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My favorite 100 #23 BLEACHが完全に終わったなんて、いつから錯覚していた?

はじめまして、こんにちは、なぁこと申します。
2021年は「継続していく」ことを目標に掲げ、毎週ただただすきなものを紹介していくという連載を年始からはじめました。もはや毎週でもなく、書き方すら変わってきているけど気にしない。すきなもの多すぎて毎度テーマとっ散らかってんな~と思いつつ、つづけるのが大事!というスタンスでやってます。
ランキングではなく、リストから気分でピックアップしてテーマを決めております。
このnoteを偶然見つけ、読んでくださった方のなかに、おなじものがすき!って方がいたらうれしいな〜!という気持ちで更新中です。

My favorite 100 #23 BLEACHが完全に終わったなんて、いつから錯覚していた?

週刊少年少年ジャンプ36・37号に新エピソード掲載!!!!
やった~~~~~~~~!!という気分でございます。当日は朝からずっとツイッターのトレンドいり。やっぱり強いね、BLEACH。
20周年の記念読み切りということで、久保先生も「楽しんでね」なんておっしゃっていたので、お祭り気分なかんじの新エピ読めるのかあなんてわくわくしてジャンプ買って読んだら、本気がすぎてのけぞりました。え、ちょっと意味わかんない。「楽しんでね」って軽いレベルじゃねーぞ。いやめちゃくちゃ楽しんだ73ページだったけれども。
「獄頣鳴鳴篇」鳥肌止まらなかった。
おもしろいマンガは数あれど、当然のことながらBLEACHのおもしろさはBLEACHにしかありません。そして「BLEACH」そのものを超えるマンガもまたこの世にはないのです。あるとすればその新エピソードだけ。それが2021年の夏にやってきた。それだけでもこの一年半生き延びてきてよかった、と思うほど、わたしはBLEACHという作品の魅力に取りつかれてやまない。すきです。
BLEACHの派生作品とも呼べる「BURN THE WITCH」にも沸き狂ったし、あの作品が上梓された時点でBLEACHは終わっていなかったとも言えるけれども、やはり御本尊にふたたびまみえることは、メンタルやフィジカルへの干渉力が違う。狂喜、興奮、震撼、恍惚、畏敬などそれらすべてが、まさに「脳から外へ溢れ出る」状態で今、わたしはこのnoteを書いている。
わたしのこの連載はあくまですきなもののすきなところを書くことが目的なので、ここでは読み切りの感想というよりも、BLEACHのすきなところを書いてみようかと思っている。

世間でもよく言われていることだけれど、わたしも例外なく久保先生の言語センスがすきだ。キャラクターのネーミングや鬼道の詠唱におけることばの選び方やリズム感、韻の踏み方は群を抜いている、というか唯一無二だと思う。個人的にBLEACHを音楽表現のようなマンガだと感じているのも、随所に出現するこのリズム感がかなり効いているんじゃないかという気がする。最近も「BURN THE WITCH」の中で新橋のえるによる





【指の先 声の鋒 リベンジャー・ジョーの鉄の鍵 五錠三鎖を連ねて静寂 笛の音色で目をつぶす】(マジック#31 ブルースパーク)




という魔法詠唱が描かれた。いや、この声に出して読みたい日本語感…!
韻を踏みつつ、5と7を巧みに並べるように、それを久保先生ならではの言葉のチョイスで。久しぶりに新しいそれを読んだときはもう気絶しそうなくらいやられてしまった。やはり若いころに受けた衝撃というのは永遠に引きずるのだと、あらためて思う。つまり若さって永遠。そしてかたちを変えたとしても、アップデートされたとしても、ふだんは目には見えなくても、いつまでも胸に、いつだってここにあってすぐに触れられるような生きてきた証だと思っている。しらんけど。

あとセリフやモノローグの詩的な言い回し、巻頭歌(って芥見下々先生が呼んでいたので、わたしもその呼び方ありだなと思い積極的に使っている)もすき。あのコミックスの巻頭に載っているポエムは、表紙の人物になぞらえているものが多く、キャラクターの造形の深さというのでしょうか、あの詩を読むとそのキャラクターの人物像が鮮明に浮かび上がるように感じます。限られたストーリーの中で描かれる思考や発言だけからは窺い知れない思想的な部分も垣間見えて、そのキャラクターの人間的な背景がぐっと広がる。
ちなみに一番すきなのは…正直たくさんあるのですが、鮮烈だったのは

あたしの心に 指を入れないで(BLEACH 51巻 毒ヶ峰リルカ)

単行本のサブタイトルは「Love me Bitterly Loth me sweetly」
このセンス!!

ともすれば「ライブ感」と言われるようなところも、わたしは音楽のセッションのような印象を受けます。細かいエピソードや描写を丁寧につみあげてじっくりと書くこともまた価値のあることですが、ギターのカッティングのようにジャキジャキと音が鳴りそうな切り取り方のコマ、セリフの置き方、強烈な印象を残す構図や余韻を感じさせるような文字の配置など、この動画一強な令和の時代において、まったく古さを感じさせず、やはり当時では相当先進的であったのではないかと思っています。
黒と白のコントラストの使い方もめちゃめちゃかっこよくて、あのよく言われている「余白」は余白じゃないの!!あれは言うなれば「行間」なの!!
わたしにとってはそう。文学的表現。こういうのは個人的な好みの話なので、そういう見方もあるんだよってファンとしてね、ちょっと言いたかっただけなんだけど。
BLEACHという作品は、Don`t think feel.ってかんじ。練られて積み上げられたものすごい量の思考と時間の果てに飛び出す、一瞬の感覚的なものをあえて切り取って描いているようなイメージ。
「Feel」ってもちろん直感的な部分もあるにせよ、たぶんそれまでに途方もない「Think」がないといざというときに、いいかたちで出てこないと思うんですよね。

願わくば、この「獄頣鳴鳴篇」を新章として毎週とは言わずとも「BURN THE WITCH」のようなかたちですこしづつ続きを読むことができればうれしい、とは思いつつ、それは先生が描きたいかどうかなのであまりわがままは言えないけれども…でも読みたい~~~~~~~~~~~(地獄からの叫び)この際だから重ねてわがままを言うと「BURN THE WITCH」がまた読めることも願っているんです…久保先生の描く女の子だいすきなので。制服が好きなのえるちゃんとおとぎ話なんてクソなニニーちゃんほんと最高だよ。あと読み切りにてサイドテールルキア描いてくれてありがとうございます!!!美!!!というか新エピソードがここにきて開示されたこと自体がもうありがたい。たしかに願ってはいた。最終回のラストに一勇と苺花が出会って終わったから可能性はなくはなかった。また読むことができたらうれしいなって夢のようなものだった。だけど現実がきたよね。一勇のこと気にしちゃってるかわいい苺花ちゃんわーい!!現実ってつよい。
そうだな、わたしはまだ、BLEACHが終わっていないという世界線にいたい。これを書いた現実自体がたとえ鏡花水月の完全催眠の中だとしても。



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