨日、友人たちと飲んだときのままだった。わたしは手の届く範囲で片付けをした。それからミネラルウォーターを飲み、本格的に片付けた。


 一通り片付け、なにか食べようとキッチンへ足を向けたとき、インターフォンが鳴った。わたしは鳴るがまま、冷蔵庫から卵を二つとベーコンを取り出した。するとまたインターフォンが鳴った。「千葉さん、いるんでしょ?出てください!」わたしは観念してチェーンを掛けたままドアを開いた。


「昨日はずいぶんとお楽しみだったようで」


 わたしがドアを開けるなり、大家がそう言った。


「ええ、おかげさまで」


「……あなた、いい加減ここを出てもらうことになるわよ」


「なんのことだか」


「昨日の晩、あれだけ騒いでおいて、どの口が言うわけ? 今日はだから、その最後通告をしに来たのよ。今度他の住民に迷惑になるようなことをしたら、わかってるわね?」


「股ぐらが臭うぜ」


「もう一度言ってみなさい」


「次からは気をつけます」


 大家は、本当に次はないからね、とわたしに念を押すと帰っていった。わたしはドアを閉めて、再びキッチンへ向かった。


 トースターに食パンをセットしてから、熱したフライパンに油をひき、そこにベーコンを並べた。やかましく音を立ててベーコンは徐々に縮んでいった。頃合いを見て卵を落とした。さっきとは違う音を立てて焼かれていった。


 ベーコンエッグを食べながら、わたしは昨日のことを思い返していた。思い出せなかった。鼻の奥からかすかにウイスキーの臭いがして、口の中のものを吐きそうになった。


 食べ終わるとわたしは洗面所に行った。鏡に映る自分の顔を見た。ひどい顔をしていた。わたしは顔を洗い、ヒゲを剃り、歯を磨いた。そしてもう一度自分の顔を見た。パッとしない顔をしていた。


 インターフォンが鳴った。わたしは素直に出ることにした。


「朝早くからすみません、新聞って読まれます?」


 左よりと言われている新聞の勧誘だった。わたしは新聞を取っていない。


「売国奴の新聞なんか読めるかよ。お前の家が街宣車に囲まれないうちにさっさとそれを持って出ていけ」


 勧誘員は身じろぎをしたが、それでも「ば、売国奴とはなんですか」と言ってきた。


「日本語も通じない奴が新聞の勧誘なんかしてんじゃねえ。俺はさっさと出ていけと言ったんだ。二度も言わせるな。さっさとしねえとお前の今日の昼飯が手に持ってる洗剤になるぞ」


 わたしがそう言うと勧誘員はすみません、と言って走って去っていった。わたしはドアを閉め、カブのエンジン音が聞こえてからテーブルに向かった。


 気を取り直して冷めたトーストとベーコンエッグを食べていると、またインターフォンが鳴った。放っておいた。また鳴った。わたしは無視を続けた。五回目が鳴り、その直後にドンドンドンと激しくドアを叩く音がした。


「いるんでしょ! 出なさいよ! じゃないとあんた、このアパートに居られなくなるわよ!」


 わたしはドアを開けた。わたしの恋人のミコだった。


「リーチが掛かってるんだ。シャレにならないことを言わないでくれ」


「あの女はどこ?」


「どの女だ?」


「しらばっくれないで! あんた、昨日のことまさか忘れたわけじゃないわよね?」


「そのまさかなんだ」


「今更なに言ってるの? 私はあの女と決着をつけに来たのよ!」


 彼女はそう言うとわたしを押しのけて部屋に入っていった。どこに隠れてるの、出てきなさいこの売女、などと言いながら、クローゼットの中やバスルームなどを乱暴に調べて回った。


「誰もいやしないよ」わたしは、見かねてそう言った。


「そのようね」


 彼女はベッドに腰を下ろすと、鞄からヴァージニアスリムを一本出して、火を点けた。


「昨日、俺はなにをしたんだ?」


「本当に覚えてないの?」


 わたしは黙って彼女にコーヒーを淹れた。


「あなたってよりはあの女なんだけどね。まあ、あなたももっとチャンとしてほしかったってのはあるけど」


 彼女はコーヒーを一口飲んだ。コップに口紅の跡がついた。わたしが彼女の横に座ると、狙っていたかのようにインターフォンが鳴った。そしてすぐにドアを叩く音が聞こえた。やれやれ。わたしはドアを開けた。わたしとミコの共通の友人であるチカだった。


「あの女はどこ? ここに居るんでしょ? このミュール、間違いないわ!」


 チカはわたしを突き飛ばして部屋に入っていった。「あんた、なにひとの恋人の家でくつろいでるのよ!」チカの怒鳴り声がした。わたしはドアを閉めてすぐにリビングへ向かった。


「早く出ていきなさいよ! いつまでも恋人のつもりでいるんじゃないわよ!」


「はあ? なに言ってるのよ、このあばずれ! まだ酔っぱらってるんじゃないの?」


「なによ、私があばずれならあんたは売女よ! それも吉原からあぶれて鶯谷の駅で段ボール敷いて、そこで一回千円でフェラチオするような、安物の売女よ!」


「誰が売女ですって? じゃあそこにいる、ひとの彼氏に股を広げてこっそりファックする女はなんなのよ! 人の目も気にしないで平気で股のガマ口開いてるあんたなんか、ヤリすぎて生きた性病標本になってるくせに!」


「あんたの口、精液の臭いがするから喋らないで!」


「あんたこそ、そんなに怒鳴ったら胎教に悪いわよ。誰との子供だか知らないけどさ!」


「ちょっと待った。落ち着いて」


 たまらずわたしは二人に言った。二人は一斉にキッとわたしを目で射抜いた。


「これが落ち着いていられる? そもそもあなたがハッキリしないからよ! あの女のあそこがふやけるまで舐めて、挙句の果てには尻の穴まで舐めたり、そうやって甘やかすからこんなことになったのよ!」とミコはチカを指さして言った。


「こんな、石原莞爾にまでケツを振ってた売女の言うことなんか聞かないでいいのよ!」


「だから誰が売女よ! あんたなんかさっさとここから出ていって、そこらへんの男とファックしながら『ハイウェイ・スター』を口ずさんでればいいのよ!」


「出ていくのはあんたの方よ! さっさとネズミの住む薄汚い家であそこにキュウリでも突っ込んでなさいよ!」


「だからちょっと待てって!」わたしは言ってからハッとした。大家に騒ぐなと言われたばかりじゃないか。


「じゃあ、わかったわ。こうしましょう」ミコが言った。「彼に決めてもらいましょう」


「そうね。そうしましょう」チカも同意した。わたしが、何を決めるって?


「ねえ、私とこの女、どっちか選んで」ミコが言った。


「やれやれ」わたしはため息をついた。

 重い沈黙がしばらく続いた。それを破ったのはインターフォンの音だった。


「千葉さん、出てきてもらえます?」


 大家の声だった。わたしは次は三軒茶屋で静かに暮らしたい、そう思いつつドアを開けた。 


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