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My favorite 100 #35 宇多田ヒカル

はじめまして、こんにちは、なぁこと申します。
ただただすきなものを紹介していくという連載を2021年からやっています。2021年は「継続する」ということが目標だったため、毎週更新を目指していましたが、現在では不定期で書き方すら変わってきている、でも気にしない。すきなもの多すぎて毎度テーマとっ散らかってんな~と思いつつ、つづけるのが大事!というスタンスでやってます。
ランキングではなく、気分でピックアップしてテーマを決めております。
このnoteを偶然見つけ、読んでくださった方のなかに、おなじものがすき!って方がいたらうれしいな〜!という気持ちで更新中です。


My favorite 100 #35 宇多田ヒカル

宇多田ヒカルのことを、人だと思っている。男だとか女だとか、こどもだとか大人だとか、そういう境界さえときどき消失して、ただ、人。人類という種がたどり着くべき正解のひとつでないかとさえ思うときがある。
正義がひとつではないように、もちろん人間のかたちに正解不正解はない。
それでもどうしてそう感じるかと言うと、おそらくとても自然だからではないかという気がしている。
人生の喜怒哀楽は、自発的なものもあれば、ごく近しい他者から受け取るもの、あるいは、どうにもならない大きな流れや出来事によってもたらされる。それを想うたび、直面するたび、ひとはどうして生きるのか、なぜここにいるのか、考えられずにはいられない。人間には思考する力があり、発露し、溢れてしまう感情がある。そしてわたしたちは言葉を与えられている。人間を人間たらしめるもの。この人間の自然な営みを宇多田ヒカルの音楽は表現する。濁流のように、凪のように、いつもそこには切実なそれがある。
世の中にある音楽、小説、演劇、アートから、会社、学校、道端のおしゃべり、匿名のSNSに至るまで、すべてにそれは宿っている。が、彼女のそれは、極限までそぎ落とされた原始的な「生」と「死」のあいだで、人間の根源のようなものを徹底的に見つめている。
わたしには宇多田ヒカルしか聴かないという時期が一定の期間を置いて現れる。それはわたしの魂がブレそうなとき、もしくはブレているときなのだと最近気がついた。魂、というととたんに自然ではなくなる気がするので「芯」とか「軸」とかでもいいのだけれど、なんだかそういう物質的なものではなく、気が遠くなるほど幾星霜の時を経て連なり、サピエンスとして、そういう「種」として今ここに存在するわたしのDNA上に刻まれている本能的なものでもあり、もしかしたらDNAでは解明できないかもしれないどこから来たのかもわからない、途方もないエネルギーの渦のようなものに近いので「魂」と呼ぶ。「愛」でもいいかもしれない。広義的な意味での。

宇多田ヒカルの音楽のことを、いつも哲学書だと思っている。それが強くなってきたのは【DEEP REVER】あたりからで、とくに活動再開をしてからの3作に対してはより深くそう思う。
人間としてどうあるべきか、どうありたいのか。なぜ人生にはしなくてもいい経験や喪失が訪れるときがあり、それに傷つき苦しみ絶望するにも関わらず生きていくのか、生きていかなければならないのか。生きるとはなんなのか、わたしとはなんなのか、他者とはだれなのか。ここはどこなのか。孤独とは、幸福とは、真実とは、エゴとは、愛とは、美しさとは。そして死とは。
けしてこの世に明快なこたえはひとつとしてない。一生かかっても導き出せないかもしれない。だけど、存在しないはずの数式を探し出しているような、そんな気持ちでわたしは彼女の言葉を読む。
最近の詩はよりわかりやすい言葉で、さらに深くなっていて、息を呑む。
創作とは、自分の未知の領域、無意識的な領域…そういうカオスなもの、魑魅魍魎が蠢いているかもしれないもの、自分じゃない自分が出てくるかもしれないものに手を突っ込み、潜り、ぐんぐんと潜り、探り当て、掴み、浮上し、それをなんらかの方法で表現するものだとわたしは思っている。宇多田ヒカルがそうなのかは知らないけれど(『EIGHT JAM』で潜在意識のスープがあって、そこに具材みたいなものが浮いてきて…という話をしていたので、感覚としては近いかも、とは感じた)
その潜航の果てに、それ以外にはありえない音と言葉をピンポイントで探りあてている凄みを感じる。選ばれた絶対的に必要な言葉は、派手な装飾も難解な言い回しもない。むしろあたりまえのことを言っているだけ、のようなナチュラルさで繰り出してくる。

自分を信じられなきゃ 何も信じらんない 存在しないに同義

宇多田ヒカル/何色でもない花

はっ!こんなん言われてみればそうや!あたりまえや!てかデカルトの時代から我々はずっとこんなこと思ってて結局のところデカルトの外に出たことが一度だってありましたっけ?いやなくね?真理だ!万歳!これが真理!……なんだけど、なんだけど、でも。わたしたちはこの旅の中で幾度となくこれを忘れる。揺らぐ。見失う。オールのようなものなのに、手放してしまう。命綱のようなものなのに、切り離してしまう。生まれてから今日に至るまで、自分の存在を絶対的に信じられる、信じているひとはたくさんいるだろうけれど、それでも一瞬も疑うことがないひとは少ない、もっと言えばいないんじゃないかと思う。なにも起きない人生なんてありえないから。
わたし自身は、これをあたりまえのことなのだと捉えられるようになったのは30歳を過ぎてからで、かつてのわたしは、この感覚すらまったく持っていなかった。今なお、信じながらも疑っているし疑いながら信じている。
自分を問う、存在を問う。この人間の根源がごく身近な言葉でもって、それ以外にはありえない音に乗る。とくにこの曲【何色でもない花】は、静謐なピアノから一転、この一節がはじまるところからトラップが用いられるけれど、それが鼓動みたいだ。胎動する命。個。「存在」が立ち上がってくる。それまでは宇宙に放り出されているような孤独と、深い水底にいるような果てしない愛と、暗闇に朝日が昇ってくる瞬間の祈りが混在していて、生まれてくる前みたいだとも思うし、
”そんなに遠くない未来 僕らはもうここにいないけど”
と当然のように「死」が前提にあって、生きとし生けるもの、むしろ万物すべてに永遠はなく、いつかはかたちをかえてまったく今日のかたちをとどめておけないこの世界の理も内包していて、本当に哲学以外なにものでもない、と思う。
だけど、わたしたちはこの曲をただ、愛するひとの顔を浮かべてラブソングとして聴いたっていいし、自分を明日へ向かわせるファイトソングとして聴いたっていい自由度もあって……唸る。
EIGHT JAMで語っていた「自分に向けて歌う言葉、言ってほしい言葉」は突き詰めれば「みんながそうである」「底でみんな繋がっている」というのは、集合的無意識的な考え方であると同時に、結局のところそれが多くの人の胸に響く普遍性となるのだろうと思う。

そんな真理を歌う曲を作る際にはPCが使われる。音楽ソフトで編曲したトラック、打ち込まれるビート、音楽家とのやりとりはインターネットを介するという、文明の利器を思いのままに多用し、

ネトフリでも観て パジャマのままで ウーバーイーツでなんか頼んで

宇多田ヒカル/BADモード

思いきり2020年代の便利さを享受しているし、「きついときはまあ、だらだらしちゃおうぜ!」なんてちょっと堕落したりもするし、この「生きている人間」感…!この驚異のバランス、この自然さ。もう「人」以外なにものでもない。はるか昔から行われている生と死、この世の理を思考する人間の営みのかたわら、現代を現代の人間として生きる。それをぜんぶ内包して表現する。声という肉体にしか持ちえないもので。なんかもうこれが、現在の人類における「種」としての正解のひとつじゃないかと思ってしまう所以です。

25周年のベストアルバムに【SCIENCE FICTION】と名づけた彼女は科学と文学が好きだと言う。
宇宙の謎は未だにすべて解明はされていないが、それでも科学のようにはっきりとするもの、因果関係があるもの、こたえがひとつしかない(あるいは再現性のある)ものを好む一方で(それらが出るまでの過程と発見も好きなのかもしれない)、けしてペトリ皿に小分けにできない感情や思想について、繋いだり切り離したり結んだりほどいたりしては、回り道して寄り道して書き連ねていくもの(そして結果的にすべてにこたえが出るわけではない)にも身をゆだねていくこともどちらも彼女にとってあたりまえの行為なのだろうと思うと、その矛盾さも人間を物語る。

宇多田ヒカルさん、25周年おめでとうございます。
新曲【Electricity】を聴くと、人間っていうよりもはやもっとボーダレスな存在なのかも、と思ったりもしたけれど、どんなあなたであろうと、あなたの歌は、わたしをこの世に結わえてくれるひとつであり、わたしをわたしたらしめてくれるたいせつなピースです。いつも向き合って目の前で個人的に歌ってくれるような錯覚さえ覚えます。
一生追いつけない存在でありながら、一生同志だって思ってしまうそんな不思議な存在。

とりあえず、6年ぶりのツアー行きたい(チケットまだない)
ヒッキーはね、ぜんぜん出し惜しみしないとこもすてきなのよ!前回の『Laughter in the Dark』では【First Love】も【Automatic】もセットリストに入ってて、ライトもヘヴィも(自分は【ドラマ】が聴きたかったんだけどな…みたいな方もそりゃいるでしょうけど)喜ぶキラーチューンどんどんやる。【光】とかも。そういうところ、失礼なのを重々承知で、かわいいなあって思っていて。ストレートで人思いで。なんかそういうところも、人として見習いたい姿勢でもある。

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