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ばあちゃんのかぼちゃの煮付

私が中学3年生の秋、母が入院した。

数日前から体調が悪かったので、病院に行こうと家を出る直前だった。
母は玄関で立てなくなり、意識がなくなった。

救急車で病院に運ばれ、医師から「あと1時間遅かったら、命が危なかったですよ」と言われた。
子宮内に腫瘍が見つかって、その腫瘍からの出血によるショック状態だったらしい。

母は元々生理が重く、毎月生理中は具合が悪かった。
今回もいつもの生理だと思って放置しすぎたようだった。
当時通院していたクリニックでは腫瘍を見つけてもらえず、こんなことに。

私がもっと早く気づいていたら。
高校受験前だからと学校が終わった後は塾に篭りきり、家にいてもピアノの練習ばかりしていた自分を恨んだりもした。

そんな中、母の入院生活が始まってしまった。

うちの家族は、両親と私の3人。
母は専業主婦だったので、家事はすべて母任せであった。
私と父は、2人とも家事が何一つできない。
そこで、母方の祖母、「ばあちゃん」がうちで生活することになった。

※「ばあちゃん」と言っても、たぶんみなさんの想像する「ばあちゃん」とは全然違う。
私とは50歳差と実年齢も若めなのだが、見た目と中身はそれ以上に若々しい。
70歳直前までは、革のパンツを履きこなして大丸やパルコで私とお買い物をしていた。
店員さんには決まって私と親子だと勘違いされるくらいの若々しさだ。

現在72歳だが、(らくらくじゃない)スマホを所持し、お気に入りはツムツムとLINEポコパンだ。油断すると22歳の私も負けるほどの腕前だ。笑

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私は物心ついたときから父親のことが苦手だった。父は、自分の気に入らないことがあると何かのせいにして当たり散らす人だ。
(どのくらい苦手かというと、
私が幼稚園生のとき、母が知人の結婚式で1日家を空けて、父と二人でお留守番をした際、私はトイレ以外には押し入れの中から出てこず、父と二人では食事もとらず。
その日は押し入れの中でそのまま寝てしまったくらいだ。)

今回も、ばあちゃんがおらず二人きりになると父は、今まで我慢していた分のイライラの全てを私にぶちまけていた。

極度のママっ子である私が、長期間母と離れて暮らしているだけでもかなりのストレスだ。
その上、受験勉強をし、父のイライラを全て引き受けるというのは私には無理だった。

だから父に当たり散らされた後は、夜な夜なばあちゃんの寝ている布団にお邪魔して泣いた。
ばあちゃんは何も言わなかったけど、たぶん全てわかっていたと思う。

ばあちゃんはとても頑張ってくれた。
(この生活が終わった後、帯状疱疹になってしまったくらいだ。)
家事全般に加え、私の塾の送り迎えも。
なるべく父と二人きりになる時間をなくしてくれた。

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一番苦労していたのは料理だと思う。

私は幼い頃から味覚が敏感だ。
家の食事では、米の品種や味噌に使われた大豆の産地が変わるだけでもわかってしまうほどで、好き嫌いが激しかった。

虚弱体質で胃腸も弱く、
スーパーやコンビニのお惣菜、外食も長引くと体調を崩してしまう。

私のご飯を作ることは、母の入院生活中のばあちゃん最大のミッションだったと思う。

なので、私から好き嫌いを細かく聞き出し、母からも聞き出しながら、私が美味しく食べられるように工夫して作ってくれた。

中でも一番印象に残っている料理は、かぼちゃの煮付。

ばあちゃんとの生活が終盤になった頃だった。
「かぼちゃの特売があったから、煮付けにしてお弁当に入れてみたよ」と言われた。

いつも通りお弁当を塾で広げ、かぼちゃの煮付けを一口食べた瞬間、

何だこれ!?うますぎる…。

となった。
私は母が作る煮物以外はあまり得意ではない。外食の際も絶対に選ばない。

食べるまでは、苦手な味付けだったらどうしよう…と内心困っていたのだが…。
むしろ美味しすぎて困ってしまった。

塾からの帰り道、開口一番に
「あのかぼちゃ、めっちゃ美味しかったんだけど!!!!」
と興奮気味に伝えた。
ばあちゃんは、
「あら、じゃあ特売のうちにかぼちゃ買ってもう少し作ろうかな」
そう言って、翌日私が帰宅するまでにはタッパーいっぱいに作ってくれた。

そこからほぼ毎日、かぼちゃの煮付ばかり食べていた気がするけど、全く飽きなかった。

辛かった母の入院中、たくさん泣いたし早く母に帰ってきて欲しかったけど、
このかぼちゃの煮付に私は救われた。

美味しいものは世界を救う。と本気で思った。

手術を終え退院してきた母にも、
「ばあちゃんのかぼちゃの煮付、美味しすぎてビビったわ…。ママのより美味しいかもしれない…。」と言った。

母は、
「負けたか〜笑 お年寄りの作る煮物はなぜか美味しいんだよね〜」
と悔しそうにしながらも、タッパーに残っていたかぼちゃの煮付を美味しそうに食べていた。

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あれからもう少しで10年経つ。

ここ一年くらいの間に、母のかぼちゃの煮付けの味が、あのとき食べたばあちゃんの味に、急激に似てきた。

やはり親子なんだなぁと思いつつ、
「私もこの味のかぼちゃの煮付けを作れるようになるかな…」
とも思う。私はこの二人の孫であり娘なんだから、できるのでは!?と少しの期待をこめて。

いつか、私の作ったかぼちゃの煮付けも、誰かの辛さを救えたらいいな。


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