love_me_two_times

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  • in return for my sorrow?

    自己療養のための散文的なもの。 孤独が苦しみの別の名前ならば。この文章は僕のためでもありながら、もしかして、君のためでもあるんだね。

最近の記事

世界は期待するようなものではなかったけれど

いつかどこかで書いたような記憶があるけれど、僕には高校生の頃から僕の身体を見てくれている主治医がいる。 先月、20年以上の付き合いになる彼と酒を酌み交わすために僕は札幌まで向かった。 北国の短い夏の夜。 「なあ、沖津くん。 知れば知るほど絶望しても、真実に肉薄していくより他に僕らみたいな人間にできることはないだろう。 目の前や少し先にある希望や幸せのためにではなく、人は生きている限り、ただ生きるしかないんだ。 そのために無限の判断を繰り返す、その毎日の主体である自分であ

    • わたしは最低のブタです

      狂気の天才、梶原一騎のクレイジー過ぎる怪作『愛と誠』展。 破滅型の才能が若者に受けなくなったと言われて久しいし、近代に流行した鬱屈や虚無感から由来する芸術家の話をしても「心療内科にいってお薬を飲めばいいのに」で解決してしまって、物語としての強度を保てなくなってるという話が最近もネットで盛り上がった。 しかし、直球なベタすぎるメロドラマやギャグとも本気ともつかぬ過剰な展開をためらいなく連打し、有無を言わさぬ面白さで読者を圧倒する梶原の才能とその作品は、圧巻だ。 若い才能が

      • 愛をください 

        週末深夜の渋谷の帰り道。 喧騒の繁華街を少し離れると、路上に座り込んでいつまでも語らう者たち。 酔った恋人を背負って歩く者。 いつも見慣れた光景なのに、時々、ふと目にした若者たちの姿に記憶が波うち、懐かしさみたいなものが溢れ出して、息が止まりそうになる。 いろんな感情が流れ込んでくるけれど、でもそれはもう、遠くにある痛みだった。 一日ごとに遠ざかり、薄れ、やがて消えてしまうかもしれない記憶の中にある痛み。 時間と記憶を遡るようにして、夢のようなきらめきの連なりを辿り、そ

        • 人生にはバラで飾られるべき時もある。

          いつもそうではあるけれど、先週一週間は特にとてもバラエティに富んだ、様々な種類の相談に乗ったような気がする。 生活が追い詰められたもの、新しい仕事をはじめようとするもの、愛について苦悩するもの、現実的かつ感情的な対応を迫られるもの、などなど。 現実的な解決の手助けができることもあれば、ただ共感を示すことしかできないものもある。 「結局、本当はわたしの自由だから」と多くの人が言う。 個人の自由は現代社会の基盤だ。 個人の自由は責任と義務によって保証される、といった理屈

        世界は期待するようなものではなかったけれど

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        • in return for my sorrow?
          167本

        記事

          Happy birthday to me.

          また一つ歳を取る日、富士山麓の廃れた街を歩いた。 朽ちていく街の外れの寺に、徐福の墓と伝わる塚があった。 秦の始皇帝が不老不死の妙薬を求めて旅立たせたという伝承上の人物の墓が、こんな朽ち果てた街のはずれにあるのは悪いジョークみたいな気がした。 僕も生きに生きて、もう40代。 結構長く生きた。そしてまた一つ歳を取る。 高校生の頃クラスの女子に「オッキーは20代で自殺とかしそうだね」と笑われた自分も、そんなことをしでかすことなくちゃんと生きた。 仕事は一世代下を中心にし

          Happy birthday to me.

          紡ぎ、ほつれる。 織姫の里にて

          七色の鳥居で有名な織姫神社。 機織りが人と人の縁を織りなすことのメタファーだったと気づいたのは、随分大人になってからだったかもしれない。 偶然、織姫神社のあるこの町を流れる川にかけられた橋が渡瀬橋であることを知った。 森高千里の歌は歌い出しくらいしか知らなかったが、橋のそばに歌碑があったのでぼんやりと眺めていた。 この小さな町から出ていくことのできない女と、田舎町では生きていくことのできない男の歌だった。 数年前、四国を旅した時に出会った地元の女の子が話してくれた言

          紡ぎ、ほつれる。 織姫の里にて

          賑やかであることが存在意義であるような街

          ちょっとした用があって、新しくできた原宿「ハラカド」に行ってきた。 なんというか、とても「原宿らしい」ところで、とてもよく考えられていると思った。 賑やかであることが存在意義であるような街では、たとえそれが表面的であってもすぐに人の心を奪うから、休日のこの街は幸福そうな笑顔に溢れている。 完全に満たされることがないのが欲望だとしても、この楽しそうな顔を見ているとこれを幸福と呼ばずして、何をそう呼ぶのだろうと思ったりもする。 ファッションでも、食べ物でも、SNSでの承認

          賑やかであることが存在意義であるような街

          母さん、彼らの目をのぞいてごらん。僕はそこにいるよ。

          高校生の時、Springsteenの『The Ghost of Tom Joad』を聴いてから、いつか読もうと思っていたスタインベック『怒りの葡萄』をちょっとしたきっかけがあって、ようやく読んだ。 1930年代アメリカ文学を代表する作品として「資本主義と機械化による格差と尊厳の問題」を扱った本作だけれど、100年前から現代も何一つ変わってはいないだけに、本作をいまでも今日的な意義を持つと考えればSpringsteenのように歌のミューズに据えるだろうし、人によってはこの根深

          母さん、彼らの目をのぞいてごらん。僕はそこにいるよ。

          歌うクジラと自己家畜化する人類

          歌うように鳴きながら芸をするクジラたちを見ていて、数年前に読んだ『歌うクジラ』を思い出した。 ハワイのマウイ島近くの海底付近でグレゴリオ聖歌の旋律を正確にくり返し歌うクジラが発見された。 そこから人類は不老不死の遺伝子を発見する。 それをきっかけに、情報化によって不幸が蔓延していた人類は、徹底した階層化と分断社会への移行を選択する。 思えば村上龍は40年も前から、ここ数年ホットな話題になっている「自己家畜化する人類」を描いて警鐘を鳴らしていた。 家畜化された人類の中で

          歌うクジラと自己家畜化する人類

          湿原に自由、存す。

          初めて訪れた港町と巨大な湿原。 湿原に自由、存す。 一面の水、また水。 どこまでも人間の征服を許さない巨大な湿原は、自由の国のように見えた。 取り戻せない時間と永遠には共存し合えない他者という、支配も制御もできないものがこの世には少なくとも二つあるのだと僕は思ってきたけれど、この自然もまた支配も制御もできないものだ。 一方で、自然の生命をみなぎらせたイメージの陰に、それと対照的な暗い色調が沈んでいる。 死を連想させる冷たく凍結した状態と、生気を溌剌と躍らせている状態が

          湿原に自由、存す。

          人間の驚くべき不気味な順応性

          吉村昭は特別に好きな作家ではないけれど、自宅で療養中に、看病していた長女に「死ぬよ」と告げ、みずから点滴の管を抜き、首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜いて死んだ、という凄絶なエピソードが好きだ。 「人間の持つ驚くほどの順応性、それが戦争から得た私の悲しい発見であり、その先天的な機能の不気味さを知る上で、かけがえのない機会であった。」 彼の死に様は常人からすると不気味に思えるかもしれないが、むしろ彼にとっては、彼の書いた「人間の驚くべき不気味な順応性」への最後の

          人間の驚くべき不気味な順応性

          二点間を結ぶ直線

          会社の仲間に、とある案件がどうやって生まれたのか聞かれて、説明しながら気がついた。 ・Aというプロジェクトを持ってきてくれたaさん ・aさんを紹介してくれたのは、bさん ・bさんを紹介してくれたのは、bさんが当時入社した会社の社長のcさん ・cさんを紹介してくれたのは、cさんの会社の会長のdさん ・dさんを繋いでくれたのは、dさんの息子さんの高校の同級生のeさん ・eさんとの出会いは、僕が前職の採用で、採用に至らなかったけれど優秀だったのでずっと付き合ってきたこと 一つの

          二点間を結ぶ直線

          ねぇ、許してよ。このナイフは美しい君の未来なのに。

          昨夜は、とある急成長するグローバル企業について「ぶっちゃけどうなの?」という議論に参加させて頂いた。 労働搾取、環境破壊などまるで「悪の帝国」のように断罪する話を聞きながら、思う。 圧倒的に安価な商品を求める人々の欲望も、供給される労働力も、彼らが作り出したものではない。 世界にある現実に最もうまく適応する姿勢は常に多くの批判と歪みを生むが、それが生み出す富と価値は否定できないほど大きく、そのアニマルスピリットがなければ社会は停滞する。 そして、彼らの姿勢が本当に「サ

          ねぇ、許してよ。このナイフは美しい君の未来なのに。

          私と彼の個人主義

          小学生の息子がクリスマスに、『文豪ストレイドッグス』全巻欲しいというので買って送った。 年明けに久しぶりに会った彼は、漫画のおかげでたくさんの文豪の名前だけは知り、興味は持ったみたいだった。 思えば、父(僕)のエゴで名前に「詩」の字を授けられた宿命か。 "この頃私は浮世が嫌になり、どう考えても考え直しても嫌で嫌で、(略) この時、初めて私は文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより他に、私を救う道はないのだと悟ったのです。" (夏目漱石) こ

          私と彼の個人主義

          話をして、夜の寂しさから人を解放する

          「仕事納めですか?」と聞かれると、もうかれこれ7年はそういう意識になったことはないし、その間まる1日仕事に関わることをしない日がないことに気がつく。 かと言ってメリハリがないわけではないし、休みたいと思わないのは若い頃からなので体質なんだろうけど、たくさんの素敵な人たちと関わること自体が好きで、そういう環境にいられることはとても幸運なことだと思う。 今年も本当に素敵で優秀な人たちに出会えました。ありがとうございます。 思えば、自分が自分でいられる環境を作るために、自分に

          話をして、夜の寂しさから人を解放する

          人生を構成するものは、音と光だ。

          今日、すれ違いざま、下校中の中学生が「人生を構成するものは音と光だよ」と語っていた。 一人になってから、何かを追い求めるようにして、毎年本当にいろんなところに行くようになったし、今年も本当にいろんなところに行った。 そして、あちこちを旅してわかることは、人生に落とし前をつける事はできないし、あるいはつける事に意味がない、ということだ。 だから、年の最後になんだかしんみりと、渋谷はいい街だなと思った。 目まぐるしく変わっていく音と光の組み合わせが瞬間と瞬間を別のものにし

          人生を構成するものは、音と光だ。