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My favorite 100 #30 書くということ

はじめまして、こんにちは、なぁこと申します。
2021年は「継続していく」ことを目標に掲げ、毎週ただただすきなものを紹介していくという連載を年始からはじめました。もはや毎週でもなく、書き方すら変わってきているけど気にしない。すきなもの多すぎて毎度テーマとっ散らかってんな~と思いつつ、つづけるのが大事!というスタンスでやってます。
ランキングではなく、リストから気分でピックアップしてテーマを決めております。
このnoteを偶然見つけ、読んでくださった方のなかに、おなじものがすき!って方がいたらうれしいな〜!という気持ちで更新中です。

My favorite 100 #30 書くということ

ちいさいころからずっと今まで、いつもなにかを書いている。
それは日記だったり創作物だったりこういうブログだったり。だれに言われるわけでもないのにそうしていた。
創作はともかく、日記(もしくはブログやnoteのようなものも)は大なり小なりみんなやっているものだと思い込んでいたのだけれど、じつはそういうわけでもないと知って、わざわざ文字にすることをあえてやってんだなわたしは。という結論に今は行き着いている。
「書く」という行為にたいして一番率直でいられるのは、やはり日記や手帳のフリースペースに思いのままありのまま、垂れ流すような気分でいるときである。
脳内はいつだってカオスだ。そのカオスに手を突っ込んでやらないと、わたしはいつか暴発する。思考、感情、直感、実感、現状と希望……それらはだいたい、仕事に関係することや逆にどうでもいいこと、忘れてもかまわないことじゃなくて、なんか、わたしを生きていくために必要なことというか、まんまわたしの瞬間の生、ってかんじのことだったりするので、書いておかずにはいられないのかもしれない。だからすきだというよりも、必要だからやっている。言葉にすることで実感を伴って自覚することもあるし、もちろん単純に整理できることもある。
すきだな、と素直に思えるのは、それらをあとで読み返すとき。なにを言ってるのかわからないときもある。これは過去のわたしだってわかるほどに「あっわたしこのへんでOSアプデしたのかもしれんな」とか「全細胞入れ替わったんか??」とか感じるときもあるし、反対にもうずっとわたしのままで、これがわたしなんだなとか、ああ…変われていないんだなってちょっとへこむこともある。でもたぶんそれでも、積み重ねてきたものの記録は嫌いじゃない。ただしわたしが死んだら、家族には絶対に開かずに燃やしてくれ!!と懇願しておく必要がある。
だけどそう考えらるようになったのは、ここ数年のこと。むかしの日記は読み返す必要を感じなくなったときに捨ててしまった。自分のことが嫌いで嫌いでしかたなかったころや、自分をすこしでもいいからすきだと言える自信や感情をまるで実感していなかったころの日記は、正直どんよりなってしまうし悲しくなってしまうからね。それもかつての自分だし、現在でも顔を出す瞬間はあるから向き合うのだけれど、今は「いや、落ち着こう??コーヒー飲む?」とか「大丈夫、100年先にはみんな生きてない」とか言えるようになっていて、そういうある種の図々しさを一度手にすると、意外と人間それに慣れていって「待って昨日死んでたけど今日なんかハッピー」とかなれたりもする。年月はやはり貴重。だけど縛られるものでもないから、今書いているものもいつかは捨ててしまうのだろうけれど。

ただ、創作になると話はべつ。ばかみたいに苦しいときがある。
すらすら書けるときはいいよ、まさかゾーン…ってあとから思うくらい、余計なものが入る隙や、気が散って今やらなくてもいいことをやりだす謎の誘惑に襲われない時間は最高だけどそんなのほんのわずかで、おおむね指が止まったままPCの画面を眺めて、ちょっと打っては消して戻ってをくりかえしている。
苦しいならやめてしまえばいいと思う。趣味は楽しいに限るしなんのためにやっているのかわからないよね??ってなることすらある。書きあがった瞬間はアドレナリンが大放出して、わたし天才か!!ってなるけれど、冷静になると、なんでこんなの書いたんだろう……とかこれ面白いって思う人いるのかな……とか、創作あるあるとも言える暗黒の渦に落ちていってしまうし。だけどその書きあがった瞬間の興奮ってすさまじくて、それに憑りつかれてまた書いてしまうところはある。自己生成できるタイプのシャブ。
そう、一見依存の悪循環にも思えるこれもやらずにはおられない。なぜか。なんのためなのか、意味もわからないけれどなぜか、たぶんこれは生涯やらなきゃだめだと思ってしまう。日記やnoteのように、ただ考えていることを書くよりも、創作的な文章表現で書くほうがすきだという自覚があるからよけいにそうなのかもしれない。
書くのが楽しくてしかたがないとか、書きだすと止まらないなんてまったくないし、苦しいと思いながらもそれでもどうしてかやめることができず、ずっとずっと続けてしまうことは結局「すき」ということに尽きるのだろうとわたしのなかでは定義している。

「書く」ってなんだろう、と今回あらためて考えてみた。
シンプルに文字で表現することがすき。そして急いでやらなきゃいけないわけでもないけれど、わたしの人生にとっては重要で大切なことだとも思う。日記や手帳の中だけではなく、創作の中で昇華しているものもあるから、もしかしたらわたしは書くことでなんらかの傷を癒しているのかもしれない。いや、おそらくそうなのである。だからこのさきもずっとそうして生きてくのだろうという確信めいた予感が今夜は浮かんでいる。

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